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コンテナ船で旅行をする話 - 待機編

⚠️ この旅行は世界情勢が急速に変化し、国・地域間での移動が制限される以前に計画、実行されたものです。渡航時点ではオーストラリアへの出入国規制・勧告は発表されていません。(2020/2/2 - 2020/2/7)

はじめに

 残念なお知らせがあります。当記事は「コンテナ船で旅行をする話」という題名ですが、コンテナ船乗船までのブリスベンで過ごした5日間のお話です。中年男性が昼間からビールを飲み、ウォンバットを見にいくだけの旅行記です。コンテナ船の旅行のみに興味がある場合は本編へお進みください。旅行計画から興味がある場合は準備編へお進みください。

以下旅行記となりますが、他の旅行記事同様に淡々と体験したことが並べてあります。緩い旅行の感じが伝われば幸いです。

NRT ✈︎ BNE

 空港カウンターで航空券を受け取り、自動改札ゲートを抜け、審査官に申し出を行い出国スタンプを貰います。手荷物検査ではチューブの歯磨き粉を没収されます。歯磨き粉がどの程度航空機の運航の安全に支障を及ぼす恐れがあるのかは定かではありませんが、これも決まり事です。大人しく従います。

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レシートのような航空券が多いなか、昔ながらの厚紙で航空券が発券されると妙に嬉しくなりませんか。最近はもう見かけなくなりましたが、私は緑色の厚紙に印字された航空券が好きでした。

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搭乗の際に慌ただしく準備を整えるコックピットが見えました。

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長時間のフライトでは「窓側」よりも「通路側」であることが重要である年齢となりました。隣に座った青年は窓から見える風景を飽きることなく眺めています。私が窓際に座っていた頃は、通路側を選択するようになる日が来るとは想像もしていませんでした。

機内は特に記すべき体験はありません。機長の挨拶、上客への謝辞、乾いた空気、それなりの機内食とビール、それから微妙に自分の嗜好と合わない機内エンターテインメント、長距離路線で味わう退屈を満喫します。

円滑な入国、国境警備事務所での納税

 オーストラリアへの入国です。自動化レーンでの手続き、別室でのバックパックを開梱しての検査、それから麻薬犬の追検査を滞りなく終えます。国境警備官から怪訝な顔をされても私はクリーンです。歯磨き粉さえ持っていません。

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空港からは乗客のいない循環バスで隣接する国境警備事務所へ向かいます。途中、24時間営業のスーパーマーケットでレモネード、プリペイドSIMを購入し、開通作業を済ませます。

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国境警備事務所(内務省施設内にあります)に到着します。事前に準備した書類で納税は滞りなく進みましたが、業務上の関心からか(または単純に個人的な興味からか)担当官から旅行について細かな点を色々と確認されます。

何故コンテナ船で帰国するようなことをするのか。
乗船中はどのような生活するのか、業務を行うのか。
何のためにオーストラリアに来たのか。
旅行はいったい幾らするのか。

といった内容の質問です。彼女が満足する回答が得られない場合、さらに細かく問われます。入国時にあった別室検査の方が随分と簡単な印象でした。

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事務所での手続きを終え市街地へ電車で移動します。交通系カードを買いそびれレシートのような乗車券を手に入れます。

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30分ほどで高層ビルの見える地区に入ります。地震がない土地柄のためか、どの高層建築物も細く長いものでした。眼下の河川には水上バスが見えます。これには乗っておこうと心に誓います。

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ホテルの最寄り駅で下車し西の外れ(West End)を目指します。出発地は真冬、ここは摂氏30度を超える真夏です。身体が結露を起こしていくのを感じます。

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ここまでの旅程です。ブリスベン国際空港に到着し、赤丸の国境警備事務所まで循環バスで移動します。その後、空港から黄色の空港連絡線に乗り、青丸周辺にある宿泊地へ向かいます。距離にして約16-7kmですので羽田空港から東京駅ほどの距離感です。

