見出し画像

恋愛感情だけ、スタート地点を他の人と分ける必要性は?

『君の言葉がわかりたい』を書いている背景となる思考の一つに、「私たちは特定の恋愛物語を刷り込まれて、自分もその物語のように恋をし、人を愛するものだと思い込まされているのではないか」という疑問がある。

私は、物心がつく前、フルハウス、セサミストリート、ディズニーアニメ、魔女の宅急便、となりのトトロを見まくっていた。
中学生の頃に、フランス語を履修する機会があり、その折、フランス語の音楽(主にラブソング)をよく聴いていた。
少女漫画も、よく読んだものを三選するに、カードキャプターさくら、紅茶王子、Wジュリエットを挙げられる。
この時点で察していただけるかもわからないが、女性が男性と出会って、数々の試練を乗り越え、意中の相手から想いを伝えられて、キスをするような物語は、記憶にある物語集の100ページにも満たないのではないかと思う。
女性一人男性一人の夫婦で子育てをする光景を見ても、動物ドキュメンタリー番組を好み、人間の生態も、フルハウスやとなりのトトロの光景がベースの私の脳には、「お互い同性の味方がいなくて大変そう」の思いが過るだけだ。

受精と出産には、確かに、性別の条件がある。
だが、育児と生活に、その条件は必要がない。
むしろ、一人の子供に対して、女性体が二人、男性体が二人、一戸をまとめる人が二人は必要ではないかと思う。
子孫を残すことをゴールに人付き合いをするなら、私の意見だが、一人の魅力的な人間よりも、生活圏を共にしても苦痛を感じない人間をできるだけ多数見付ける方が、サルをベースに持つ私たちは、生きやすくなるのではないだろうか。
性行為は数分で終わらせられても、生活は死ぬまで続く。
一緒にいる不快感の少なさ、会話することの不愉快感の少なさ、助け合うこと(貸し借り)の偏りの少なさが、生活には重要だ。

恋なんて、誰でも、いつでも、何度でも、誰に対しても、何に対しても、できる。
それは、新鮮さだとか、発見時の興奮だとか、未知への恐怖を麻痺させるためだとかで、簡単に起こしうる感情だ。
「恋ができない」の感覚がある人の中には、特定の恋愛物語に執着している人もいるのではないかと思う。
そして、辿り着ける気がしないゴールを前に、スタートすることを恐れている。

人付き合いのスタートは、私が考えるに、全て同じだ。
挨拶をし合うこと。
頻繁に会うこと。
名前を知ること。
立ち止まって話をすること。
恋愛だけ分けて考えて、「優良物件」を見つけ出そうと相手に条件を課すから、話がややこしくなる。
自分の心身のことを話せるところまで信頼関係が厚くなってからでも、恋愛関係に舵を切ることは、十分に可能なのだ。
自室で一人のときでも全裸でいられない人間が、最初から服を脱ぐことを考えるな。

あなたは、恋ができないのではない。
あなたが作りたい人間関係を考えた時に、あなたが選べる選択肢になっていないか、そもそも選択肢を作ってすらいないのである。
一例だが、「どんな人と一緒にいるのが好きか」と問いを考え直してみてはいかがだろうか。

人の数だけ、生き方があり、考え方がある。
歩ける道を自ら塞がれませんように。


🍋🍯日記絵ログ

「私の新しい家族、兄の新しい家族」


30日中、29日描きました


可愛いが詰まっているな…


🍋🍯作品紹介

「自カプを実写化したい」の気持ちだけで書いています。

使用する言語の異なる二人が出会い、共に暮らす物語です。
二人の努力と歩みを、一緒に見守っていただければ幸いです。

無料公開記事は、第一部第一章と執筆中の記事で、仕上がり次第、適宜有料化いたします。
製本・電子書籍配信も考えておりますので、noteの記事のご購入は、応援のお気持ちでお願いいたします。

ここまで読んでくれてありがとうございます。サポートのお気持ちは、スキ!ボタンを押して送ってください。