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新しい自分と引き換えに

沢山の自分を殺した


物心つく頃に、妹ができて私は長女になった。
大きくなるにつれ少しずつ姉という自覚を持ち始めた。
妹の世話や家事で大変そうな母を見て迷惑をかけないようにしようと思った

それから、小学2年生の頃また妹ができた。
真ん中の子の世話は一部私がするようになった。
今も昔も母は3人に満遍なく愛を注いできた。
でも何となく寂しかった

二人の姉になった私は二人分楽しかったけどもちろん二人分叱られた
なぜか責任感だけが膨らんで自己主張が控えめになった

我儘な自分を殺した


小学校高学年の頃内気な性格が徐々に悪化した
心の中では自分の意見は溢れているのに言葉にしたり行動に移すには勇気が足りなかった

そのままあっという間に中学生になった
内気な性格は相変わらず治らず、おまけに表情まで固くなった
そのせいで男子から馬鹿にされた
表情が暗く感情をあまり表に出さない私を面白がった
あだ名をつけられたり、ものを隠されたり、毎日ちょっかいをかけてきた
「なんで笑わないの?」
「なんで怒っているの?」
嫌なくらい何度も言われた
別に怒っていないし笑えないわけでもない
本当に面白いときに素で笑いたいだけだった

人前で泣くのすら我慢していたけどある日限界を超えてその場で涙が溢れた
先生が駆けつけてくれた
その日を境に、もうちょっかいをかけられることは無くなり
私は作り笑いが上手くなった
面白くないけど笑った

内気な私を殺した


よく笑うようになってから友達も増えた
人間関係はとても難しく、お互いの守りたい気持ちや繋がる糸が増えて絡まって縺れて

切れた

私は中学卒業間近に、数いる友達の中でも一番大切な友達を失った
誰にでもいい顔をすればいいと思っていた
友達はいればいるほどいいと思っていた
そしていつの間にか嘘までつく欲張りな人間になった

一番守りたかった人まで埋もれさせて知らないうちに傷つけて手放していた
沢山沢山後悔した

それから長い時間とタイミングとチャンスが少しずつ私たちを引き寄せた

後になって気づいた
抱えられるものには限りがあること
大切な人は本気で守らないといけないこと

欲張りな私を殺した


高校にあがって吹奏楽部の部長に任命された
しないといけないことが沢山で大変だった
部員より上手くないといけないプレッシャーが苦しかった
死ぬ気で練習したし、常に周りに気を配って部員一人一人大切に関わった
中学で副部長を務め、嫌われポジションを経験した私は、もう高校では嫌われたくなかった
上手くこなせていたと思った

だけど顧問に沢山叱られた
下手だと、皆を引っ張れていないと
部員の失敗もすべて背負った私に
理不尽な言葉ばかりが降りかかった

人前では泣かなかった
でも陰では涙が止まらなかったし過呼吸にもなった
壊れそうだった
悔しかった
死にたいとも思った

確かに仕事をすべて一人でこなすそうなんて無理だった
でもこんな大変な仕事を他人に任せるのが怖かった
申し訳なかった

褒められることのない顧問の言葉
失敗を繰り返す日々
自信なんてどんどん消えていった

自分の自信を殺した


今もずっと自分と戦っている
環境や関わる人間の変化に自分が歪みかけることもある
だけど、空っぽにはなりたくない

自分を愛したい

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