備考: スクリーンショットの地図はMyTransLinkというiOS Appからキャプチャしたものです。Appは現地交通局が開発しています。

ベースキャンプの設営

 最寄り駅から歩いて数分の所に宿泊地はありました。到着時刻は10:00過ぎ、チェックイン迄には数時間を残します。受付で「定時まで荷物を預かってもらえないだろうか」とお願いしたところ「部屋の準備は整っているから、チェックインして構わないよ」と気さくに返してくださいます。素晴らしい。お言葉に甘えることにします。

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私が予約したホテルは長期宿泊者向けでした。「異なる階は賃貸アパートメントとして貸出されている。パーティーは厳禁である」と受付時に説明があります。中年男性に一体何を期待されているのかは分かりませんが、居住者に迷惑のないようパーティーは慎むこととします。繁忙期ではないせいか、都内のビジネスホテルと変わらない金額で、リビング、キッチン、ベッドルームがある40平米ほどの豪華な部屋を借りることができました。

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ベッドも十分な大きさです。湯船こそありませんでしたが、シャワーからは清潔で熱いお湯も出ます。Wi-Fiは光回線に接続され十分な速度でした。パーフェクトです。ここを拠点に5日間のブリスベン生活が開始されます。

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熱いシャワーを浴び、ジーンズからハーフパンツに着替え、近所のスーパーへ買い出しに向かいます。部屋には台所が付いているので簡単な料理が出来ます。

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ミネラルウォータ、一斤の角食、出来合いのサンドイッチやサルサソース、チキンタコスの冷食、シナモンドーナツ、バターなど数日間の食糧を買い揃えます。パーティーの準備が整います。(法律による規制なのか、私の訪れたスーパーには酒類の取り扱いがありませんでした。この後に酒屋を見つけビールを入手します)

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宿泊地では朝から缶ビールを飲んだくれ、スーパーから買ってきた揚げ物を食べ過ぎてお腹を壊し、延々とチャンネルザッピングを繰り返すなど、有意義な時間を過ごします。雨は止まず缶ビールの空き缶だけが増えます。コンテナ船の入港は種々の理由により遅延していきます。

いけません。雨間を縫い近所を散歩しようと決意します。

西の外れ(West End)を訪れる

 ブリスベン川を中心にこの都市をやや乱暴に説明すると、北側は都市部、南側は住宅街という配置になっています。東京の街並みが、荒川、隅田川を挟んで変わる感じに似ているかもしれません。宿泊地は住宅街側、西の外れ(West End)という場所にありました。適当に選んだ割には利便性がよく、宿泊地から10分圏内には近代的なスーパーマーケットや、何だか懐かしい感じの商店街が続きます。商店街付近ですれ違う人々は、都市部側に比べ人種が豊かで居心地の良い場所でした。私はこの商店街をすぐに気に入りました。

商店街にはいくつかのクラフトビール(現地で醸造しているビール)のお店がありました。予定の大幅な遅延から完全に時間を持て余した私は、この地区で昼間から心ゆくまでクラフトビールを楽しみました。ここでは気に入った醸造所を二つ記しておきます。

Brisbane Brewing

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Brisbane Brewing は、都市を冠した名前の通りブリスベンを代表するクラフトビール店の一つのようです。

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カウンタにはビールの注ぎ口(タップ)が10本並び、店の顔となるBPA (BRISBANE PALE ALE)をはじめ、店舗で仕込んだ、スタウト、IPA、ラガー、それから付近の醸造所のビールやアップルシードルが繋がっていました。(店のWebには今日繋がっているビールが紹介されています)テーブルに備え付けられたメニューには最初に、

IF YOU CAN’T SEE THE BREWERY, DON’T DRINK THE BEER.
ビール醸造所を見つけられなければ、そこでビールを飲む価値はない。

と印刷されています。ドイツの諺であるようですが至言ですね。店内からは偽りなく醸造タンクが見えました。

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私はこの店が気に入りブリスベン滞在中は毎日足を運びました。長居はせず、開店直後の空いた時間に訪れ、数杯飲んで帰るという飲み方が自然に出来る素敵なお店でした。食事も地元の食材を使ったこだわりのものが提供されていましたが、ビールに夢中であったため私は注文することがありませんでした。今思い返すと勿体ないことをしました。

