オツベルと象 vs 俺


"文学好き(浅い)"と"永遠の厨二心"を持ち合わせているので、オツベルと象のラストの
「おや●(一字不明)、川へはいっちゃいけないったら。」
の一文でいまだにゾクゾクしている

オツベルと像、文章のリズムが尋常じゃなく良いので朗読しやすい。
本当に朗読しやすいので教員時代はそれに助けられたけど、キャラのセリフのあとに「ラッパみたいないい声で」「 ウグイス みたいないい声で」そう言った、って文があるせいで(今の俺のセリフ読みはラッパみたく出来ていただろうか……?)とか思うハメになり、プラマイでマイだった

ちなみにこの文章の"リズム感の良さ"には理由があって、この話は「ある牛飼いが物語る」、口頭で子ども(達)に語り聞かせているという体裁をとっており、
そのため音として発した時の"耳心地の良さ"や"語りとしての自然さ"がかなり意識されてる
もともと賢治の文章はリズム感込みで描かれてるけど、黙読してて脳内で良いかんじに響くけどいざ朗読するとムズい、みたいなやつもあるし(個人の感想です)

物語の構造や寓意については、よく簡単に
資本家(オツベル) vs 白象(労働者階級)
とか
発表当時の史実とあわせて植民地支配/被支配
とかの文脈で語られることが多い
(インドとイギリスの植民地問題でガンジーの不服従運動が1920年、オツベルと象の初版発行は1926年)

また宗教的要素として
白象:仏教(ヒンドゥー教)における神の使い
:イスラム教のシンボル
サンタマリア:キリスト教において"母"の記号
赤衣の童子:神道での神の御使いか。諸説あり
(ある牛飼い:牛はヒンドゥー教で神聖視)
この白象が、月に向かってサンタマリア、と声をかけ、月は彼に助言し、赤衣の童子が白象救済の橋渡しをする
こんな風にさまざまな宗教が交差するような描写があり、
賢治はあの時代にあって既に多様性尊重の視点を、それも最も共存共栄が難しい"宗教"の畑に持ち込もうとしていた、と解釈する説や

それへの反論として、
白象も赤衣の童子も仏教要素であり、
イスラムのシンボルは"三日月と星"であってただの月では無い
白象が「もう、さようなら、サンタマリア」と言って死に身を委ねようとしたところ、やはり仏教系である赤衣の童子が助けに来た、という展開を考えると、白象本来の仏教に大きく寄った物語だあり、他宗教の要素は軽く触れる程度に過ぎないのでは、
といった論調もある
じっさい賢治自身も仏教徒(実家の浄土真宗に反発して法華経思想に傾倒したり、キリスト教の友人と親しくし思想にも色濃く影響を受けたりしたなど色々あるが)であり、日本という環境をふまえても、視点が自然と仏教メインに至るのはまあ妥当なところかもしれない

物語内部でも、
さよならと言った象に対して、サンタマリアと呼ばれた月は、意気地のないやつだなあ仲間へ手紙を書いて助けを求めたらいいじゃないかと助言し、その後赤衣の童子があらわれて硯と紙を象に捧げる
あくまで助言にとどまる月/サンタマリア(キリスト教)と、白象のもとにあらわれて救いの実行的な面を担う赤衣の童子(仏教)との立ち位置は、"彼の信じたもの"と、"異なるものを信じれど尚親しい友人達"との距離感がそのままあらわれているかのようにもみえる

またオツベルのまわりでは数字のが異常なほど繰り返し登場する
現代の日本ではあまり不吉なイメージの数字ではないけど(666などと三つ並んだりしないかぎり)、三途の河の渡し賃は"六文銭"で、ちゃんと死の臭いがする数字ではあるようだ
オツベルの死亡フラグをガンガン立ててる賢治たのしそう

オツベル周辺の"六"
①六台の稲こき器械
②十六人の百姓
③六寸ぐらいのビフテキ
④五六本の丸太
⑤六連発のピストル
⑥白象+助けに来て塀を越えた五匹の象
※ちなみに稲こき器械の「のんのんのんのんのんのん」という音も6ぺん繰り返してたりする

さて、話は戻って
資本家(オツベル) vs 白象(労働者階級)
という、よーく見かける解釈についてだけど
これに関しては労働者階級側があまりにも強すぎる、という懐疑点がある
という指摘を昔なにかの記事か論文で見かけた記憶がある

白象は最初のうちであれば、その気になればオツベルをいつでもひとひねりに出来たわけだし(とは言っても絶対にそうしないのが白象だろうが)、実際仲間が助けに来て、オツベルはあっけなくくしゃくしゃのぺちゃんこになっている

このあたりについては、
白象側のキャラはそれぞれが宗教的シンボルとしての意味も持つように描写されているので、
人智を超えたなにか、神々とそれに準ずるものたち(尚どの宗教かは不問、色々混ざり合っている)
そういうのをおさえつけて支配して利用しようとした先の、たかが人間たるオツベルの破滅
そういった意味合いも(資本主義批判と)同時に含んでいるため、こういったパワーバランスになってる
くらいに解釈してもいい気がする

プラス、
さっき一言で片付けた「資本主義批判」でさえ、資本家側ばかりでなく労働者側も大いに批判するような、そういう描写がいくつもある
オツベルのもとで働いてるまともに文句ひとつ言えない人間の労働者たち、
オツベルの側近にいたくせに象を見て即気絶した情けない金魚のフンみたいな犬、
騙されてることに気づきもせず善意を利用されやがては痩せこけて、自分一人では助けも呼べない白象

これは私ごとですがケータイショップで無駄に複雑な契約ルールの説明を1から10まで聞いている時、俺はこの白象を思い出す
ドラゴン桜かなんかで昔見た「バカから出来るだけたくさん金が取れるように頭の良いやつがルールを煩雑にする」みたいなセリフも思い出す
ちなみに俺はiPhone経由でYouTubeのプレミアムに入っているので、普通にプレミアムに加入するより何百円か多く、毎月腐れアップルにせしめられている
そのことを知りながら改善の手を打たずに怠慢に日々を貪る愚鈍な亀こと俺


さて、
国語教材としてはこの結末に対して助けられた白象が"さびしくわらっ"たことの意味ばかり取り沙汰しがちだが、そんな5秒で大体わかる部分よりもこれだけ多様に解釈できる寓意性や宗教要素やわかりやすく面白い"六"の仕掛けとか、そういうのをもっとやったらいいのに。
あーあこうしてまた勉強不足な教員どもの傲慢と怠慢を未練がましく批判する方向に行ってしまった。
これは俺のせおった呪いだと思う

それはさておき、
読んでたのしい掘ってふかしぎ、声に出せばきもちいいオツベルと象、よろしくお願いします

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