サウンドクリエイターへの道

SNKに入社したとき
「Joyful Road」というゲームがほぼ完成していた
サウンドはまったく音楽のことがわからない
プログラマーの方が必死で楽譜を見て
打ち込んだと聞いた
私が入社してから、そのJoyful Roadの音に
手を加えた記憶もあるが
定かではない

今の時代の若い人たちには想像もつかないだろうか
ネットもメールもない時代
コンピューターと言われる画面は緑の文字一色
数字と英語のみの世界

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電話はもちろん家では黒電話
会社はプッシュホンと言われるものだ
まだ郵便の手紙が主流だった時代
情報を得る手段がなく
その時代のゲームを作った人たちは
わずかな知識から想像力と勘を働かせて
あらゆる実験をしながら
技術を手に入れていった

私がSNKに入って初めて手掛けたゲームは
うさぎが穴から出てくるのを
ハンマーで叩く
いわゆるもぐらたたきのようなゲーム
残念ながらそのゲームは
開発途中でボツになる

私の記憶も曖昧なので
ネットで調べさせてもらったところ
次に関わったゲームは
Marvin's Maze
音的にはなんとかPSGを鳴らせた
という感じだ

記憶にはなかったが
Gladiator 1984」という競馬の斜めスクロールのゲーム
BGMを聞くと最後クリアーのときの
王冠を頭に乗せるときの曲が
どうも私の曲っぽい
これはもしかしたら曲だけ作って
退職したかもしれない

この頃はハード設計の人とかなり話しあい
1ポートに付き2音を重ねて使いたいとお願いした。
3ポートの曲を作るのにPSG(3音)が2個必要
6音を鳴らせるようにハード設計してもらった
エコー、コーラス、減衰音
アタックをなめらかにするなど
かなり技術を習得していた
SEに関しても半年間ほどで作れる音の
レパートリーが増えていった

それまで音楽とデザインを両方していたが
社長に呼ばれ今後の希望を聞かれた
私は即答で
「サウンドだけさせてください!」と
答えた。
あとで聞いた話だが
ハード設計の人が
「あの人はデザインではなくサウンドだけ
やったほうがいい」と社長に言ってくれていたようだ

そうして私は
昼休みもパンをかじりながら
コンピューターの前から離れないくらい
サウンドにのめり込んでいった
プログラマーと相談しながら
より曲を作りやすくするための
サウンドドライバも作った

まだ22歳のまったくデジタルの知識がなかった女子が
日々技術を習得しながら
Jumping Cross
そして
Mad Crasher」とサウンドを担当し
(これは開発はMarvin's Mazeより前だったと思う)
SNKに入社して1年間で
私はデザイナーではなく
サウンドクリエイターとして確立していった

これは私の天職かもしれない!!
そう思い、この技術を極めよう!
と思ったその時
SNKに危機が訪れる・・・・

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