ポンコツ職務経歴①

※このnoteは、私「さや」の生きた証です。自己満足、乱文乱筆失礼いたします。
※今後の投稿記事も含め、一切の無断転載を禁じます。
※ハラスメントや自死に関する記載があります。思い出したくない方は、自衛をお願いいたしますm




こんにちは、さや(@ lemonede0901)です。早くも三つ目の記事となりました。
結構思いつくままに文章を羅列しているので、脳内や気持ちの整理にもなっており、私にとってはリハビリのようなものかも。

今回は、短期離職も含む、ロクでもない私の職務経歴について書いてみようと思います。まずはその①、新卒編です。
多少ぼかしてはいますが結構詳しく書いちゃったので、、攻めすぎたかな^^; 身バレ覚悟ですね^^;

ちなみに一つ目の記事の自己紹介のとおり、私は30代前半喪女です。
そのため一応社会人経験10年程度ありますが…ポンコツだと思われます。。

という訳で、なかなかパンチの効いた一社目から書いていきます。

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<正社員_販売促進事務@新卒~5年程度>
30代前半喪女、とはいえコレを書くと、おおよその年齢が推測されてしまうと思うのですが…私が就活をしていたとき、世界は「リーマンショック」という不況の渦中でした。
しかも私の最終学歴は短大卒です(こちらも今後、記事にしようと思っています)なので、大卒の方々に比べたら尚更求人がありませんでした。
そんな中、短大の進路指導室に有った地元企業の求人を見つけ、受けてみたところ内定を得た…という感じです。

ちなみに短大時代は割と遊んでいて(恐らく人生で一番楽しかったw)、就活しなきゃな~なんて思いつつ…合同説明会に行ってみるもののピンと来なかったり、面接が苦手だったりで…結局受けたのは合計3社くらいでした。
そのうちの1社が、このときの会社です。不況の割にさっさと受かってしまったので、おバカな私はここで就活を辞めてしまったのです。ここが運命の分かれ道だったのかもしれません。

試験自体は確か、書類⇒デザイン選考⇒SPIみたいな試験⇒面接⇒最終面接、といった感じで、地方の中小企業の割には結構ステップを踏まされていたと思います。笑
前述のとおり、当時リーマンショックで内定取り消しなども頻繁に起こっていたのですが、この会社、「ウチは内定取り消ししませんよ★安心してね★(意訳」っていう文書をご丁寧に郵送してきたことを覚えています。当時は「わ〜なんて丁寧な会社なんだ」って思ってましたね。地獄の始まりだったのに…

まず現場(工場のようなところ)で研修⇒視野を広げる(という名目の)出張⇒正式に部署へ配属、という感じになってたはずです。
当時は若干二十歳。ペーペーで右も左もわからないままの私ですが、よくわからないなりに頑張っていたなと思います。

販売促進事務、ってあまり聞かない感じだと思うのですが…う~ん…広報みたいな感じですかね。社内報とかも一時期作っていたし、現場に飾るポスターやパネルを作成することが主な仕事でした。あとは拙いですが、webサイトの編集もやってました。
辞める直前は本当に何でも屋と化していて、受付・販売促進事務・営業事務・経理事務みたいな役割を一気に一人で担っていました。苦笑

そしてこの会社を辞めた理由は何個かありますが、結構強烈なので未だに親でさえも「本当?」って疑ってきます。笑 それがコチラ↓
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①「基本給」が5万円以下
②朝のお茶出し、夕方のゴミ出しがある(女子社員限定
③続々と管理職が辞めていく
④割とわかりやすいハラスメント
⑤労基×2、国税局×1、おまけに社長が訴えられるw
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①「基本給」が5万円以下
ね?ヤバくないですか?笑 基本給が5万て。真顔になっちゃいますね。
誰も信じてくれないんですけど、本当の話です(例えば月給「17万」だったとすると、「基本給」が5万程度+謎の職務給(?)で12万程度で帳尻を合わせる、みたいな)

そのため最悪だったのが、一応支給される年二回の賞与(というかほぼ寸志w)も退職金も、スズメの涙みたいな金額でした。笑 本当に…高校生のちょっといいときのお年玉みたいな。そんな程度でした。

今思えば、辞めた時に労基に駆け込めばよかった…と思います。でも、当時はそんなことよりも解放された喜びが勝っちゃってました。一刻も早く逃げたかったしね。

②朝のお茶出し、夕方のゴミ出しがある(女子社員限定
朝のお茶出しも、ステレオタイプのアレです。昭和かよ、っていう。
もちろん早出手当とか出るはずもなく7時には会社に着いて(始業は8時半)、全従業員のコップを出す⇒その人の好みに合った飲み物を作る⇒出社して来たら出す、という謎のプロ仕様でした。w
(例えば●●さんはコーヒーはブラック、▲▲さんは冷たい緑茶しか飲まない、■■さんはコーヒーにミルクと砂糖を一杯ずつ入れる、みたいな)
ちなみに本当にどうでもいい知識なんですが、各従業員のコップの柄も覚えてました。w

