駄文 #8
これは小さな冒険の記録である
私の夜の過ごし方には三つ巴の苦悩がある
一つは行うべきタスクに取り掛かり片付けるということ
"べき"と付いているということは、優先順位は最も低い
一つは親友でも知人でも、知らない人でもいいのだが、酒を交わしお話をすること
こんなご時世のはずであるが、最近はすっかりこの選択を採ることが多い
一つは怠惰にふけること
これが最&高に決まっているのだが何故か不足している、ように思える
昼間の脳味噌のリソースの大部分はこの夜の予定を決めることに割かれている
先日我が母上と父上が連れ立って高幡不動尊へ参ったらしいとの噂を聞きつけ、私の苦悩は四つ巴となった
俺も高幡不動行きたい、紫陽花観たい
私は花鳥風月を愛でる男である
話によると、もうすでに見頃のピークを超えているらしい、そんなバカな
我々には成長してからも常に、幼少期に植え付けられたズレた先入観というものがある
例えば、東京の梅雨は6月だとか、紫陽花は梅雨に咲く花ですとか
実際には早い早いと言われていた今年でさえ関東はいまだに梅雨入りせず、紫陽花は梅雨入りする前にその見頃を終えるという
しかしそれならば急がねばならん
休日に行って、寺や紫陽花を見に行ったはずが人ばかり見たとなるのはゴメンであるからして、平日の仕事終わりにチャリで行くがよかろう
家からは一時間前後で着く、日が落ちきるギリギリ手前に到着できるはずである
そうして平日のいつになるだろうかとグルグルグル意味なく頭を回していたことほんの数日
金曜日も私は家で怠惰する気満々でいたが、やはり寂しがりなもう一人の僕が現れ
金曜だぜ!?遊ぼうや!
というので私の全友人知人無知人のデータからよりすぐった、総勢2,3人に声をかけそしてその全員に振られた
きっと今日の夜は枕を濡らすが、期は満ちたのだ
私は花鳥風月を愛でる男である
自転車には久しぶりに乗った気がする
漕ぎ始めた時は少し足腰が重かったが、次第に感覚を取り戻していく
かなり不自由になっている腰の痛みも、適度な運動によりほぐされていくようで心地よい
最近は皆すっかり慣れてしまって常時マスクだが、自転車に乗っている時ぐらいは外すのが自然だろう、冬じゃあるまいし
目的の高幡不動尊へと行くにはまず立川駅まで出てから、モノレール沿いに行けばよい
昨晩夢に出てきた洞窟の賢者は、"川沿いに行きなさい、さすれば道は開かれん"と行っていたが、私はその道を知らない
立川を越え日野の橋に差し掛かったところで右手に見えた、間も無く暮れようとしている夕陽と、空と雲の形と色のコントラストが絶妙で、まるで絶世の美女のようであった
いや、絶世の美女の方が美しい景色のようなのだろうか、美女が先か景色が先か
そんなことを考えているうちに目的のモノレール駅、高幡不動が見えてきた
近くまで行くと、それは高幡不動駅ではなかった
万願寺駅、次は甲州街道駅
高幡不動駅は思っていたよりも二駅先であった
そして前に来た時も同じような目に遭い、思ったより遠いなと思ったことを思い出した
到着前に日が暮れてしまう恐れが出てきたが、まだギリギリ大丈夫だ
少し爽やかさよりも疲労が勝ってきた感がありつつ先を急いだ
モノレールの駅間は長くないのですぐに高幡不動駅に着いた
途中もう一つ川を越えたが、川沿いにというのはおそらくこの川のことだろう
さて、肝心の高幡不動尊がどっちにあるかわからない
この駅は通過してきた駅と違って、他の路線と交わっており、道路が駅を貫通していないので見通しが悪い
なんとかして向こう側へ出られないかと交差している線路沿いに行ってみたりしたが、踏切などは見つけられずグルグルグルしてしまった
こうしているうちにも辺りは暗くなってきている
もう一度駅前に戻って道路を観察すると、なんと少し手前で駅の下へと沈み込むトンネルを発見した
今思えば、この時私は向こう側の世界へと足を踏み入れてしまったに違いない
トンネルを抜け、栄えているであろう方へ少し行くと、ビルとビルの隙間からそびえ立つ五重塔が見え、私は胸を撫で下ろしたがもうそれなりに日が沈み切っていた
高幡不動尊の駐輪場にチャリを止め、境内へと歩みを進めていた時、ポケットに入れていたマスクを落としていることに気づく
五重塔はライトアップされていたのでよく眺めることができたが、紫陽花は近づいて目を凝らしてもその鮮やかさの多くを捉えることが出来なかった
しかし様々な種類の紫陽花が至るところに咲き乱れているのはわかる、とても珍しい形のモノもあった
諦めきれず紫陽花が植えられた庭の階段を登って行くのだが、先が真っ暗で何も見えないのが恐ろしく
たまに耳元でブーーんと鳴ると十数メートル走って逃げ、懐中電灯を振り回す警備員と思しき人間とエンカウントする度にクルッと方向を転換し
