シーグラス

夏休みに姪っ子が海でシーグラスを拾いました。
なかなか見つからなかったものの、一生懸命探し続け、きれいな色のものもいくつか見つけました。(写真︙上)

ビニール袋に入れて大事に祖父母宅へ持ち帰ったのですが、ちょっとした手違いがあり、翌日気がついた時には、なくなっていました。いろいろなところを捜索した結果、スイカの皮と一緒に捨ててしまったというところまで突き止めました。スイカの皮は、その後祖父が裏のゴミ捨て場になっている谷へと放り投げたから、もう見つからないよ、とのこと。

普通ならここまでです。

昔、読んだトム・ソーヤーの冒険で、トムのポケットには実にたくさんのガラクタが入っていた、という文章がありました。ビー玉やらガラスの欠片やらパチンコ玉やら。そんなにたくさんの物がポケットに入るものだろうか、と思って試してみたのでよく覚えています。
それらは大人にとってはどうでもいいガラクタかもしれないけど、子どもにとっては宝物だ、と。

シーグラスはただのガラスの破片です。お金に置き換えた価値にしてみれば、大したものではありません。でも、子どもにとっては、物の価値はお金では測れない。

結局、それからいろんなことがあって、シーグラスは5個ほど見つかりました。
こんどは大事に、ジップロックにしまいました。
(写真︙下)

話はこれだけです。
それからしばらくこの話は忘れていました。

次に海に行った時に、姪っ子はまたシーグラスを探しました。熱中症になりそうになったりしながら、またいくつか見つけていました。

また、見つけてるなあ、と思いながら、一方でゴミ捨て場から見つけ出した方のシーグラスを想いました。

見つけ出したのは、姪っ子の母親です。
断っておくと、彼女は娘を甘やかしているわけでもなく、言いなりになっているわけでもありません。普段は、妹の世話をよく見ている姪っ子に頼るところはあるかもしれないが、とても誠実に公正に娘たちと接して、忙しい中でも子どもたちのために少しでも良くなることを、と考えている人です。
でも、普段だったらシーグラスを探すために、1時間以上かけて探すことはできなかったでしょう。ゴミ捨て場にまで行って、マダニがいるから危ないと言って子どもには行かせず、自分が探すなんてことも、時間的な余裕がなくてできなかったことでしょう。
そりゃあ、もう無理だわ~
と言った祖父に私も同感、と思っていました。
見つけた、と聞いて、ウソ!?と驚いたものです。

人は、どれだけのお金を使うかでその大事さを判断しがちです。
でも、本当に大事なことにはお金ではなくて、時間を、使うものです。

シーグラスは大事なもの?

姪っ子にとって、暑い海岸で一生懸命探したシーグラスは大事なものです。当然です。
でも、普通の大人はその価値を受け入れることはできません。

また、明日探そう、とか。
拾ってきたものなんだから、諦めよう、とか。

苦労して見つけたシーグラスは、結構大事な物です。
苦労して見つけたシーグラスをなくしてしまうのは、結構悲しいことです。
苦労して見つけたシーグラスをなくして、それを見つけることは、また更にすごいことです。

もし、このシーグラスを20年後も大事に持っていたら、これはとっても素敵な宝物になることでしょう。

自分の母親が、自分のためにどれだけの時間を使ってくれたか。
そんな時間の使い方を大人がすることが、どれだけ珍しいことか。
自分のことをどれだけ大事に思ってくれていたのか。

子どもっていうのは、大事な物をすぐに捨てちまう。誰かがそばにいて、守ってあげないと。
と、スタンド・バイ・ミーでクリスチェンバースが言っていました。
何が大事な物かは、人それぞれ違います。
でも、大人にならないとわからない、未来に残る価値もあります。

大人にはわからない、子どもだけの価値があるのと同じように。

たかがシーグラスなんですが、色んなことを考えさせてもらいました。

これから先の人生、何に時間を使おうかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?