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助け舟は来てる

真夏の暑さが堪える今日この頃、
頭は涼を求めて、プールをイメージし、
ぶかぶか水に浮いていたら、ふと昔耳にしたある話しを思い出しました。

————————————————————————敬虔なクリスチャンのその男は、神を信じ、崇めていました。
ある日、男は川縁を歩いていたら、うっかり足を滑らせ川に落ちてしまいます。
川の流れは急で、必死に岸まで泳ごうとするが、どんどん流されていきました。
そこに偶然、ボートが助けに来ます。
ボートから助けの手を差し伸べたにもかかわらず、
男は、「大丈夫。私には神様がついているから。神が助けに来てくれるから、あなたの助けは必要ない。」
そう言って、ボートには乗らず、
ボートは行ってしまいました。
それから男は、更に流されていきました。
別なボートが、また助けにやって来ました。
その男を助けようと、手を差し伸べるのですが、
またしても、
「私のことは神様が助けてくれるから大丈夫。行ってくれ。」
と助けを断ってしまいます。
その後、男はとうとう力尽きて、溺れて死んでしまったのですが、
死んだ後の天国で、神様に会うことができたのです。そして男は神様に尋ねました。
「どうして、神は私が川に落ちて流された時、助けに来てくれなかったのですか?」
神は男に言いました。
「何を言っておるのだ!2回も助けのボートを出したではないか!」

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この男は、神の手が自分を川から救ってくれると思い込んでいたので、ボートが助けに来ることは、自分が思う助かり方ではなかったということです。
自ら助かる道を閉ざしてしまう、愚かさには気づいていないと言うことです。

人はいつだって、助けを求めればどんな形であろうと、助けは来るのです。
ただ自分の思い込みで、自分が思ったのと違うと、そのことに気づけなかったりするのです。
辛い時や困っている時、純粋な人の好意を断るくせに、なぜか悪意を受け取ってしまうという負のループに嵌まってしまったりすることもあります。
気がつかないというだけで、この話しのように溺れてしまうこともある。助け舟は違う形になってヒントやメッセージ、脱却するきっかけという形になってくることもあるのです。


「こうでなければならない〜」
「これは、こうだから…」
という思い込みや観念を手放して、柔軟で軽やかになって、助け舟に気づきましょう。


前回書いた「断捨離の習慣化」でも出てきますが、これも手放していく思考の断捨離ですね。

要らなくなった観念を、どんどん手放して目醒めていくことは、本来の魂の道を歩めるようになるのです。



最後まで読んでいただきありがとうございました😊🙏


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