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子育て中の些細な意思決定はどうやって行うか

子供が産まれてきてから、日常生活の何気ない、育児とも直接関係ないような意思決定でもやっとすることがたまにある。

例えばある週末、家族3人の外出。アクシデントがあったりして予定していた用事(不急の用事。でも夫婦にとって大事な息抜き。)を全てこなすと予め目安にしていた帰宅時間を過ぎそうだなあという時。夫の「ここで帰るか用事をすませるか、決めて良いよ」という言葉に猛烈にもやっとした。

まだ静かに寝んねしている我が子。もうちょっと持つかも。
でも今引き返せばもう一回外の授乳スペースは探さずに家に帰れる。
いや、用事を済ませても、帰り道さらに寄り道しなければ少しのタイムオーバーで無理はないかも。
とはいえできればせっかく電車に乗ってやってきたので息抜きしたい・・・
いや、やっぱり起きた時の我が子の機嫌もわからない。

どっちのルートもぐちゃぐちゃ考えて、この日は家に帰ることにした。でも、考えながらもやもやが増大した。

何にもやもやしているのか突き止めたいと思ったので、夫に文句をいう前にまず帰ってから家のトイレで考えた。
もやもやの正体は、こんな不満だった。

私の意思決定の責任重くない??しかも意思決定する元になるデータらしいデータがなくて、子供は不確定要素そのものの存在で、もはやギャンブルじゃない?そしてゴールは何?大人の欲求を満たすのか子供に無理なく過ごすのか、3人が笑顔になれる方法か、夫は何を望んでいるのだ?なんで私の一存で決めなきゃいけないのだ!一緒に考えてくれ!

一方で、意思決定を求められるのは私でもおかしくはない、という自分も心の中に存在した。育児休業中の私は毎日一番近くで子供を見て、子供の生活リズム、今の育児のルールをデザインしているメイン担当である。夫はそれらに共感して一つ一つの育児にかかる作業については全て協力してくれているサブ担当。私がメインである限り、このようなケースも私が決めてしかるべきなのかもしれない・・・

後者の私は頭で考えていて冷静だったけれども、感情としてはやっぱり前者のもやもやに引っ張られて、納得できない気持ちになった。
なぜ納得できないかと考えた時、やっぱり夫にも意見を述べてもらいたいと自分が思っていることがわかった。

ちなみに、冒頭のもやもやイベントの後、夕飯のメイン材料をどこで買うかという議題が持ち上がった。私が現在地から近いハブ駅で途中下車して美味しい魚を買うという案を述べたら、夫はその街のデパ地下は今の時間帯混んでおり、ベビーカーで移動するにはタイムロスがあると述べた。その上で、より自宅に近い駅ビルで買ってから帰ることを発案してきた。
その案は私には思いつかなかったのでそれでいいと答えた。

この意思決定こそが理想的な流れだと思った。
子供が絡む意思決定もこんな感じでやりたいという思いがある。

今回は、その場で整理されていないもやもやをぶつけず、一旦家まで持ち帰ってトイレで考えてよかった。こういうケースは、夫にも外部有識者としての意見を聞きたいとした上で、自分の考えを述べれば良かったのだと思う。ちょっとムカつくと思わずおおごとに捉えてしまうけれども、何でも一つ一つのコミュニケーションだよな。

その一方で、これから私が復職したらもっと大きなことも含めた育児の意思決定ってどうやってこなしていくんだろうと思う。どちらもフルタイムで働いて、メインとサブの境界はおろか、担当領域すらすごく曖昧になるかもしれない。

まだまだ似たようなことで揉めそうだが、自分がどうしたいのか振り返って言葉にしていく癖は大事にしよう・・・とタイトルから離れた感想を持っている。

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