ホラーゲームの主人公さながらの探索で疲弊し、早々に切り上げることにした
腹が減ったので店に入って何か食べたいが、マスクという名の人権手形を紛失していた私に対する世の中の扱いは今や家畜以下であることを思い出した
これはギリギリ優勝を逃した....? いや、完敗だろう
なんということだ、私はすでに疲れ切っていたので、もう出来る限りの遅さでもって急いで帰路につくことにした
緩やかな坂を緩やかに上り、橋とその下に流れる川の音を見聞きした時、昨晩夢に出てきた洞窟の賢者が言っていたことを思い出した
"川沿いに行きなさい、さすれば道は開かれん"
気づいた時にはもう道を曲がって荒いアスファルトで出来た川沿いの道を走っていた
前方数メートルの自転車のライトが照らす範囲以外は暗くて視認できないが、進行方向の右からは川の流れるサーーという音と、川原を覆う草木が風に揺れるザザーという音、カエル達の輪唱、左からは地下水の流れるゴーーという音と、前方の建物から奇妙な笑い声が聞こえてくる
しばらく漕いでいるとアスファルトの舗装が綺麗に戻り、なんとなく辺りを眺める余裕も出てきたが、いまだに自転車のライトだけが頼りである
度々左に曲がる道があるのだが、いずれも先に門があって通り抜けられそうになく、川沿いの一本道を強いられている
もう随分と長い間自転車を漕いでいるような気がして我に返りかけた時、右手の川を越えた向こう側に、いつくもの蛍の光が点いたり消えたりするのを見た
まるで美女のようだ、とこの時は感じなかったと思うが
このまま進んで良いのか、そんな不安をかき消す絶景であった
その不安自体は的中する
どこまでも続くものだと思っていた道が突然砂利道になったかと思うと、道らしい道が消えてしまった
おそらく川原に出たのだろう
ゆっくりと確かめながら進みたいが、早く走らなければライトは点いてくれない
このまま行けば川に落ちると直感した私は、仕方なく引き返すことにした
あの賢者め、次夢に出てきた時は文句を言ってやる
引き返してみるとあんなに長く感じた道のりが随分とあっという間であった
蛍の光は、木々の間から住宅の光が見えたり隠れたりしているだけであった
川沿いの建物は学校らしく、奇声は学生のものであった
行きは一切ライトに映らなかった虫が、帰りは度々行く手を横切っていくのが見える
道の脇にはちょくちょく猫がいて一切逃げない
引き返して間もない時に、誰ともすれ違っていないはずの一本道で人を一人追い越したが、ただの幽霊だろう、人間だったらそのほうが怖い
また少し砂利道に変わったかと思うと元の帰り道に戻ってきた
やっぱり夜に見知らぬ土地で余計なことをするものではないな、早く帰ろう
しかし何かに取り憑かれていた私は、次の信号でまたもや右折してしまう
小さな冒険心に火が付き、十字路を見たら曲がってしまう病を発病していたのだ
ただ曲がればいいというものではない、同じ方向へ三回曲がればリングワンダリングしてしまうのはわかっている
二回もいけない、大きな冒険が始まってしまう
導き出される最適解は、右折したら次は左折、である
道に迷い、道無き道を行きそびれ、すっかりオーバーワークした私の腰は爆発寸前の悲鳴を上げている
左へ曲がり右へ曲がり、また川にかかる橋を渡り、眼下に素敵な公園を確認し、この道は覚えておきたいななどと思っているうちに、見覚えのあるところへと出た
矢川駅、私がよく行くカフェ&バーのある西国立の隣駅であり、行き方が定まっていなかった頃によく迷い込んでいた辺りではないか
そして、あの店なら人権のない私のことも受け入れてくれるに違いない
レモンサワーとラーメンで優勝できる
これは、ギリギリ逆転満塁ホームラン
私はウキウキで西国立へと爆走した
店は閉まっていた
神は死んだ
ふと遠くに目をやると、道の奥の方にぼんやりと光を放つ四角い箱が見えた
私は花鳥風月を愛でる男である
そして同じくらい自販機を愛でる男である
自販機は日本が世界に誇るべきベスティストカルチャーだ
世界一趣のある飲み物は、冬の夜の自販機で買う熱い缶コーヒーと決まっている、異論は自筆のA4用紙でのみ受け付ける
お前だけは私にモノを売ってくれるというのか、ビバ機械
私はでっかいヤママユ蛾に変態して、その小さな道の駅の街灯に群がっていった
喉がカラカラカラだったし腹もペコペコペコだったので、ロング缶のコーラを流し込んでやろうと思った
金を入れてコーラのボタンを押す
デカビタが出てきた
ロング缶だがスチールなので細身である
........うん、まあ、 美味いな
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