そういえば店のオリジナルTシャツを購入した際「お店のシャツを持っているのだから、仲間だよ」と言って、ビールを一杯サービスしてもらいました。店の心意気を感じる嬉しい体験でした。

Catchment Brewing

商店街にあった酒屋で缶ビールを購入がてら「Brisbane Brewingのクラフトビールがとても良かった。この近所に美味しいクラフトビール屋は他にないのか」と尋ねてみます。店主は「それであれば、Catchment Brewingは外せないので飲んでおくと良い」と紹介してくださいます。早速訪れてみることにします。この醸造所は同じ商店街、Brisbane Brewingから数軒先にありました。

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注文したクラフトビールは綺麗な琥珀色でした。華やかなホップの香り、個性的な苦味、地元酒屋のお勧めは信頼できます。

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ところで先日、知人から「どこに行っても昼から飲んでいるのであれば、錦糸町で飲んでいたって変わらないじゃないか」と指摘を受けました。100%正しい指摘です。海外を訪れ、地元の醸造所を周り、昼から飲んだくれてホテルに戻りベッドに飛び込む。これを無駄と言わず何と表現すれば良いのでしょう。私はこの無駄を満喫するために、毎日働き、航空券を用意し、特に下調べもなく地元の商店街を散策するのです。

Avid Reader Bookshop

経験的に良い商店街には良い書店があります。ここも例外ではなく小さな書店、Avid Reader Bookshopがありました。

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書店お勧めのコーナーには、ジョセフ・コンラッド、F・スコット・フィッツジェラルド、ムラカミ・ハルキ、といういうように影響を受けた作家が近い場所に配されてありました。お店のこだわりが見えて何だかニヤニヤしてしまいます。私はペーパーバックを快適に読むことが出来るほど英語が達者ではありません。黒原敏行訳の「闇の中」がKindleに入っていることを思い出し、お勧めの本棚からHEART OF DARKNESSを手に取りレジに向かいます。購入したUK版は表紙が海図を模した素敵なデザインでした。

ウォンバットにうってつけの日

 滞在から数日目、ウォンバットに会うための朝がやってきました。窓のロールカーテンを開け今日がウォンバット日和であることを一瞬のうちに理解しました。私はバスでウォンバットのいる動物園に向かうことにしました。 

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オーストラリア南部では大地が乾燥し大規模な山火事が発生していましたが、北部に位置するブリスベンは肌寒い雨が続いていました。その日ベッドから眺めるテレビの気象情報では、珊瑚海から伸びる前線に沿い湿った雨雲が流れ込んでいる様子が放送されていました。予報からは午前中は何とか天気が持ちそうに見えます。冷蔵庫からミネラルウォータと乾いたチーズとハムのサンドイッチを取り出し、ベッドの上で朝食を済ませ急いで準備を整えます。

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ウォンバットのいる動物園、Lone Pine Koala Sanctuary へは市営バスを利用して向かいました。近所の停留所から30分ほどの場所です。地図右上の青丸が宿泊地付近、左下のEndが動物園です。

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停留所での出来事です。自動券売機で交通系カードを購入しようとしましたが、どうにも購入する方法がよくわからず私はモタつきます。東京であれば後ろから舌打ちが聞こえてくる状況です。ただ、この街では少し状況が異なりました。通勤時間帯にもかかわらず、何人もの方がごく当たり前に「カードは駅中の有人カウンタで購入出来る」「カウンタまではゲートを一度開けてもらって入れば良い」といった適切なアドバイスをくださいました。これは私にとって衝撃でした。人々に余裕があります。香山哲の「ベルリンうわの空」に出てきそうな体験でした。

