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仕事が結構好きだ

仕事──には、業務遂行以外のあらゆるものが含まれるだろう。
私は仕事が結構好きだ。これまでの仕事で一番楽しかったのは、自分でも意外だが生命保険のセールスだった。自分自身では書く事が好きで、書く仕事を続けるのが夢だったが、それを経てもセールスの仕事が楽しかった記憶が強い。
ただし、生命保険のセールスで楽しかったのは、クロージングと設計書作成の時だけだ。それ以外はむしろストレスに次ぐストレスしか感じられず、私はごく短期間で生命保険会社を辞めている。
生命保険のセールスは、私にとっては取材記者の仕事と近いところがあった。飛び込み営業をするのも、まだ知らない人のところへインタビューに行くのも似ている。インタビューの方が私にとっては難易度の低いケースが多い。今時は、時間さえあればインタビュー前に対象を調べられる。調べておけば、概ね話は聞けるし、質問に困らない。何しろ会う時間を確保してもらえているのだ。セールスの飛び込み営業は仕事中の職場にねじ込むので、まず入室を断られるし、時間をとってもらうのも難しい。昨今はロビー営業と言われ執務室に入って営業を掛けるようなやり方は禁止された場所が増えたという。
でも、たまたま話を聞いてくれる人に遭遇できれば、後は営業もインタビューに近い。

ちなみにクロージングの楽しさは論破する楽しさみたいなものだ。
下世話だが、率直に言って私が楽しかったのはこの「こうすれば論破出来る」を考えて押しまくる過程だった。
ただあまり成功しなかった。論破するのが好きな人はいても、論破されるのが好きな人はごく少数であるように──また、論破されて嬉しい楽しいと相手が感じるように論破出来る人も希少である──、ただ論破する理論を組み立てるだけでは相手はその理論を受け入れない。
そこから先は私の苦手なところでもある。人は、気持ちをとても大事にする。気持ちのためなら大損しても平気なのだ。私は仕事において常に損をしない提案を行っているはずだ。でも、気に入らない、と、思う人は結構な損をしても平気で気の済む方向に進む。まあ実際は私自身もそういう風に動いていると思う。

人に対して理屈のやり取りをするのは、好きではない。
議論すら好きではない。批判を非難と受けて止め、気分を害するケースが多すぎるから。
それよりも、ゲームのように理論のやり取りをしてみたいだけなのだけど、なかなか難しい。

さて、この「人の気持ちを動かす」が私の場合とても難題なのだ。ぶっちゃけ不利で損なものがどんどん売れるのも、気持ちさえ動けば人は自分のマイナスを気にしなくなるからだ。なので提案内容の良しあしより「気持ちいいかどうか」が「売る」「買わせる」という目的には必要になってくる。気持ちを掴む事だけ先行すると、ともかく負債を負ってすり減った人だらけになって行くという地獄。

で、お仕事。ライターの仕事も好きだけど、ライター以外の仕事をやってるとライター以外の仕事もいいなと思えるようになっていた。まず生命保険の営業が私にとっては驚きだった。辛い仕事だったが楽しいところは楽しいのである。

今も仕事は楽しい。内勤事務職だが、リーダーになって提案が増えて俄然楽しくなった。上司から無理難題が降ってくると戸惑うが、解決策を考えるのは楽しい。解決策、案を考えて、そして乗り切るのが楽しい。そう思うとかなりの仕事は楽しめるのではないか。

取材記者だけをやっていた頃、楽しいといえば楽しかったが、営業のクロージングのような強烈な記憶はなかった。その後のライター活動でも特にない。楽しいというのは、自分を前面に出して自分の全力をぶつける事で、もしそんな楽しさがあるとしたら、それは自著を書いて「この人に認められたい」と思う読み手の人に読んで認めてもらえる時だと思う。
本当は、何の原稿でも「この人に認められたい」と思う人に「いい原稿」と評価してもらえたらそれが嬉しい。それは論破──という言葉で語るのでなく、競技に近いものになるのではないか。テニスの試合で相手が打てないサーブを打ち込んだ事に対して「あの人は私を攻撃した」と被害として認識する人は稀だろう。私はそんなふうに仕事をする人でありたいし、人からの鋭いサーブにも対応できるようになって行きたい。

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