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映画感想『銀鏡 SHIROMI』

映画『銀鏡 SHIROMI』を観て。

⚫︎鑑賞のきっかけ


普段は立ち寄らないデパートの地下にふらっと降りてミニシアターがある事を発見。
大手シネコンに慣れた身ゆえ、一面に並ぶ紹介チラシの多様さに驚きながら物色中に公開前のチラシに一目惚れ。

神楽への単純な興味から観たくなり、少し無理して予定を詰め込んでの鑑賞となった。

⚫︎全体の感想

とても淡々と地域の日常が映されていく。

1年を通した折々の催しも例大祭の神楽も、そこだけが浮かび上がるわけではなく、人々の暮らしと地続きのその地の在り方そのものという印象。

それが神楽に焦点を当てた映画の全編を通して伝わってくるのは、作り手の皆様が誠実に写し編集したからだろうなと感じられる。

祭りの在り様に関わる大きな出来事を映画の中に含みながら、それでも一定に流れ続ける地域の日常の時間があり、だからなのか逆に何とかしようとする地域の方々が静かに印象に残る。

神楽だけでなく神楽を包括する地域そのもの、そこに流れていて流れ続ける時間があり、その中で今という部分を取り出したのだ、というスタンスから、祭祀を核とした在り方全体が際立って、地域まるまる息づく生命そのもののようだった。

⚫︎地域を紡ぐこと

地域に継がれてきたものの「そのまま」を残すという、先人に対して真摯な向き合い方が印象にある。

それは地域が変わらないということではなく、核を変えないように変わるということとで、過疎化が進む中で山村留学や6次産業による経済基盤作りの取組みがあった。

雇用創出を担う会社は「1000年生きる村」を掲げ、事業を守ることや繋ぎ続けることの意義の大きさに並々ならぬものがある。

今の人々が新しい取組みを織り込みながら連綿と地域の在り方を紡いでいる、その一端を知った。

この地域で生きることは地域と渾然一体で、生きる意味・意義の一方に確かな重みがある。

都市では、生きること・働くことに地域性に依存する要素は少なく、愛着はあるかもしれないが、地域と自分の在り方とにはある程度の距離がある。
それは自由という一方、方向性や意義を見失ったという面もある。

人の営み・アイデンティティの場所性について、映画では純粋に銀鏡のことだけだからこそ、対比が強く効いて自身に問いかけた。

⚫︎その他

・宇宙
生命体に含まれる炭素は宇宙に存在し、そこから生命体の形になるには振動が必要で、神楽の拍子というのはとても本質的なものなのではないか。という映画冒頭の提起。

また、神楽の式一番は星の神楽。

日常の中、神楽のその時は宇宙と交信しているという、祭祀・映画の時空間に広がりがある。
奥深さ。


・神楽
面そのものが神様で、それを着けて舞うというのが面白い(神楽面でもあり、神面でもある)。

神面をつけて舞うのは、まさに神様が降臨すること・目の前に顕現させることのようで、舞手が神主や宮司等限られた人であるというのも納得。

祝子は精進潔斎をして神楽に臨むといい、面を着けることもあわせ、要所が似る能楽の翁が神事であることや日本の信仰・芸能に興味が向く。

天岩戸開き、猪の首の供物や五色の幣等、神話だけでなく原始的な宗教の姿や修験道の要素が見られる複雑な神楽だそう。

・柚子
在来のものがあったのを苦労しながら開墾・広げたという柚子が地域産業の根幹。
しめ縄に柚子の銀色のマークが美しいプレミアムな柚子商品は、有機JAS認証のもの。

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