Lone Pine Koala Sanctuaryは、コアラという名前を冠する施設だけあり園内の多くの資源はコアラに割かれていました。例えば「コアラを抱きかかえて一緒に写真を撮ることができる」といったようなものです。ウォンバットの立ち位置は「コアラのおまけ」といった感じで実際に目にしたのは二匹だけでした。

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ウォンバットです。ガラス越しではありますが、ついに本物を目にします。眠っているウォンバットは写真で見ていたよりもシュッとした印象です。この旅行の第二の目的がウォンバットに会うことでした。目的達成です。

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ウォンバットが丸太の上を歩いています。モフモフしています。触ってみたい。「いくら払えば抱かせてくれるのだ」という、やや響きの不適切な言葉が頭をよぎります。

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元々ウォンバットはどこか寂しげな顔立ちをしていますが、柵の中のウォンバットはそれを差し引いても寂しげに見えます。Youtubeで国立公園をモフモフと歩く野生のウォンバットを見ていたせいもあるのかもしれません。機会があれば野生のウォンバットを見てみたい。

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コアラのサンクチュアリ(聖地)ですのでコアラの写真も一枚。少し変わった体勢で眠るコアラは私に終電間際の新橋駅付近を思い起こさせます。何だか酩酊した中年男性がベンチで眠っている姿に見えませんか。

動物園にはカンガルーやタスマニアデビル、オーストラリアの希少種も多数飼育されていましたが、私はウォンバットが見られただけで十分に満たされました。動物園をぐるりと一周する頃、辺りの空気がユーカリに混じり雨の匂いを帯びはじめます。少し早めに切り上げ元来た道をバスで戻ります。部屋に戻り少し経つと土砂降りの雨が窓ガラスを叩き始めました。

水上バスで河口に向かう

 北海道から東京に移住してきた頃、両国から葛西臨海公園までの水上バスによく乗りました。季節は冬で、乾いた空気と北海道では味わうことのできない青空を満喫したことをよく覚えています。(私の故郷は冬は鉛色の空と相場が決まっていました)もしかすると漫画の影響もあったかもしれません。以来、訪れる都市に水上バスがあると、つい乗ってしまうようになりました。

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今回訪れたブリスベンにも水上バスがありました。東京のように観光客向けに用意されたものではなく、地元に根付いた交通機関として水上バスが機能していました。特に予定もありません。交通局のAppで時刻を調べ、最寄りの水上バス駅から河口近くの公園まで向かってみることにしました。

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最寄り駅のはしけ(艀)です。支払いは船内で行います。河口までは300円と少し、一時間ほどの旅程です。

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船内は市営バスと同じ素材の布張り座席が50席ほど並んでいました。通勤のピークタイムは超えているのか船内は穏やかな空気が流れていました。水上バスには自転車を持ち込んで乗船出来るスペースも用意され、何人かは自転車と一緒に乗り込んでいました。

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船窓からは河川脇にヨットや小型船舶が係留されている様子が、遠方にはストーリー・ブリッジが見えました。水上バスは時折り停留所に停泊しながら終点の河口を目指します。

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河口にある公園に到着します。公園内にあった軽食店でサンドイッチとフラットホワイトを注文し、川を眺めながら遅い朝食をとります。遠くのはしけでは親子連れが釣りをしている様子が見えます。私が人生の岐路で異なる選択をしていた場合、あの親子のようなルートも存在していたのかもしれないなと想像します。

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岐路は途中で下船し、来る途中に見えた煉瓦造りの建物に立ち寄りました。建物は下船した水上バスの停留所とは対岸にあります。ここで渡し舟に乗り換えます。

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水上バスとは異なりコンピュータ制御を持たない簡素な船舶でした。白黒のディズニー映画に出てきそうな木製の操舵輪(ハンドル)も見えます。このサイズであれば私でも操船出来そうです。

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下調べもなく「歴史的な建造物であれば博物館になっているだろう」と安易な考えで訪れると、内部は完全に改装され高級アパートメントになっていました。

