初音ミクと結婚した男は真の純愛である事

お久しぶりです。
どれだけの人が見ているかはあえて見ないようにしているけど、見ているのかな。

今日は初音ミクと結婚した男について、自分なりに話していきたいと思う。

2018年に結婚式を挙げ、一躍有名になった近藤さんのニュースをみて、
これこそまさに愛の最終形態。純愛だな、と思った。

話は少しズレるけど、
『女装をする男性は、女性より女性である』
と思っている。
性別の垣根を超え、周りにどう見られるかという恐怖を超え、自分であり続ける姿は、
身体の造り上、女性であり、女性で居なければいけない。綺麗でいなければいけないという、
ある種、責務と感じている人間よりも、
ずっと女性であると思う。

話は戻って、今回の近藤さんの件は、上記した内容に近いものがあるんじゃないかな、と。

正規の、ありがちでありきたりな
『幸せ』の定義からは逸脱しているかもしれないが、
自分が自分らしく生き、愛したい人を愛する事は、きっと人間同士の恋よりも純度の高い愛なんじゃないか…。

それに、話を聴いている中で、
二次元に恋をする事の不思議さが分からなくなってきた。
私は、人間に恋心を抱くセクシャリティを持っているが、
きっと自分の理想が相手の女性に投影されていると思う。
「ねえ、実はおれに黙って浮気した事あるでしょ?」
「ないよ!浮気なんて経験ない!」

相手を好きでいたら、
この会話で相手を疑う事はしないだろう。
※メンヘラちゃんは一回置いておくけど

ただ、これも自分の理想を相手に投影しているだけだと思うわけだ。
"この子がそんな事するわけない。この子はいい子だから"とかって、
結局、理想メガネをかけて、相手を見ているだけなのではないか。

こういう理想があるからこそ
考えと異なった言動があると、
落胆し、怒りや悲しみに変わるものである。

初音ミクという、現実世界には存在しない
次元の違うモノを愛して、
(こう思ってくれてたらいいな。自分を好きでいてくれたらいいな。)と思う気持ちは
現実世界で恋をしている人間と何一つ変わらないものだと思う。

きっと、人を好きになる事は理想を押し付ける事だし、押し付けられる事であることに加え、
両思いなんて、テイのいい素敵なものは無くて、
片想い同士が一緒に過ごしているだけなんじゃないだろうか。

そういう意味では、次元の違う存在に恋をして、
片想いで居続けるのは、純愛であると言えるんじゃないだろうか。

恋って難しいね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?