『On Tyranny』 Timothy Snyder

読了したので。香港デモについて語る有識者からよく勧められる本で、デモが盛んで行われて警察との衝突が激化した昨年の夏頃に衝動買いしたが、本日ようやく一通り読んだ。日本語のタイトルは『暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』。

作者のTimothy Snyderさんはアメリカ生まれ、イェール大学の歴史学教授で、研究分野は現代東ヨーロッパ。数多くの著作を執筆され、代表作に『ブラッドランド――ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』『ブラックアース――ホロコーストの歴史と警告』などがあり、受賞歴が豊富である。

ここで、特に心に残った部分を引用してメモを残す。
※和訳はすべてDeepL翻訳+筆者修正となる。

Life is political, not because the world cares about how you feel, but because the world reacts to what you do. The minor choices we make are themselves a kind of vote, making it more or less likely that free and fair elections will be held in the future.
人生は政治的なものであり、世界が自分の気持ちを考慮してくれる意味ではなく、自分の行動に世界が反応するからだ。私たちが行う些細な選択はそれ自体が一種の投票であり、自由で公正な選挙が将来行われる可能性を高くも低くもする可能性がある。

ヒトラーの例が挙げられた。1933年の選挙でナチ党に投票した人たちは、それが彼らが近い将来でできる最後の公正な選挙であることに気づくひとは多くなかったはずということ。2020年の今とてもリアルなシチュエーションに思えたし、コロナで次の選挙に行けないかもしれないことを非常に心配している。

...Victor Klemperer notices, truth dies in four modes... The first mode is the open hostility to verifiable reality, which takes the form of presenting inventions and lies as if they were facts. ...The second mode is shamanistic incantation. ...the fascist style depends upon "endless repetition," designed to make the fictional plausible and criminal desirable. ...The next mode is magical thinking, or the open embrace of contradiction. The final mode is misplaced faith. ... Once truth has become oracular rather than factual, evidence was irrelevant. 
...ビクター・クレンパーは、4つのモードで真実が死ぬことに気づいた... 第一のモードは、検証可能な現実に対する公然とした敵意であり、あたかも事実であるかのように捏造や嘘を提示するという形をとっている。第二のモードは、シャーマニズム的な呪文である。...ファシストのスタイルは、虚構をもっともらしく、犯罪行為を望ましいものにするように設計された「無限の反復」に依存している。...次のモードは、魔法のような思考、または矛盾を公然と受け入れることである。最終的なモードは、見当違いの信仰である。... 一旦真実が事実ではなく信仰になってしまうと、証拠は無関係になってしまうのだ。 

著者はよくVictor Klempererさんを引用した。Klempererさんは1881年にドイツ生まれのユダヤ人で、言語学の教授である。彼のナチ時代に渡って綴った日記が90年代出版された。4つのモードのなかで、自分にとって3番目が一番注意しないといけないと思った。挙げられた例はトランプ大統領が選挙前の発言で、税金を下げること、国債をなくすこと、社会福祉と国防の予算を上げることを同時に約束した。さすがにこのレベルまで抽象化されると矛盾が一目瞭然だが、情報や知識不足によって物事の全体像が見えず、抽象的に捉えられない場合、3番目のモードに気づかないリスクは十分にありそう。

...when they try to train us to surrender freedom in the name of safety, we should be on our guard. There is no necessary tradeoff between the two. Sometimes we do indeed gain one by losing the other, and sometimes not. People who assure you that you can only gain security at the price of liberty usually want to deny you both. 
...彼らが安全の名の下に自由を放棄させようとしているとき、私たちは油断してはいけない。二つが必ずしもトレードオフの関係ではない。時には私たちは、もう一方を失うことによって、本当に一方を得ることもあれば、そうでないこともある。自由と引き換えにしか安全を得られないと保証する人たちは、通常、その両方を否定したいと思っている。

この内容がとても心に響いた。香港の国家安全法がまさにここで指摘された脅威だと思う。社会の安定・安全の名の下に、デモをする権利も事実上剥奪され、暴力を一切使わずスローガンを口にするだけで、もっと極端なケースではスローガンを所持するだけで逮捕されることになる。民主活動家の逮捕・監視・指名手配されているし、図書館から民主活動家が執筆した本が撤去されるなど言論の自由が抑圧された事例は次々と出ている。(外国でも適用されると理解しているので、このノートを書いていること自体国家安全法違反かもしれない)

香港の状況が改善することを切に願う...。

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