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細かな説明はWikipediaに譲りますが、第二次世界戦中の軍需を満たすために作られた羊毛工場が改装され、現在はアパートメントとして第二の人生を歩んでいるようです。古い煉瓦造りの建物がこうした形で生かされているのは素敵です。付近には似たような建物が連なりヨーロッパの旧市街を思わせる街並みがありました。

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中庭は居住者向けの区画となり立ち入りはできませんでした。遠目によく手入れされた庭と居住者向けのプールが見えます。東京にも同じようなコンセプトの賃貸、例えば、明治期に建造された煉瓦造りの建物が改装された物件があれば一度は住んでみたいものです。

適当に辺りを散策し元来た水上バスのルートで宿泊先へ戻ります。相変わらず雨は降ったり止んだりと優れない感じで、水上バスのガラス越しに見える都市は夏の彩度を失っていました。もう少し天気が良ければ川沿いを散策したかったのですが、諦めて宿泊地に戻ります。

博物館をブラブラと歩いた話

 そういえば宿泊地の最寄駅近くには地域の歴史や動植物を展示するクイーンズランド博物館がありました。常設展側は無料で観覧できるようです。博物館好きの私にとって訪れない理由はありません。

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A7Vが入口付近にありました。

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グリエルモ・マルコーニという方が設計された、アマチュア無線機が展示されていました。古い無線機器についての知識がないので分かりませんが、中央に見える電極の構造などから花火送信機と呼ばれる方式のものであるように見えます。Wikipediaの英語の記事側には、この花火送信機の簡単な構造図と動作音がありました。広い周波数を占有するようですので(鋭いスペクトラムを作ることができない)、仮に送信機が動作したとしても種々の問題から即電波法違反になりそうです。

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ジェームズ・クックが利用したとされる星座表や方位磁針も飾られていました。オーストラリアに縁のある品々にグッときます。この他にも原住民の生活にまつわる資料、地域の動植物についての展示もありました。

展示を眺めながら、私は出発前に読んでいた「自然は導く」という本を思い出していました。本にはクックが原住民の持っていた高度な航海技術・天文に関する知識に感銘を受けた点や、アジアから渡る鳥のルートが原住民の航路とピタリと重なる事実などが紹介されていました。(展示物には本にあった渡り鳥のルートも紹介されていました)博物館の展示では展示の関係性を直接紹介することはありませんでしたが、私は読書によって展示品が緩やかな関係性を結んでいるように感じ楽しむことができました。

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別のフロアでは食器をテーマとした企画展が行われていました。これは一世紀のミルクパンだそうです。2000年も前の鉄器ですが、デザインが優れており古さを感じさせません。新宿にあるどこかの百貨店、タークのコーナーに辺りに陳列されていても違和感がない印象です。

ブリスベンでの旅行記(待機記)はこれでおしまいです。雨の中フードを被り夜中ブラブラと西の外れを散歩したり、スーパーマーケットでパック・スシを買い求めたり、(旅行の度に行う恒例行事です)何人かに手紙を書いたり、(土産を持ち歩くことが面倒なので、近しい人には絵葉書を送ることにしています)深夜に火災報知器で叩き起こされ屋外へ避難したりと、些細な出来事はいくつかありますが特に話も続きません。

待機中に感じていたこと

 私は5日間の待機中、世界情勢が急速に変化し国・地域間での移動が制限される気配を感じていました。この旅行は旅客船ではなく特別な方法で手配した貨物船への乗船です。船会社や船長の判断によっては最終的に乗船ができない可能性もありました。こうした理由から待機中は緊張の続く日々でした。(詳細は準備編をご覧ください)

一方、これは自分でも驚いたのですが、結構な時間と予算を要し組んだ旅程であったのにもかかわらず最終的には運に頼るしかない状況を楽しんでいました。端的に表現するのであれば、

コンテナ船に乗り損ね、ブリスベンでブラブラした話

でも悪くはないな、と考えていました。美味しいクラフトビールを飲み、ウォンバットにも会えました。単純な旅行と考えれば及第点に達しています。歳を重ねると、この辺りの期待値がいい塩梅になるのかもしれません。

