『小山田圭吾炎上の嘘』読んだ
小山田圭吾 炎上の「嘘」 (中原一歩 著)を読んだ。
Corneliusの長年のファンであるにも関わらず、
私はなるべくこの件は見ないよう、ニュース等々全てスルーして、30年過ごした。
30年って。自分がイヤな気持ちにならないために。これは傍観でもなく、何も考えようとせずにいた証拠。Tシャツだけはちゃっかり買っててとても恥ずかしい。
例の雑誌は中学生の時に私も見ていた。
間に受けなかったがずっとモヤモヤはしていた。私も無知で未熟で自分の意見がなくて、HEY! HEY! HEY! 観て、ウギャーーーッと過剰に熱狂していた子どもだった。
2021年の騒ぎが日本中で起こって、一体どのような5日間を過ごしたのか、初めて知った。小山田君はいつも飄々としているので、炎上なんて(時が経てば)平気だろうと私は思っていた。そんなわけは無かった。
ひとりの人が音楽を作り
ひとりの人が雑誌にした
ひとりの人がブログを書いた
ひとりの人が新聞に載せた
ひとりの人がツイートした
ひとりの人は千に向けて
千はひとりに向けて
言葉が人を刺した
だから刺し返した
それで人類、いいんかいな
どうしても「あの時ああしていてば、こうしておけば」(あのタイミングでちゃんとした釈明をしていれば等)が付き纏うけれど、この罪悪感とともに生き続けるのは本人であって。何でよく知らない人がよく知らない人に対して、石をぶつけ続けたのか。あの時騒いでいた人全員に、そんなに<正しい>生き方をしてきたんか?と問いたい。
イジメはいけないなんて大前提だけど、
国民が同じ「思想」を持ち、総攻撃する恐ろしさよ。
この社会って何かおかしくないかって部分を、日本はいま戦時中じゃないんだから、私たちは語り合う必要があったのだ。ひとりひとりが、善悪や白黒の答えじゃなくて、ぼやぼやモヤモヤしている渦そのものを見る力を持って…。
(それを当時、矢面に立ってやったのが、爆笑問題の太田さんやドミューンの宇川さんらだった)
中原さんの本はとても分かりやすく内容も濃かった。新聞が第一情報とした場合、火の粉がどのように拡がったのか。一連の流れを一歩外から見つめ直す。
それを図や絵で説明することもできるのだろうけどそれは絶対にしない、ノンフィクションライターの気概のようなものも感じた。だってそれをしてしまうと「あの見出し」と同じことになってしまう。
物事を単純化させてはいけない。世界は擁護派とバッシング派かのどちらかだけではない。
ただ、英語で“記事”にした場合、元々主語がなかった見出し文に、“I”がついて世界に拡まったという話も入れて欲しかった。
ロッキングオンの「<引き>があれば何でもいい」と、派手な見出しをつける編集テクニック。話をすり替える話法など、ロック雑誌なのにクソダサい対応にがっかりだった。
しかし、もし私の友人が炎上をしていたら、私は手を差し伸べることはできただろうか。小山田君の周囲にいた仲間たちのように。
私も、ダサい大人になってしまった。
子ども時代、小山田君は私に「いい音楽」のすべてを教えてくれた(コンピレーションや、ラジオ、雑誌等によって)。文化的な基盤を築いてくれた。私は影響を受けてデザインの仕事についたけれど、今や意に沿わないダサい仕事もホイホイ請けているような状況だ。
面倒そうなことからは逃げる、見たくないものにはフタをする。私もそういう社会の中の一員で、私もそういう社会の空気を作っていたひとりなんだよな…、と思う。
それでも、矢面に立って「おかしい部分はおかしい」って言える人間でありたかった。違和感と、環境と、心理と、社会を、ちゃんと俯瞰し見る力を持ってなくちゃいけなかった。あとは、「私はこう思ってます!」と言える勇気と。
アメリカのポリティカルコレクトを逆手に取ってやり合う政治の異常性や、日本の正義の面したマスコミやニュース番組の異常性、いつまでやってんだこの戦争。
つくづく私たちは変な世界を生きている。
これも何かがまたアップデートされているのだと信じてる。
読んでよかったです。
Corneliusの音楽もずっと聴き続けます。
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