見出し画像

レンズ談義 その10 レンズの巨匠たち

 近代レンズは、明るさの追求、収差の克服、解像度の向上、写りの美しさの探求を駆動の力として、さまざまな試みが企てられ、そこから数々の傑作が残された。
 現代のコンピューター設計のレンズには、その叡智と成果が受け継がれている。
 カメラレンズの詳しい歴史はウキペディアなどに譲るとして、近代レンズの黎明期から近現代に至るまでに登場したレンズ設計者の中から何人かの「巨匠」と呼んで差し支えない人を挙げるとすると
 
 
 クックのトリプレット(1893年 クック(英国 ヨーク州) 3枚玉)で一世を風靡したテーラー(Harold Dennis Taylor 1862年~1943年)
 僅か3枚のレンズで適度に収差を補正し、しかも、絵画性や立体感に富んでいるトリプレット、その後長きにわたって様々なトリプレットが多くのレンズメーカーによって作られた。
 ツァイスのトリオター、トロニエの設計によるシュナイダーのラジオナー、バブルボケで名高いメイヤーのトリオプランなど
 
 
 天才 パウル・ルドルフ(Paul Rudolph 1858年~1935年)
 1902年、当時大人気となっていたクックのトリプレットに対抗するために開発したテッサー(3群4枚構成)で一時代を画した。
 彼は、1886年にツァイスに入社し、1896年に対称形のレンズ構成であるダブル・ガウス型のプラナー(4群6枚)を設計し、その後の標準レンズ(50ミリ)の方向性(進むべき軌範)を決定付けた。
 また、もはや(高額のため?)伝説のレンズと化したキノ・プラズマート(1922年頃、ヒューゴ・メイヤー 4群6枚、中央部のレンズ2枚がメニスカスになった対称型レンズ、ダゴール(1892年 2群6枚)の内側の貼り合わせレンズを分離し、空気層を設けて球面収差を補正したレンズの発展形)などの設計も手掛けた。
 
 
 フォクトレンダーのハーティング(Hans Harting 1868年~1951年)
 ツァイスのテッサーに対抗すべく完成させた新機軸のヘリア(1901年 トリプレットを3群5枚の対称型にしたもの)を設計、戦後、トロニエによってカラー用に再設計され、カラー・ヘリアーに。
 今も根強い人気のレンズだ。
 
 
 エルネマン(後に、ツァイス・イコン)のベルテレ(Ludwig Jakob Bertele 1900年~1985年)
 エルノスター(1923年 4群6枚)、F2の明るさを持つ画期的なレンズ、ほの暗い室内でのキャンデットフォトを可能にしたレンズ
 カメラレンズの世界を驚愕させたレンズ、エルノスターを改良した不朽の銘玉ゾナー(1929年 3群6枚 50ミリ F2、1932年 3群7枚 50ミリ F1.5)
 ベルテレは、3群6枚の9面構成で収差を抑えながら、コントラストと解像力との共存を可能にした、当時としては驚異的なF値をもつ大口径レンズを開発し、レンズの概念を根本から書き換えた。
 ニッコール50ミリF1.4・F2やジュピター8などが主な後継のレンズ
 

 レトロフォーカス(逆望遠のレンズ構成で、一眼レフ用の広角レンズに対応したもの)を発明したポール・アンジェニュー(Pearl Angenieux 1907年~1998年)
 代表的なレンズは、美しいフレアが売りのType R1 35ミリ F2.5(1950年 レトロフォーカス・タイプ)
 1935年、パリに自らアンジェニュー社を設立し、レトロフォーカス・レンズやシネ用のズームレンズを開発した。
 

 魔鏡に棲まう孤高の巨匠、「最後の巨匠」と言っても憚らない、そんな思いを抱かせる トロニエ(Albrecht Wilhelm Tronnier 1902年~1982年)
 ゲルツ、シュナイダー、フォクトレンダーなどで設計を担当し、数々の銘玉を生み出した。
 1934年に開発したクセノン 50ミリ F2は、プラナーの対称構造を非対称にした斬新な設計で、後のウルトロンやノクトンに先鞭をつけるものとなった。
 1936年、新型ゾナー 50ミリ F1.5に対抗すべくシュナイダーに委託され、トロニエにより設計されたライツ クセノン 5cm F1.5は、その後のトロニエの運命を暗示させるかのようなレンズだった。
 トロニエの設計したレンズは、収差を極力抑え込むことに邁進する訳でもなく、むしろ収差と戯れる、収差を活かし、楽しむようなところがあり、その特異な発想から、彼独自の強烈な描写の力を備えたレンズが生み出されて行ったと思われる。
 クセナー、アンギュロン、カラースコパー、カラー・ヘリアー、アポランター、ウルトロン、ノクトン、ダイナロン など
 

 

 


よろしければサポートをお願いします。