札幌のマスク警察おじさん事件を見て思ったこと。
昨日、以下のような事件が話題になっているのをツイッターで見た。
記事から一部引用する。
◇◇◇
私もいろいろと「おかしいべ!」と思うことはあるので、記事にしてみたい。
ちなみに、私自身はマスクをTPOで着けたり外したりするタイプだ。
他人のマスクについて思う事はあるが強く主張するつもりは無い。
◆ヤバイ奴はヤバイ
さて。
今回のような事件はこれまでも度々あったが、そういったものを『炭鉱のカナリア』と受けとめて広く社会問題化させるのを私は好まない。
それは対立を煽ることに繋がるからだし、事件の当事者の多くは『例外的なヤバイ奴』だと思うからだ。
余程恵まれた環境で生きていない限り、このようなヤバイ奴が実在するのは多くの方が実感していると思う。接客業なら日常茶飯事だろう。
今回がマスク絡みで注目されただけで、ヤバイ奴は全国津々浦々で似たような問題を起こしているはずだ。
理不尽ではあるが、被害に遭った女性の方は『運が悪かった』と考え、気持ちを切り替えるのが良いと思う。
◇◇◇
で、大多数の人は様々な主張の相違を許容しながら日常生活を送っている。
社会も他者も私自身も不完全であり、まあそんなもの。
自らの勘違いなども大いにあり得ることを考えると、『お互い様』の精神が重要であろう。
今回のマスク警察おじさんにそんなものは通用しないだろうが。
◆主張に正当性はあったのか?
それはそれとして。
もし仮に普通のマスク警察(なんだそりゃ)だった場合、取り締まりの正当性はあるのだろうか。ちょっと考えてみたい。
前提は以下とする。
・厚労省のガイドライン
・混雑していない電車内
・札幌または日本の現在の状況
・ノーマスクでの普通の会話
厚労省は『混雑している電車内』でのマスク着用を推奨しているが、混雑してないため該当しない。感染状況は上がり基調だがまだそれほどでもない。
対象が咳込んで風邪気味っぽかったり異常に騒いでたりすれば別だが、そうでもないなら『マスク着用』の主張としては弱い。
論拠が弱いのならばマスク警察が自分でどうにかするべきだろう。
車両を変えれば済むことだ。
◇◇◇
ただし、相手の違いを尊重したうえで距離をとるということが推奨されるべき行動なら、後から来た側がそれを意識する必要がある。と私は考える。
(今回の場合、どちらが後から来たのかは知らない。)
公共の場所でノーマスクで気にせず喋りたいなら、マスク着用者から離れる場所に陣取る、という意識はあったほうがお互いのためかと思う。
マスク警察でなくとも、がんの治療等で免疫を抑制している方にとって、コロナはまだ警戒するべきものだろう。
◆おわりに
結局のところ『社会における自由』というのは面倒なのだ。
マスクに関しては公衆衛生の一部であるため『個人の判断(自由)』とされていても、『好き勝手やって咎められる筋合いはまったく無い』ということとは違う。と私は考える。
場のルールと相手を尊重したうえで、受け入れるか住み分けるかの判断を個々に行う必要があるのではないだろうか。
◇◇◇
ところで、自由のために『戦う』という選択肢もあるが、マスク程度の事を市中で見知らぬ他人同士が争ったところで不毛なだけだ。
そして、ネット上であっても攻撃的に相手を馬鹿にしたり嘲笑するのでは札幌のマスク警察おじさんとたいして変わらない。
気をつけたいところ。
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