ここで若い女子社員が年配の男性社員に、好みの通りに作った飲み物を出したりすると、さも当然のように「やっぱり若い子の淹れたお茶はおいしいなあ///」とか言われちゃう感じの社風でした。

夕方は夕方で、朝出した飲み物のコップを洗う作業、ゴミ出し、掃除道具などの洗濯がありましたね。
とはいえ抱えている仕事を中断してこの作業をしないといけないので、うっかり忘れることもありました。にんげんだもの。
すると烈火のごとく怒ったお局が飛んできて、早くやれと急かすんですよね。笑 いや気づいたお前がやれや。←

③続々と管理職が辞めていく
まず一年も経たないうちに、私の採用面接を行ってくださった「常務」が辞めました。爆
この時点で、流石に新人の私も「ん…?」と会社に対して不信感が募りました。そりゃ思うよね。普通の会社なら急に常務が辞めないと思うしね…

次に、「係長」「課長」などの役職者たちが続々と辞めだしました。
というのも、おそらく上層部に意見したり逆らったりした場合、本社→僻地へ異動…みたいなことがまかり通っていたからじゃないかなと。
そして、辞めたら辞めたで後釜…もとい、よくわからない経歴の人を続々と採用して、その方々を辞めた方のポジションへ据え置く…という入れ替え作戦を行ってましたね。

あれは私が二年目だったかな。雪が降りそうな寒い冬の朝でした。…過労によって、自ら命を絶たれた管理職の方がいらっしゃいました。
あの日のことは、もう本当に忘れられません。。本当に辛かったんだろうな。。三日前くらいに電話で声を聞いたときは元気そうだっただけに。。きっと一生忘れることはないと思います。

最終的に、私と同じタイミングで「副社長」が辞めました。いやいや、、会社のトップ2だよ…副社長って…
もはや泥船、これまでかといった感じです。私が辞めるまでに恐らく数十人規模で辞めていると思います(ちなみに同期は3人いたのですが、もれなく全員辞めました。w

④割とわかりやすいハラスメント
前述のようなセクハラ、パワハラは結構日常茶飯事でしたね〜…
もっとあからさまなセクハラもあった(私にはそこまでなかった…と思いたい)し、パワハラも肉体的なものに限らず精神的なものもあったと思います。髪の毛が急に真っ白になった課長とかいたし。

もちろんお局もいました。笑 「さやさん!スカート丈が短いわよ!!」とか注意されたけど、お前のが短かったよ^^
昼休みはいかにもOLの昼休みといった感じで、悪口・夕飯の献立・韓流ドラマ・芸能人のスキャンダルで大体構成されてました。w

大声で部下を怒鳴りまくる部長とかもいたし、電話でひらすらネチネチ攻撃してくる課長とかもいましたね。本当に嫌だった。この頃から急激に病みだした気がします。w

一番強烈に覚えているのは、私がインフルエンザになっても出勤させられたことですかね★今思えば本当に有り得ないしダメなんじゃ…?
熱が40度近くある中、請求書必死にさばいて電卓叩いてましたよ…多分三年目くらいだったかな(アナログな会社だったので、伝票をひたすら電卓で手打ちする作業をしてた)

⑤労基×2、国税局×1、おまけに社長が訴えられるw
私が働いてるときは一回目の労基介入しか知らないですが、辞めた後に↑のようなことがあったらしいです。w
というのも、残業代未払いがバレたようでした。社員がチクった…という話を小耳にはさみ、内心GJと思いました。笑(この後、残業一切禁止となります…極端だな…)

私的に社長が訴えられたのは「人生でウケる出来事ベスト3」に入るのですが、これは私が辞めた後のことだし詳細を書くと速攻でアウトだと思うので事実だけとさせてください…w

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とりあえず、こんな感じのところでしたが「石の上にも三年」どころか「五年」もいました。。
というのも、仲が良い先輩や面倒見の良い上司もいた…つまり私を取り巻く人間関係に関して言えば、私にとってはそれなりに良かった=続けられてただけですね…
仕事内容も、モノ作りという観点から見れば好きな部類だったことも、なんとか続けられていた理由だと思います。

でも、辞めました。
このままこの昭和みたいな会社で働くことが怖くなったから。
拭いきれない違和感を抱えつつ働くことが辛かったから。

そしてここから、色々な業種(?)に手を出してはうまくいかなかったり、何とかしがみついたりといった感じに…

人生いろいろですね。
いろいろ転がって形成されていけばいいかな〜なんて、無理やり前向きに捉えています。