5000年を越えて見つけた、わたしの真実。
12月23日。
5000年前のインドで、7人の聖者によって書かれたという預言の葉、そのひとつである“アガスティアの葉”を開いた。
今までも星詠みをしてもらったり、チャネリングしてもらったりしたことはある。
少しでも“見えないじぶんのこと”について知りたいという知的好奇心なのだと思う。
でもこれは、ちょっと別格だった。
わたし自神、星詠みで知ったじぶんのことやチャネリングでもらったメッセージも、じぶんのいちぶとして受けとっている。
だけどアガスティアの葉で知ったことは、“わたしの真実”だった。
真実というのは事実と違って、ひとによって、それを“信じるかどうか”で決まってしまうものなのかもしれない。
信じるかどうかだ、と言われてしまえばそうなのかもしれない。
それでいいのかもしれない。
でも、大事なのは“わたし”にとって、その“真実”に出会えたということ。
そしてその“真実”は、わたしのいちぶではなく、“すべてのわたし”というか、“わたしそのもの”であった。
それは、“これまでのわたし”であり、“これからのわたし”でもあった。
今日はアガスティアの葉という神聖な体験をシェアしたいと思う。
そして、今アガスティアの葉への扉が開いているからこそ、同じように“じぶんの真実”を求めているひとがたくさんいるのかもしれないなと思う。
だからそういうひとにとって、この記事との出会いがなにか意味のあるものになれたらと願う。
わたしがアガスティアの葉を“真実”だと思うわけ
まず、5000年前に書かれた“わたしについての預言”が存在しているということそのものが、魔法のような奇跡だと思う。
なぜ5000年も前にこの時代、この環境で“わたし”が生きているということが“証明”できたのだろう。
そしてなんのために、“わたしのための預言”が存在しているのだろう。
そういう謎だらけの預言の葉だけれど、わたしはその“なぞ”というか、“証明できないこと”そのものに“真実さ”を感じた。
それだけ謎だらけなのに、“わたし”というものを証明できるのだから、もうそれは真実なのだろうと、わたしの直感はまったく疑いというものを選ばなかった。
なぜかわたしは目に見えない大いなるものを前にしてひれ伏すような感覚だった。
それは降伏ではなく、降参だった。
アガスティアの葉に出会うまで
アガスティアの葉には、わたしが葉を見つけるまでの人生の道のりも書かれている。
わたしはそれまでずっと、どこか“こんなはずじゃなかったんだけどなぁ”というモヤモヤしたものに覆われている感じだった。
子どものころになんとなくこころに想い描いていたじぶんの未来は、もっと軽やかで明るいものと、なにがなくても信じていた。
だから、“だれかの人生を生きている”ような、一枚壁のうしろに立ってわたしの人生を見ているような、“じぶんの人生じゃない感”が強かった。
でも、葉にはその様子までも描かれていて、そのわけも書かれていて、なるべくしてこうなっていたのだなと納得できた。
そして今このタイミングで葉を開くということが書かれているということは、これでよかったのだと思えたし、こうしかならなかったのだと思った。
じぶんを信じること
葉には、わたしに与えられているもの、才能やよい素質みたいなことも書かれていた。
アガスティアの葉を“真実”として受け入れるからには、もうわたしのよさに対しても、降参しようと思った。
つまり「そんなことない」とか、謙遜のフリをした自己否定をきっぱり捨てようと思った。
そして、天に対して、そのよさを差し出して、お返ししていくことが天から与えられたものをもつものとしてのお役目ね、と思うようになった。
具体的には、教育に携わっていこうと思った。
それまでは少し、諦めかけていた。
興味はある、惹かれる、いつかドイツのシュタイナー大学で学びたいんだ。
そんなふうに思いつつ、ほんとうはやりたくないのかも、向いてないのかも、もう無理にやらなくてもいいのかも、なんて弱氣ちゃんになっていた。
だからこのタイミングで葉を開けてほんとうによかった。
これでよかったんだ
わたしが今まで興味を持ってやってきたことも、今回ちゃあんとつながって、これでよかったんだと思えた。
そう思えて、ほんとうによかったと思う。
そのひとつが、この記事の写真の絵。
これは、わたしが“人生これでいいのかな”時代にいたときに、友人のカフェではじめて開いた絵の個展で、ワークショップをしたときに女の子が描いてくれた虹。
アガスティアの葉で受けとったメッセージはすべて、今ここに生きてるわたしを肯定してくれた。
“アガスティアの葉”に強烈に惹かれているひとへ
ここまでこの記事を読んでいるあなたは、アガスティアの葉に相当惹かれている、もしくは単なるわたしのファン(うふ)。
どちらも正解なのだけど(うふふ)、“え、なにそれ怪しい!”と思っているひとほどきっと頭から何億光年離れたこころの奥底で、かな~り氣になっているのだろうと思う。
だからそんなあなたに、背中を押す言葉を贈ろうと思う。
最初のセッションでは“わたしの葉”を探すところからはじまるんだけれど、見つかるまでにかかる時間は個人差があって、わたしは20分くらいで見つかった。
葉がわたしに近づいてきていたんだなあと思った(怪しい)。
葉を開くタイミングがほんとうに今だったんだと思った。
そして、ナディリーダー(古代タミル語の葉を読んでくれるひと)の言葉を日本語に通訳してくれるひとが、わたしの両親の名前を一字違わず読みあげたときの感動ったら!
ほ・ん・と・う・に・っ
わたしを待っててくれたんだと思った(もっと怪しい)。
ということで、疑うんなら開いてみな、ってことです(本音)。
で、ここでほんとうに疑うだけのひとは開かずに終わるので、葉は存在しない。
でも、ほんとうは氣になってるというひとは、まず開いてみたらいい。
そして確かめてみてほしい。
そしたらわかるから。ってことですな。
【アガスティアの葉を開きたい方、もっと知りたい方へ】
アガスティアの葉の窓口をしてくださっているゆふさんです。
預言の葉のひとつ、スガルの葉について紹介しているサヤカさんとヨシさんのYouTube。
こちらもかなりわかりやすく、そしておもしろく預言の葉について説明してくれていて、より理解が深まるオススメの動画です。
サヤカさんの預言の葉第1章についての動画です。
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