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「関心領域(原作)」は忍耐力と行間察知力と共感力が試される教材である。

オッペンハイマー観に行った予告編で流れた関心領域予告の、
「強制収容所の隣の家の話」という設定に惹かれてその日のうちに原作ポチった僕ですが。

世界大戦中にドイツがユダヤ人に行った非道について僕が知っていることは、
・アンネの日記
・夜と霧
・シンドラーの日記(映画)
・杉原千畝氏の伝記
くらい。

まぁ、圧倒的に知識が足りていなかった感は正直あった。
日本語翻訳の本はただでさえ理解に時間を要する上、
前提条件としての知識に欠陥があるため、作者の言わんとしていることをくみ取れたかは正直自信ない。

その上で感じたことは以下。

………

物語を要約すると、
強制収容所に勤務する者たちのホームドラマって感じ。

登場人物のほとんどは普通のヒト。
育ちが良く仕事ができたり、
血気盛んだったり臆病だったり、
どの職場、どの環境にもいそうな普通の。

それが、仕事と称して信じられないような大量虐殺に加担
(又は自分に危害が及ばない程度の虐殺への妨害)をしている。
その過程で起こる死体の処理方法や、異臭問題、土壌の腐敗などの問題を、まるでタスクように語る。

そして、それ以上にプライベートの問題の方がさも重要かのように語られている(ように感じた)。
・上官(司令官)の妻に一目ぼれして不倫関係を目論む
・妻とのセックスレスとその悶着から妻を殺させようとする司令官
・上記妻側の視点
・妻に相手にされなかった司令官が手を出した浮気相手の妊娠→中絶
など。
章の最後に挟まれる同胞の死体処理を行うユダヤ人(シュルム)の短い手記と、
司令官の小物っぷりの対比がこれでもかというくらい上記の茶番を強調してくれる。

結局大半の人にとって、
半径2mが自分の世界で、
その外にあることがどんなに重大なことであっても関心なんて向かないんだよね、月並みな感想だけれど。

最終盤に書かれているのは、
不幸(又は幸運)は相対的か絶対的かという話。

ユダヤ人収容所で起こっていた悲劇、
同胞の死体を処理する日々を送った男の悲劇、
その隣の邸宅で司令官に抑圧されていた妻及び子供の悲劇。

どれも当事者にとっては悲劇ではあるけれど…。
こうなってくると…う~ん。。。

よくさ、
論点ずらしのテンプレみたいな感じで、食べ物残すことを咎める時に「世界には食べたくても食べられない人もいるのよ」みたいなセリフが使われると思うのですが。
で、実際僕はこういう咎め方する人間が大嫌いなのですが。
(今起こっている問題を大きな話題かつ綺麗ごとで抽象化するんじゃねぇよと思ってしまう)

いやぁ~、こうやって500ページ近い物語を展開された上で、大きな悲劇とその隣にある小さな悲劇を突きつけられると、なんとも言えない。

ただ僕に出来ることは、
接する人に対して謙虚であろう、敬意を持とうと心がけるだけ。
その人にどんな背景があるのかも、どんな想いがあるのかも分からないのだから。

つっても、上手くいかないんですけどねー。

………

映画はこれから観るのだけれど、
レビュー観ていて賛否が分かれるのは多分行間や
鑑賞者に委ねる比率が大きいのだと思われる。

淡々と退屈なホームドラマを流して、
その裏に起こっている悲劇を音で表現する。

という手法を取っているんじゃないかと推察。

否を唱えたヒトには是非原作を手に取って欲しい。
多分、読み切れない(笑)

原作も淡々と、退屈に、登場人物への感情移入などまるでできないように書かれているから。
それでも僕が読めたのはこの物語がどう収束されるのかという興味があったから(あと値段が高かったから)。

結果として読んで感じるものはあったけれど、
重いし、感情が疲れるし、
知ってよかったとは思うけれど薦めたいとも思わない、
まとまらない気持ちがよく表れた感想になりました。

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