ペーパーティーチャーから小学校講師になった話②〜過酷な現実〜

前回の記事の続きです。

4月〜小学校の音楽講師(1・2年生のみ)になり、まだ一学期が始まる前に勤務地の小学校に挨拶に行く事になりました。

今まで会社勤めしていた時は、勤務スタート前に向こうから「○月○日に来てください」と連絡があるのが当たり前だったので、小学校もそんなものだと思っていた私。

ところが、現実は逆でした。なかなか勤務スタート日の連絡が来なかったんです。勤務開始前の必要書類を提出した時に「いつから行くかは、ご連絡頂いてから行けばいいんですよね?」と確認をし、「はい、また連絡します」との返答頂いたのに話が違うな〜と思い。

あまりに連絡来なかったので心配になり、結局私から小学校に連絡をしました。そうしたら「いつから来れますか?」と逆に聞かれてしまったのです。これにはとても衝撃を受け、そこからこの職場大丈夫かな!?という不信感が出始めてしまったのです。さすがにこれはおかしいと思ったので「小学校としては、いつから私に来て欲しいですか?」と聞いてしまいました。

そこで、小学校の希望をやっと聞けて、初めて行く日は4月頭の春休みのある日、授業は4月中旬から受け持つ事になりました。

そして、その後、更に衝撃的な事が色々とありました。。詳細は以下の通りです。

① 4月頭の初めて小学校に行った日、行くきっかけになったのが、ピアニカのテキストでした。ピアニカのテキストをどの出版社の物にすれば良いか、現場の先生が現場経験の全くない私に聞いてきて、私に選ぶよう依頼してきたのです。
「え、現場経験の全くない私に選ばせるの!?」
これが私の率直な気持ちでした。結局、よく分からないまましぶしぶ選ぶ事になり、これが良かったのかは今も分かりません。
音楽専科の正規先生が別にいらっしゃるんだから、音楽専科先生に選ばせれば良いのに。。その時、音楽専科の先生もテキスト選びの場に同席されていたし、何故私が選ばないといけないのか!?
今でもそこはずっとモヤモヤした気持ちを抱えたままです。

② 何も分からない状態で4月中旬の授業初日を迎えたのですが、私が分からないなりに授業で必要になるであろうものを想像して、私から欲しい物を要求しないと全く手に入れられない状態でした。
下記は、私から依頼しました。

・先生向けの指導書セット
・音楽の教科書
・各クラスの名簿
・CD(校歌、歌はともだち)
・「歌はともだち」の伴奏譜

これも私にとっては「あり得ない!」その一言に尽きました。

③ 4月頭に小学校行った日に、一年生は4月下旬から本格的に音楽授業を始めるという話だったのに、実際は4月中旬(二年生と同じタイミング)で、授業を始める事になりました。
「あれ、話が違うじゃん!」という気持ちしかありませんでした。

④ 授業を迎えた初日、早めに小学校の第二音楽室(1・2年生の音楽授業の教室)に行って、分からないなりにも授業の準備をしたのですが、音楽室は最初以下の状態でした。

・床には大量のホコリが散乱していた。
・備品のCDプレイヤー使用出来ず。
(→結局後から、CD取り出し時引っかかる時に、自分で指でつままないと、CDの出し入れ&再生が出来ない事を授業始まった後に副校長先生に教えて頂きました。。)
・生徒の机もホコリっぽい。
・黒板用チョークは短い物ばかり。黒板消しもすごく古く、チョークの粉だらけで消しづらい。

結局掃除用具の場所も分からず、やっとこさ同じフロアに掃除用具が入った場所を発見し、ほうき・ちりとり・雑巾をキープしました。
そして、まずは掃除からスタートしました。
そこに時間が思った以上にかかりました。

⑤ 初日はCDが全く使えなかったので、私が全部ピアノ&歌を歌う事になり、最後声が出なくなりました。その状態が回復するまで、一週間かかりました。2日目の授業は、さすがに声出ないから無理だと思い、担任先生に相談したら、それは無理だと言われ、結局ガラガラ声の状態で一人で授業をする事になりました。。それがとてもしんどかったです。教室のCDプレイヤーを借りれたのは、不幸中の幸いでした。

⑥ 採用面接時に、現場経験が全くない話をしたら、その時の校長先生から最初は「ベテラン先生を授業につける」とのお話があったけど、結局初日は担任先生等のサポート、全くない状態で授業を進める事になりました。。

改めて、私が経験したあり得ない事実を文章にまとめてみると、すぐに辞めてもおかしくない現状だったな〜とつくづく思います。4月はどうして良いか分からず、周りの先生にもなかなか相談できず、とにかく「辛い」その一言に尽きる時期でした。家では子ども達が寝静まった後、毎日のように泣いていました。そして、天気の良い日も気持ちが晴れず、咲いている花を綺麗と思えない程、落ち込んでいました。この気持ちがずっと続いていたら、明らかに精神おかしくなっていたと思います。

今思うと、4月でよく辞めなかったな〜とつくづく自分に感心します。この状況だったら、すぐに辞める人はとても多いはず。
でも「もう少し頑張ってみよう」、そう思えるきっかけがその後あったのです。



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