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230904 本郷ラビリンス
ずいぶん長い間、日記が空いた。生きてます。生きてるし、動いています、それなりに。
本郷に用事があって行った帰り、ここのところ早朝散歩ができてないから御茶ノ水まで歩こうかなとてくてく歩き出した。何か音楽を聴いていた。ふと見ると、歩道沿いのマンションのエントランスに「ハイツ壱岐坂」だか「テラス壱岐坂」だか、なんだっていいんだけど、とにかく「壱岐坂」と書いてあった。
壱岐坂? んなわけないだろう。だが道の前方に大きな屋根の端っこが見える。あれはもしや東京ドームなのか? ってことは、ここはほんとうに壱岐坂なのか。
このまま歩いて水道橋に出るのと御茶ノ水方向に戻るのとどっちが近いか一瞬考えた。一瞬考えたのち、そもそもわたしは歩くために御茶ノ水を目指したのだったということを思い出した。今さらどっちが近いか考えるなんてアホだ。
何を聴いていたのか思い出せない。でもそのせいで注意散漫だったかもしれない。いつもの道のはずだった。間違えるはずがないと思っていた。どこで右に曲がってしまったのだろう。わからない。どう考えてもわからない。わからない。わからない。
そんなことがあってからもう10日以上経っていると思うのだが、いまだにわからない。今日も本郷に行った。帰りに神保町まで歩いた。さぼうる2でナポリタンを食べて帰るつもりだった。坂を下っていったら左前方に三省堂があって驚いた。あれ? 三省堂があそこにあるということは、右にすずらん通り? たしかに右にすずらん通りがあった。逆だと思ってたのだ。坂を下ったら神保町の交差点に出ると思ってたのだ。せっかくだから東京堂書店に寄ってからさぼうる2に行こう、ってことにして頭の中の地図がおかしくなってる件を水に流す。
立岩さんが亡くなった7月31日以来ヘビロテのケルン・コンサートは、聴けば聴くほどピアノがいつもキース・ジャレットが弾いているはずのスタインウェイの音ではないような気がしてきて、調べた。ああそうしたら、やはり違ったのだった。ベーゼンドルファーだったらしい。しかもコンサート・グランドではなかったらしい。
念願のアンドラーシュ・シフをさい芸で聴いたとき、ベーゼンドルファーに魅せられ、そのときはマンションを買うより安いと思ってしまうほどだったのだが、いつの間にか忘れていた。忘れていた物欲がまた蘇った。好きだ、あの音。
読んだ本。松本清張『小説帝銀事件』、角幡唯介『裸の大地 第一部 狩りと漂泊』。
『狩りと漂泊』から――
近代登山の目的は巨大な熊を撃ちとめることでもなければ、道者となって険阻な岩壁の洞穴のなかで瞑想することでもなく、端的に山頂に達することにある。つまり、あらかじめ定められた山頂という目標地点にむかってまっしぐらに突きすすむことを原理とした直線運動であり、その点、無目的に流浪する適当かついい加減な漂泊行為とは運動形態として対極にある。そして今の登山者はこうした近代登山、近代的思考回路にしたがって生きているわけだから、それと相反する漂泊登山を志向することはないし、そこからはずれる漂泊のような発想をもつことも考えにくいのである。
高い山に登ること自体にはそれほど興味がなく、むしろ漂泊登山のほうに惹かれるわたしは近代人ではなさそうだ。
ああ、高野秀行の連載、読まねば。明日読もう。コンサータ・トリップ。
なんかいろいろやらなくてはいけないことは最低限やっていたんだけど、もやもやしてるし、重苦しいし。空を見上げて雲、眺めても変わらないし。
そういうときにはわたしだってロックを聴くのですよ。Imagine DragonsのNaturalを大音響で20回ぐらい聴いたあともBeliever、Thunder……Imagine Dragonsをぐるぐると、Spotifyで。YouTubeに上がってるNaturalのvevoは芋虫出てきてキモイ。この変な感じとカチッとした音とダン・レイノルズの声が、好きでたまらない。
ここまでほぼ自動筆記。あ~、すっきりした!
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