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二〇二二年初月に思う

また一つ年が明けた。明けてからもう半月ほどになる。今年も年の初めのエッセイを書こうと思う。元日に書初めの記事を上げたので、noteでは今年二つ目の記事になる。
ここでは二〇二二年という年について考えてみようと思う。昨年の振り返りもあるだろう。私自身のことではなく、今年の情勢と文学について述べるつもりだ。

まず一番重要なのは新型コロナウイルスのことだろう。昨年と変わらず最重要の話題だということが既に残念ではある。昨年人類は様々な新型コロナウイルスの変異株に苦しめられた。特にデルタ株が猛威を振るっていた。それが落ち着いてきた頃に新たな変異株オミクロン株が見つかり、今や世界中に広がっている。オミクロン株との戦いから今年はスタートした。日本でも感染者が倍増していていつ感染するか分からず、私も恐れおののいている。変異株に対する意見を述べるつもりはない。ただオミクロン株がこのパンデミック最後の戦いになってほしい。トンネルの出口が、出口を示す光が、そろそろ見えてきても良いのではないだろうか? 世の中の空気もパンデミックの終わりを意識しているような気がしてならない。ウイルスがなくなることはないのかもしれないが、脅威でないレベルに落ち着いてほしい。そしてまた制限なく活動できる日が訪れてほしい。今年はそれが実現することをひたすら願っている。

次に述べるべきはやはり文学だろう。パンデミック発生から一年以上経過して、パンデミックの要素を含まなくても作品が成立する世界が戻ってきたのを感じる。慣れてしまったといえばそれまでかもしれない。世相の反映としてパンデミックの描写を含む作品があり、パンデミックが起きていない世界を書いている作品もある。私は安堵している。パンデミックを書かなくても今の文学として認められる。そのことは自分の創作上の解放につながった。やはりパンデミック下の世界は書きにくい。
人々が家にいる時間が増えたせいか、昨年書籍の売り上げが十五年ぶりに増加したという嬉しいニュースもあった。文学は更に自由になったのだから、よい小説が生まれてほしいし、読まれてほしい。私も世の中に向けて良い作品を発表したい。

何だか願望ばかりのエッセイになってしまった。読み返していないから分からないが、昨年の記事と似たような話題を取り上げたと思う。来年の一月にはパンデミックへの言及がない「今年初め」の記事を書きたいものだ。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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