「本に救われる」
生意気にも「本に出来る事」に限界を感じている。そう思ったのは、「包丁のない家」が驚愕するほどには珍しくない出来事だと耳にしてた事で、「もう何事かを論じる活字自体が読まれない」と感じたからだ。「包丁のない家」とは、家庭での食事に包丁を必要としないという意味だ。買って来た調理済みの食品を加熱したり加水したりすれば、調理が完了し食べられる状態になるという事らしい。確かに日本の中食の発展はすごい。食品の品質保存技術も高まっているのだろう。そういった技術革新がもたらした包丁不要の生活が近付きつつある、と、見る事も出来るだろう。
在外邦人の日本語記事を読んだ限りだが、そもそも現代日本は家庭の手料理に手間暇をかけ過ぎだというアメリカ比もあるらしい。包丁がないということは、それまで女性が任されがちだった家事労働のひとつから解放された証だ、と見る事も出来るかもしれない。包丁を使わないで家で食事が出来るなら、調理経験はほぼ不要。子供でも自分で食事が用意できて食べられる。
では経済的に豊かな家庭も同じように包丁いらずの食品を買っているのか。いないと思う。百貨店の総菜を買う事はあるだろうが、予算に加えて多少の時間があるなら手料理を作るだろう。何故なら、百貨店の総菜の水準の味に慣れているなら、スーパーマーケットやコンビニエンスストアの調理済み食品は不味く感じるからだ。その一方で、料理は覚えさえすれば割と簡単に百貨店の総菜に近い味になる。その上、材料費と比較すると百貨店の総菜より安価で済ませられるようになる。
この「割と簡単に」が味噌だ。ここは伝説のまとめ「カップラーメンから貧困を語る」に任せるが、「割と簡単に」を感じられる水準まで調理技術を高める事。これがゼロからのスタートではそんなに簡単な事ではないのだ。
振り返れば私はカレールーを使ったカレーくらいしか作れない30歳だった。家庭で親から調理を教わった事は何度かあるが、覚えているのはそれがとにかく苦痛で不快で嫌だった事。私は母親の調理を手伝いながら、嫌な思いをした記憶しかない。端的に言うと「怒られるのが嫌だった」。母は料理下手も不器用でもなかったが、面倒くさがりで料理に金も手間も掛けたがらなかった。
美味しい食べ物は家の外にしかないと思っていたし、30歳くらいまでマクドナルドはごちそうだった。料理はつまらない事、家の食事はまずいもの。ずっとそう思っていた。
変化が生じたのは、主婦の友社の料理入門本を買った事。同級生に料理が得意な事を自慢されて腹が立って買ったとかそんな理由だと思う。買ったからには作ろうと思った。やってみた。美味しく出来た。家でこんなに美味しい食べ物が作れるのかと驚いた。でも続かなかった。母親が「金がかかる」「時間が掛かる」「栄養が偏ってる」「もっと早く」「もっと手間なく」と文句を言うので嫌になった。母親に文句を言われると嫌いな事はすぐやりたくなくなるのが私だ。
そして私の長い調理をしない日々は続く。
その私が調理をするようになったのは、外食が増えてファストフード以外の好きな料理が出来た事と、その料理が思いの外簡単に出来ると知った事。後は、「料理は楽しい」という思いを共有してくれる人が近くに出来た事だ。
この時に、私は高校生の頃に買った料理入門本を再び開いた。調理のイロハが丁寧に書いてある。母のように失敗しても私を叱る事もない。そしてこの主婦の友社の料理入門本は結構本格的な調理法で書かれている。定番メニューが多いし、その通りに作ると美味しくなるが、実際手間も暇もかかる。私はもう一冊、オレンジページの料理入門本を買った。これは定番メニューを実に簡単に作る方法の宝庫だった。そして、料理好きの友人は簡単に作れる料理も教えてくれた。出来る。私にも美味しい料理が作れる。そう実感してから、料理が好きになった。帰宅後に自分の食事を自炊したり、会社勤めには弁当を作ったりするようにもなった。
オレンジページの料理入門本はすごい。調理に必要な器具一式も全部載せてあった。私は新婚の時にこの本を参考に最低限の器具を揃えた。そして、料理本一冊作れるようになると、家庭料理の基本的水準を突破出来る。
本は確かに私を救ってくれた。興味を持った時に本がなければ。料理入門本がなかったり、その本が素人のいい加減な理屈と情報で書かれたものだったら、料理も上達していない。料理が上達しなければ、ジャンクなものばかりを食べていただろう。料理好きな人と知り合っても料理の話は出来なかっただろう。料理技術を偏差値と同じようなものだと馬鹿にしていたに違いない。
でも、自分のこの事例で考えると、私が購入した料理本を活用するまで15年近く掛かっている。そこに至らせてくれたのは数々の体験と人だ。興味を覚えるための環境が必要だった。本はその先。ゼロから本で、というのは、私には勉強慣れした人向けの事だと思える。本を手に取って役立てる段階に到達できない人たちが、増えているのが現在なのではないか。
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