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現職について②

※このnoteは、私「さや」の生きた証です。自己満足、乱文乱筆失礼いたします。
※今後の投稿記事も含め、一切の無断転載を禁じます。




こんにちは、さや(@ lemonede0901)です。

今回は、ついに適応障害に至る直前について触れてみようと思います。
前回の記事 では、軽めに現職の経歴の途中まで書き出してみました。
多少ぼかしてはいますが前回に引き続き、そこそこ詳しく書いちゃった気がします^^; 身バレこわい^^;

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>③異動になった部署@1年
燃え尽き症候群となっていたであろう私は、②の部署自体がサービス終了に伴い無くなり、結果的に異動となります。
ここがまず運の尽きなのですが、仕事をする部屋ごと移動することになりました。

実は①と②の部署は部屋が一緒で、私的には過ごしやすい場所でした(窓なかったけど←)
今回で違う場所・部屋へも移動することとなり、その時点でかなりの不安を感じていました。
部屋が変わるということは、接する人もマルッと変わるということです。
新しい環境に中々慣れない私としては、結構キツい思いをすることとなります。

案の定、部屋のドアを開けることが怖い。陽キャばっかりの面子も怖い。
(前の部屋は比較的大人しめの方々が多く、黙々と作業をするような雰囲気だった)
毎日がドキドキの連続で、でも異動したからには誰にも嫌われたくなくて、とりあえず人一倍努力はしようとしました。
ちなみに適応障害を発症する部屋も、この部屋です。w

おかげさまでこの部署の先輩はいい人だったため、仕事面ではあまり困ることはありませんでした。
やっと覚えた知識を生かせてるかも?仕事できてるかも?って思えていた矢先のことです。
また異動の話が出ます。新しい仕事を必死に覚えて、たった1年という短さの中…またしても望んでいないにも関わらず異動となりました。

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>④異動させられた部署@半年
遂に来ました。私はこの部署で、適応障害になります。
おそらく違和感を覚えてすぐ何とかしていたら、こんなにこじれなかっただろうにとは思います。
そんな中、自分を追い込んでしまい半年我慢していたら、精神的にも身体的にも異常が出たのです。

まず、当初は③の部署の仕事と並行して、④の部署の仕事の研修に参加していました。
そんな中、社内プレゼン大会みたいなものに強制的に参加させられ、かなり追い詰められてしまいます。
これが9月?10月?とりあえず、秋だったはずです。

そもそも私は元々社会不安障害持ちのため、人前に出たり人前で話したりすることがとても苦手です。
ですがそのことは会社にオープンにしていないため、克服しようと思って練習をしていたら、③+④+プレゼンの資料作りみたいな感じでドンドン仕事が募り…遂に限界が来ます。
爆発してしまった私は家でずっと泣いていました。猫みたいに自由になりたくて、猫を見るたびに羨ましかった(この時点で休んでいればよかったなと思います)

プレゼンが何とか終わり、③の業務もしなくてよくなり、④の業務に本腰を入れ始めたときです。
まtttttったく業務についていけないんです。先輩が何を話しているのかわからない。
マニュアルも一応もらいましたが、それは経験者用で、未経験の私には専門用語ばかりで意味不明。
先輩に聞きつつ何とか業務を進めようにも、答えが一つではなく、色んなことを次から次に臨機応変に対応していく業務内容で。
私は、臨機応変な対応がとても苦手でした。悪く言えば、マニュアル人間で一つの答えをすべてと思っていたい派です。

それでも何とかもがきつつ、冬が来ました。ウフフ、冬季うつまっしぐらです。←
本当にもがきながら仕事をしていたので、毎日がその名の通り必死でした。
そして、少しずつ自分の違和感に気づきます。

・0か100か思考でないと気が済まない
・常に自責している
・希死念慮大爆発
・席に着いたとたん、頭が真っ白になりパニックになる
・お風呂反省会がすごい
・眠れない、寝つきが悪い
・胃が痛すぎる、吐き気はするが吐けない

こんな症状が積もり積もって、休職に入る直前、私は早退をします。
明確な希死念慮がありました。ぶっちゃけると、この日の帰り際、電車に飛び込んでしのうとまで思い詰めてました。
しかし、異変を察知したであろう家族が迎えに来てくれ、駅に行かずに済むという…

ちなみに早退した翌日は公休だったのですが、社員には社用携帯が渡されていたため、最低限仕事の連絡を見ることは可能でした。
いや平社員なんだし休みの日に見るなよって感じなんですけど。見ちゃうよね。気になっちゃってさ。

その公休の日です。ずっと意地悪な態度をしていたお局的な先輩から、パワハラまがいのSMSが来ているのを見てしまった。
急に自分を全否定されてしまい、泣こうにも泣けず、自責で追いつめられるばかり。
なんだ。私は居ないほうがいいんじゃないか。居ても迷惑になっている。
その公休翌日、出勤時に起きられなくなり、家族に相談→受診→休職→今にいたります。

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パワハラまがいのSMSがおそらく「もういいや。休もう」のきっかけになったのかなと思います。
そこで「もういいや。しのう」とならなかっただけ、よかったのかもしれません。

休職になって2か月くらいは、正直あまり記憶がないです。
ただ、もっと早く社会復帰できるだろうと甘くは見てたかな。蓄積疲労がとんでもなかった…

私よりももっと強烈な経験をされ、休職に至った方もいらっしゃるでしょう。
私の休職に至るまでは、このような経緯です。ポキッと心が折れたような感覚でした。
そしてその心は中々復活しません。包帯をグルグルに巻いておかないと、また折れちゃいそうですし。

とりあえず備忘録として、記しておきます。