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憧れの人

幼い頃から本を読むのが好きだった。本についての最初の記憶は眠る前に母が読んでくれた童話。そして、毎月届いた「少年少女世界の文学」。赤い箱に入った様々な国の物語は、私を夢中にさせた。
だからといって、小説家になろうとは思っていなかった。
いや、なれるとも思っていなかった。

何になりたいの?
子どもの頃から幾度となく問われた言葉。

一番最初になりたいと思ったのは、宝塚の人だった(笑)
たぶん幼稚園ぐらいのときのこと。初めて観た宝塚の舞台の華やかさに魅せられたのだ。次はスチュワーデス。これはドラマの「スチュワーデス物語」に影響されたせいだ。
それから以降はずっと声優にあこがれていた。アニメのではなく、洋画の吹替をする人になりたかった。これはかなり長い間、夢として持ち続けていて、高校大学と放送部に入って、発声練習に明け暮れていた。

だが、所詮、夢は夢でしかなく、大学卒業時には普通に就職した。
今思えば、芸能活動に何か恐れがあった。親戚は公務員が多く、身近な人にそういう世界で生きている人がいなかったし、そういうことをしたいと口にすることが許されないことだという思いがあった。芸能活動する自分が思い描けなかったのだろうと思う。ようするにそこまでの思いがなかったのだ。

それでもどこかに違和感を抱えながら生きていた。
私は私で生きたかった。でも何になればそう生きられるのかがわからなかった。転職を重ねても違和感はぬぐえなかった。

そんなある日、書店で手にしたのが、向田邦子さんの「阿修羅のごとく」(シナリオの文庫本)だった。
「あ、このドラマ好きだったなあ」 ただそれだけで手に取った本。
そして、それが私の人生を変えた。
それまでも戯曲やほかの人のシナリオを読んだことはあったのだけれど、向田さんのそれは、衝撃的だった。
普段の何気ない生活。だが、その裏でうごめいている感情。
いつも普通に使っている、特別すごい言葉ではないのに、ある瞬間、まるで鋭い錐のように心に突き刺さってくる台詞……。
行間に何かが潜んでいる。
凄い、凄すぎる。何なんだろう、これは。

『書いてごらんなさい』

そんな声が聞こえた気がした。
今思えば、なんて畏れ多いことだと思うけれど、本当に向田さんの声が聞こえた気がしたのだ。
この凄さの秘密を知るためには、自分でも書くしかないんだ。そう思ったからだろうか。
そこから、私は創作の道に一歩踏み出したのだ。

憧れて、憧れ続けて、今がある。

まだ凄さの秘密には到達しきれていない。
書けば書くほどに、憧れの人は遠くなる。でもそれでいいと思っている。

向田さんが亡くなられて40年、記念の展示会を見た帰りのこと。
かつて住んでいらしたマンションの前に佇んで、ふと空を見上げると、真昼の月が見えた。

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ビルの上にうす青い空があり、白い透き通った半月形の月が浮かんでいた。
「あの月、大根みたいじゃない? 切り損なった薄切りの大根」
------------------------------------「大根の月」(思い出トランプ収録より)


憧れの人は遠い空の向こうで微笑んでいた。

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