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天使のきょうだい。

天使ママ。
私がこの世に生まれ落ちる1年と5ヶ月前、姉の命を奪った病である18トリソミーを調べていた時に出会った言葉だ。
小さな命を亡くした母親を指す言葉。twitterやnoteで、このタグを使った投稿を読み漁った。私の母も、姉を亡くした時、こんな気持だったのだろうか。考えても詮無きことと知りながら。

探し続けている。
交わることのない時間を生きた、大切な人を想いながら生きている、私と同じ気持ちを持つ誰かと、等身大の言葉で話してみたい。
天使ママの繋がりはtwitterでもたくさん見ることができる。しかし、いないのだ。「天使のきょうだい」は、あのコミュニティの中に当事者として存在を見かけることが殆ど無い。
俺が異常なのか?
写真の中でしか会えない姉を想い続けている俺がおかしいのか。普通はもっと割り切って生きるものなのか。
何人兄弟か、と聞かれたときに、未だに答えに窮してしまうのはおかしなことか?息苦しさは、わかってもらえない。
姉の話をした友人の中にはそんなことにとらわれず生きろ、という人もいた。彼女なりのエールだったんだと思う。でも、姉から離れた人生は。それは姉を裏切る人生で、俺を裏切る人生だと、心の底から言えてしまうから、苦しみも甘んじて受け入れようと思う。

会いたい、と思う。
愛しているのだと、伝えられたらそれだけで楽になれるのに。
こころがキリキリ痛むような哀しさ、愛しさ。
伝わらないんだなぁ。
姉とともに生きたい。忘れたくない。姉を遠い過去に置いてけぼりにしたくなんてない。姉に誇れる人生を生きたい。
どれ一つとして嘘はないのに、血を吐くような思いで出した言葉も、受け取った側を困惑させるだけで終わってしまう。

これ以上は駄文になりそうなので、今日は切り上げて寝ようと思う。
誰かに、聞こえるだろうか。

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