ブリスベン貨物港へ

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 旅行5日目の正午、私は荷物をまとめブリスベンの貨物港に向かっていました。他の旅行同様に荷物はいつものバックパックだけです。宿泊地周辺から貨物港までは公共交通機関はなく現地まではUberを利用しました。市街地から貨物港までは40-50分程度、約5,000円の料金です。

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地図左下の青丸が宿泊地、右上の赤丸が貨物港です。

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運転手はインドの方でした。会話の中で出身地を伺うと、デリーから一時間ほど離れたところにある都市と教えてくださいます。少し強い英語のアクセントは自分の勤めるIT部門の人々を思い起こさせます。

道中、彼は「少しコンビニに寄っても構わないかな」と私に尋ねます。「もちろん構わない」と私は返します。コンビニの駐車場で待っているとコーヒー二つを抱えた彼が戻ってきます。「この位の許容がある社会は素敵だな」と感じながら彼から貰ったコーヒーを口にします。ミルクの入ったコーヒーはチャイのように甘いものでした。

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24号線を道なりに進むと港湾施設が立ち並ぶエリアが見えてきます。幾つかの環状交差点(ラウンドアバウト)を抜け貨物港事務所へ到着します。彼とはここでお別れです。長距離ドライブに感謝を伝え、少し多めにチップを渡します。

到着後に建物外部を撮影していたところ、関係者に注意を受け削除するように指示を受けました。このため事務所外部の写真はありません。

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事務所内部には厳重なセキュリティーゲートが存在しました。このゲートから向こうは関係者以外は入ることはできません。ここから隣接する「来客者と請負業者の窓口」(Visitor & Contractor Reception)へ移動し出国手続きを行います。

出国手続き

 事務所と比較すると窓口のある建物は簡素なものでした。プレハブ小屋が制限区画と一般区画を区切るフェンスの間に設置され、その両側に出入口がある施設でした。入室後に受付担当者より椅子に腰掛けて待つように指示を受けます。

数分で国境警備官3名が現れます。私の出国検査を実施した方々は、年齢は30から40前後、女性1人、男性2人の3人組でした。紺色の制服を纏い拳銃を携行していました。ここでも机の上にバックパックの中身を全て出され検査を受けていきます。(幸い、歯磨き粉を咎められることはありませんでした)この間いくつかの質問を受けます。

何故コンテナ船で帰国するようなことをするのか。
乗船中はどのような生活するのか、業務を行うのか。
何のためにオーストラリアに来たのか。
旅行はいったい幾らするのか。

また、カメラで撮影した写真を一緒に確認します。訪れたクラフトビール店の名前、どのタップが好みであったか、ウォンバットが好きなのか、といった質問を受けます。ほどなく出国に問題がないことを判断され「旅行を楽しんで」という言葉と共に彼らは持ち場へ戻っていきました。

机に展開された荷物を再びバックパックに詰め、検査を終えたことを受付担当者に伝えるとコンテナ港側の扉を指差されます。

受付: バスが来るからそれで船に向かって。
私: 出国作業はこれだけですか。
受付: これだけだ。
私: わかりました。

出国税は納めていますが、現地代理店への手数料は支払っていません。受付担当者にパスポートは手渡しましたが、一瞥されるだけで出国作業が済んでいるとは思えません。が、細かいことを気にする必要はありません。何か問題があれば後から請求や確認が来るでしょう。少しすると迎えのバスが施設の外にやってきます。(構内を撮影することは禁じられていましたので、バスの写真、プレハブ小屋の写真はありません)

ヒップホップが大音量で再生されるバスに揺られコンテナ港構内を移動します。「今日は酷い一日だったよ」と運転手にこぼされ「それは大変でしたね」と返しますが辛辣な歌詞のせいか全然酷くは聞こえません。

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「ここだ、兄弟」と言葉を貰い何の説明もなくコンテナ船横に取り残されます。甲板への通路が降りているのが見えます。多分、登るのでしょう。私はやっと旅行のスタートラインに立つことができました。

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