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二つの星空

来年の春かぁ…
青林が洗面所に消えて、1人になった部屋で呟く。
ヒンヤリとまだ冷たい朝の空気と、満開の桜の花とその隙間から見えた青空が脳裏に蘇る。

あの時は未知の生活が始まって手探りの日々で、ゆっくり桜の花を味わう心の余裕なんて無かったなぁ。
ただ、せっかく咲いた花が誰の目にも触れず散っていく事が寂しかった。

来年の桜はあおちゃんと一緒に見る。
2人で見上げる桜の木…
思い浮かべるだけで心がふんわり柔らかになる。

1人じゃないって温かい。
こうやって少し先の約束ができて、楽しみに待つ時間が愛おしい。

じんわりと幸せを感じながら美々はテラスに出て空を見上げた。
冬の空気は澄んでいて、雲のない夜は美々の家からも星が綺麗に見える。

「はぁ…」
星を見上げる美々の吐く息が白い。

「美々ちゃん?風邪ひいちゃうよ?」

風呂から上がった青林がそっと美々の肩にストールをかける。

「綺麗だね…。」
美々の隣で嬉しそうに星を見上げる青林。

気付かれないようにこっそり見る青林の横顔は、洗ってサラサラの髪のせいかいつもと違って見える。

「あおちゃん…
今ね、星を見ながら思い出してたんだ。
今年の春のこと…」
美々は星空を見上げながら話し始めた。

「うん?」と美々の横顔を見つめ、黙って話の続きを待つ青林。

「今年の春、ちょうど新型ウイルスの感染が広がり始めた頃ね、手探りの毎日が続いていて、家に帰ってくると体も心もヘトヘトで…
そんな時に時々窓から空を見上げてたんだ。」

「うん」
青林は優しく囁くような声で相槌をうつ。

「その日も窓から空を見上げていたら星が凄く綺麗で…
あぁ綺麗だなぁ。綺麗だねって話したいなぁと思ったの。
でも、綺麗だねって話したい人がいなくって…
一人だなぁ…一人ぼっちだなぁ。
そう思ったら何だか涙が出ちゃって」

「私は大丈夫。私は1人でも平気…」

「そう言い聞かせるけど、自分でも何だかよく分からない気持ちになってね…
そんな時に檸檬さんからメッセージが来たの」

「コンビニに寄ったら偶然草モチを見つけました」
「大丈夫?大丈夫ですか?」
「今夜は星が綺麗に見えますよ」

「あっ…」
青林は、突然自分が美々の話に登場した事に驚きつつ、それぞれ草モチと檸檬として過ごしたあの夜の事を思い出した。

「そうだったんだ…」
何かを押し殺すような声で青林はこたえる。

「あの時嬉しかったんだ…
私の事を思い出してくれた人がいる。
私の事を心配してくれる人がいる。
同じ星を見て綺麗だねって言ってくれる人がいる。」
「そして今は、こうやってあおちゃんが隣にいてくれる…
隣で一緒に星を見て、綺麗だねって話ができる」

しみじみと幸せそうに話す美々の横顔を黙って見つめていた青林は
「美々ちゃん風邪ひくよ。そろそろ部屋に入ろう」
美々の背中に手を回して部屋に戻ろうと促した。

「美々ちゃん、ここに座って」
美々の手を取りベッドの端に腰掛ける2人。

「さっきお風呂に入りながら思い出してたんだ」

今度は青林が話し始める。
「美々ちゃんが草モチとして話してくれた春先の話…
ごめんね…僕、全然気付かなかった。
あんなに近くで仕事してたのに、美々ちゃんの不安な気持ちの裏返しの責任感とか、色々全然気付いてなかった。
そして、美々ちゃんが1人で泣いてたなんて…
そんな事聞いたら…僕たまらなくなって。」

「あおちゃん!そんな…謝らないで。
あれは産業医としての責任感とか不安な気持ちとか…今だから言えるっていうか…
あおちゃんに聞いてもらって、
私も、やっとあの頃の気持ちを手放す事が出来たというか。」
「それに、あおちゃんあの頃は…」
我孫子さんがいたでしょ?と言いかけると青林が美々の言葉を遮った。

「そうだよ。
あの頃の僕にはその資格が無かった…
もし知ったとしても、美々ちゃんの不安な気持ちを受け止める事はできなかった。
でも何も出来なかった自分が悔しくって」

「あおちゃん…」
青林の言葉に胸がつまる。

「美々ちゃん…抱きしめてもいい?
あの時出来なかった分、今抱きしめてもいい?」
美々の目を見つめて囁く。

胸がいっぱいで言葉が出ない。
言葉にしようとすると泣いてしまいそうで…

青林は何も言えない美々の目を覗き込むように見つめていたが、美々の目から溢れる涙を見た瞬間そっと抱きしめた。

「美々ちゃん…ごめんね。
頑張ったね。もう大丈夫だよ。
これからは僕がいるから…
もう1人じゃないよ」

「あおちゃん…
あおちゃん…ありがとう。」
「どうしよう涙が止まらない…」

抱きしめていた青林の腕に自然に力が入る。
ギュッと強く抱きしめ、そっと美々の背中をさすり、優しく頭を撫でる。

「あおちゃん…ありがとう」
青林の腕の中で照れたように微笑む美々を見て、頬に残る涙を長い指でそっと拭う。

「泣かせちゃったね…」
青林はちょっと困ったように呟き微笑む。

美々は微笑む青林を見つめて
「ううん、嬉しかったの。
凄くホッとして嬉しくって…
あぁ、もう1人じゃないんだなぁ。
幸せだなぁ…と思ったら涙が止まらなくなっちゃって…」
微笑みながら話を続けようとすると…

青林はじっと美々の目を見つめながら
「美々ちゃん…僕も嬉しい。
でも今は少し黙ってて…」
少し掠れた囁き声でそう言うと、美々の頬に手を添える。
どんどん近づく青林の目に心臓の鼓動が早くなる。
目を閉じると柔らかくて温かい感触。
さっきのそっと触れるような口付けとは違う。
熱くて甘くて…
青林の背中に回した手にギュッと力が入る。

「美々ちゃん…」
耳元で青林の声が聞こえて目を開けると、
何かを問いかけるような眼差しの青林がいる。

「美々ちゃん…大好きだよ」

そう囁くと青林はもう一度美々の唇に触れ、そのままそっとゆっくりベッドに倒れ込んだ。

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