反省会録
『君の言葉がわかりたい』の反省会をしていた。
どうにも男性(男心)の解像度が低いような気がしてならない。
そもそも物語の舞台は、現代でも日本社会でもないので、現代の日本に住む男性を分析しても、特に、狩猟社会から農牧業に移ったレモーノの参考にはほとんどならない。
原始時代から現代への逆異世界転生だ。
テルマエ・ロマエだろうか。
主な舞台となるスフィリットの国も、文明的には産業革命前くらいだ。
タクシーや飛行機が出てくるのだが、これは開発途上のもので、馬力が主流だ。
ミエルの通う大学も、現代日本のような公民に開かれた制度ではなく、家庭教師が主流の貴族の子息・令嬢たちの通う、会員制組織の学問版といったところである。
ミエルは、母や妹といる時間が長く、読書が好きで、物腰が柔らかく、夢想家だと設定しているので、私よりもお淑やかではあるだろう。
だが、女性的だとは設定していない。
レモーノに対しては、簡単な語彙を用いて会話をしているために、言動がやや幼く感じられるのは、書いている私も感じるところである。
ただ、ミエルのイメージにミツバチとあるように、行動力があるのは、レモーノよりもミエルの方で、基本的に心を打ち明けているのはミエルからの設定だ。
二人の関係も、同性愛がベースではない。
スタートは、ミエルの恐怖心とレモーノの罪悪感で、努力と学習で成り立っているようなものだ。
二人共、女性との関係構築で躓いた過去があり、レモーノからは「恋愛」という概念を奪っているが、女性相手より男性相手の方がいいとは思っていない。
心ある個人として見られ「一緒にいて心地がいいから」と関係を築くのではなく、恋愛・結婚相手として見られ「条件がいいから」と関係を築かれることに、辟易している。
どちらも「自分に向ける相手の視線に、不快な偏りがなかったから」が惹かれ合った理由だ。
第一部のネタばらしになってしまうが、ミエルは、レモーノと亡き母を重ねているところがあり、そのことを自覚してもいる。
私も、第一部のレモーノとミエルは、母子の関係が近いのではないかと思っている。
成人男性同士の関係ではあるのだが、第一部では、自己愛と生きる術を確立したレモーノと出会い、ミエルが自己愛(テリトリー意識)を育むことがテーマである。
ヨセフの存在が目立つかと思うが、ヨセフの設定は、「大人の付き合いのような距離感のある相手」であり、レモーノの「母親のような距離感度外視の相手」と対照的な関係に設定した。
予定では全部で五部編成なので、第一部の時点では、ミエルはレモーノの手を取って立ち上がることしかしない。
歩き出すのは第二部からだと思われる上に、書き始めたところは、今のところ全て躓いている。
独立するかというと、多分しない。
二人で一人みたいな関係まで持っていく。
問題は、レモーノがそれを良しとするような性格かという点だ。
架空の物語なので、此方側の社会通念は、どうでもいいことだ。
私は、正直に言うと、距離感度外視の関係が苦手だ。
私ではどうにもできないような愚痴、悩み、不幸、要望などを言われると、心のシャッターを閉めて寝込むほど苦手だ。
オープンでフレンドリーな態度を心掛けてはいるので、「そういうことは墓場まで持っていくものですわよ」と思うような話もされるのだが、詳細を覚えていないし、ほとんど聞いていないし、漏れる心配がないから話されるのだろう。
私のこの同情力のなさをレモーノに割り振ったので、距離感度外視の関係に耐えきれるのか、疑問の声がある。
それに、男性同士で、ここまで距離を詰めることはあるのだろうか。
というよりも、私が書ききれない疑いが強い。
だが、私は「二人で一つの存在みたいな二人が見たいんです」と百万年くらい思い続けている。
ドライで都合の良い関係の方が、書くのも読むのも楽だというのに、だ。
単純に変な人なのだろう。
それよりも問題なのは、「レモネードのような爽やかで軽やかな物語」をかすりもしていないことでは?
爽やかで軽やかな物語にならない理由も、男性の解像度が低い理由も、原因は同じ気がしてならない。
根本的に再構成するか、炭酸水ではなく煮こごりで作ったレモネードを出すか。
オヨー🙃
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