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子どもの頃の好きな色

4月も始めを過ぎて、会社へ向かう途中に新一年生の集団下校とすれ違う。

先生や保護者の方の「列を乱さないように」との注意は聞いているようで聞いておらず、列の形は保ちながらもでこぼこ左右にはみ出す元気の良さが面白い。

ただ、目を引かれたのはその元気の良さだけではなくて、背中に背負ったランドセル。

キャメル、水色、すみれ色、ピンクにネイビーとポップでカラフルなものが続き、自身馴染んだ赤や黒を探しても見当たらない。

ランドセルの色の多彩さに時代の移ろいを感じるとともに、果たして自分が小学校入学前の年齢で好きな色を明確に選べただろうかと、ふと疑問に思った。

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振り返ってみると、ランドセルの選択肢は赤一択で特に選んだという記憶もない。
ある日売場に母親に連れられて、購入済みの赤色のランドセルを手に取った。

ただ、思い返してみると、図画工作の授業用に購入した学校指定のスモックは2色から選べたのだった。

クリーム色かソーダ色。

事前にソーダ色が良いと母には伝えていたのに、お店で店員さんに女子はクリーム色で男子はソーダ色なのだと説明された母は、クリーム色のスモックを買ってきた。

ソーダ色でないことに文句を言ってはみたものの、女子はクリーム色なのだという母親の説明に納得もし、実際見てみるとクリーム色も悪くなく、あえなく受け入れたのだった。

上記のエピソードからも今の好みからも青系の色が好きだったのかなと思うも、よくよく思い返すとそれも違い、幼稚園の頃はピンクを好んでいた気がする。

色が好きというよりかは、当時そのぐらいの年頃の女児に当然のように与えられていた「女の子らしい」可愛らしいもの全般と馴染んでいたような気がする。

童話に頻出する「おひめさま」のイメージだとか、当時観ていた魔女っ子アニメの主人公のひらひらの魔女服だとか。
(年中の頃に学芸会の劇で選んだ役は、今では考えられないが「りんごひめ」だった…)

自覚する色の「好み」の大きな転換点は小学校に入学してから。

小学校の1学年には当時4クラスあったが、それぞれにテーマカラーが割り当てられていた。

テーマカラーが意味を帯びるのは主に運動会の時。
よくある紅白対抗ではなく、全校を4クラスで縦割りにし、それぞれのテーマカラーの元に団結して戦った(?)のだった。

集団の同調性に加えて、勝ち負けが生じると帰属する集団に愛着がわくもので、単純なことに入学してすぐにクラスのテーマカラーが好きだと言っていた
(その頃買ってもらったゲームボーイカラーの色はクラスのテーマカラーと同じ黄色)。

3年生になってクラス替えがありテーマカラーが変わった後は、これまた単純なことに、新たなテーマカラーである青が好きだと言っていた…
(その頃買ってもらった宿泊学習用の歯ブラシセットやブラシ、時計は押し並べて青色)。

つまるところ、当時(小学校入学前から中学年ぐらいまでの間)の自分に「自分」の好きな色というものはなかったと言わざるを得ない。

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外からの刺激は人格の一部となるもので、成長すれば好きな色ぐらい変わるものとは思うものの、振り返れば色々と外的な力に影響を受けていたのだなと思う。

当然のようにランドセルは男女で赤か黒。
その他も性別により与えられる色はある程度決まっていて、性別以外にも帰属により色を与えられ、ちょっとした競争(といっても運動会程度ではあるも…)が生じることでより一層愛着を強めていた。

少し大きくなると性別や集団などには色以外にも要素があると明確に知り、その「〇〇らしい」何かは反転して、〇〇に十分に当てはまらないなら「〇〇らしい」何かを手にしてはいけない、などと窮屈な思考の枠にはまってしまう。

翻って今、完全に外圧がないとはいえないものの、ランドセルは見たところある程度自由に色を選べる(より選びやすい)時代になったよう。

たかが色、されど色。

自分の好きな色を選べるという身近なところから、目の前で色とりどりのランドセルを背負っていた子どもたちに縛りのない思考が育つと良いなと思う。

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