最高裁大法廷令和3〔2021〕年6月23日決定の紹介と分析

2021年6月23日、最高裁大法廷が選択的夫婦別姓を認めない現在の法律を「合憲」とする判断を示しました。選択的夫婦別姓制度の実現を求め署名活動にご協力くださった皆様には残念な結果になってしまいましたが、違憲判断をした裁判官の考え方や論理には今後どのようにして制度化を目指すべきかのヒントも含まれていると考えられます。
この記事では、署名呼びかけ人のひとりである立命館大学教授・二宮周平による、法学的観点からの解説を掲載いたします。

 2021年6月23日、最高裁大法廷は、民法750条及び戸籍法74条1号(以下、本件各規定)を合憲とする判断を示した(裁判所HP)。15名中11名である。最大判平27年を踏襲するためか、法廷意見の理由は約1頁、深山卓也、岡村和美、長嶺安政裁判官3名の共同補足意見も約4頁半にとどまる。違憲判断をした裁判官は4名、三浦守裁判官の意見約10頁半、宮崎裕子、宇賀克也裁判官の共同反対意見26頁、草野耕一裁判官の反対意見約6頁半で、決定書49頁中約43頁は違憲判断に関するものであり、最大判平27年の合理性判断の理由を批判し、新たな解釈や視点を取り入れている。

 1 法廷意見と補足意見の限界
 法廷意見は、民法750条が憲法24条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(最大判平27年12月16日)とするところであり、民法750条を受けて定められた戸籍法74条1号もまた憲法24条に違反するものでないことは、平成27年大法廷判決の趣旨に徴して明らかであり、大法廷判決以降の諸事情の変化を踏まえても、大法廷判決の判断を変更すべきものとは認められず、立法政策と憲法適合性審査の問題は次元を異にしており、夫婦の氏の制度の在り方は、国会で論せられ、判断されるべき事柄にほかならないとする。
 本事案で抗告人側から新たに主張されたこと、例えば、同氏希望夫婦は婚姻できるのに対して別氏希望夫婦は婚姻することができず、信条による差別に当たることなどには応接していない
 共同補足意見も、基本的に最大判平27年の理由付けを繰り返し、「一般論として、この種の法制度の合理性に関わる事情の変化いかんによっては、本件各規定が上記立法裁量の範囲を超えて憲法24条に違反すると評価されるに至ることもあり得るものと考えられる」(決定書5頁、以下同じ)とするものの、「法制度をめぐる国民の意識のありようがよほど客観的に明らかといえる状況にある場合にはともかく、選択的夫婦別氏制の導入について、今なおそのような状況にあるとはいえない」(5頁)とし、「民主主義的なプロセスに委ねることによって合理的な仕組みの在り方を幅広く検討して決めるようにすることこそ、事の性格にふさわしい解決というべきであり……、国会において、この問題をめぐる国民の様々な意見や社会の状況の変化等を十分に踏まえた真摯な議論がされることを期待するものである」(7頁)と結ぶ。
 国会での立法を促した最大判平27年から5年半、国会で法案として審議されていない現状を踏まえたとき、再び国会にボールを投げて判断を委ねることは、少数者の人権を護るという国民から負託された最高裁の責務に反する。法廷意見、補足意見の限界は、氏名及び婚姻に関して「制度優先思考」に囚われ、選択的夫婦別氏制の問題を、氏の変更を強制されない自由及び婚姻の自由という人権に関する事項として捉えないことにある。

 2 意見、反対意見の論理と意義
 法廷意見が本件を憲法24条にしぼって憲法適合性を論じていることから、意見、反対意見も憲法24条の適合性を論じる。
 (1) 氏の人格権性と制度優先思考の否定
 三浦意見は、「婚姻前の氏の維持に係る利益」について、「人が出生時に取得した氏は、名とあいまって、年を経るにつれて、個人を他人から識別し特定する機能を強めるとともに、その個人の人格の象徴としての意義を深めていくものであり、婚姻の際に氏を改めることは、個人の特定、識別の阻害により、その前後を通じた信用や評価を著しく損なうだけでなく、個人の人格の象徴を喪失する感情をもたらすなど、重大な不利益を生じさせ得ることは明らかである」とし、「それが憲法上の権利として保障されるか否かの点は措くとしても、個人の重要な人格的利益ということができる」とする(8頁)。
 他方、宮崎・宇賀反対意見は、「氏名に関する人格的利益は、氏を構成要素の一つとする氏名(名前)が有する高度の個人識別機能に由来するものであり、氏名が、かかる個人識別機能の一側面として、当該個人自身においても、その者の人間としての人格的、自律的な営みによって確立される人格の同定機能を果たす結果、アイデンティティの象徴となり人格の一部になっていることを指すものである」ことを指摘し、「個人の尊重、個人の尊厳の基盤を成す個人の人格の一内容に関わる権利であるから、憲法13条により保障されるものと考えられる」とし(23頁)、氏名に関する人格的利益が憲法13条の保障を受けることを明らかにした。最大判平27年の岡部喜代子裁判官、木内道祥裁判官の意見が言及していないことである。
 どちらも制度優先思考ではない。三浦意見は、「法律の内容如何によって、氏名について、その人格権の一内容としての意義が失われるものではない」(7頁)とし、宮崎・宇賀反対意見は「この人格的利益は、法律によって創設された権利でも、法制度によって与えられた利益や法制度の反射的利益などというものでもなく、人間としての人格的、自律的な営みによって生ずるものであるから、氏が法制度上自由に選択できず、出生時に法制度上のルールによって決められることは、この人格的利益を否定する理由にはなり得ない」(23~24頁)とする。
 これら2つの見解を組み合わせると、婚姻前の氏を維持する利益は人格的利益として憲法13条の保障を受けるのだから、婚姻に際して氏の変更を強制されない自由を憲法13条によって保障される人格権として構成することが可能になる。
 (2) 婚姻の自由の制約
 三浦意見は、本件各規定は、民法739条1項とあいまって、夫婦が称する氏を定めることを婚姻の要件としていることから、婚姻をするためには、どちらかが氏を変更するほかに選択の余地がないことになるとし、「婚姻の際に氏の変更を望まない当事者にとって、その氏の維持に係る人格的利益を放棄しなければ婚姻をすることができないことは、法制度の内容に意に沿わないところがあるか否かの問題(最大判平27年法廷意見、本補足意見の捉え方~引用者注)ではなく、重要な法的利益を失うか否かの問題」であり、「婚姻をするかどうかについての自由な意思決定を制約する」とする(10頁)。
 宮崎・宇賀反対意見は、憲法24条1項の「夫婦が同等の権利を有すること」の視点から問題点を明らかにする。すなわち、夫婦同氏制の下では、「当事者の一方のみが生来の氏名に関する人格的利益を享受し続けるのに対し、他方は自分自身についてのかかる人格的利益を享受できず、かつ、かかる人格的利益の喪失による負担を負い続ける状況になることを意味し、婚姻が継続する限りその一方的な不平等状態は変わらないし変えられないこと」である(25頁)。したがって、別氏希望者に対して、「単一の氏の記載(夫婦同氏)を婚姻成立の要件とするという制約を課すことは、……当事者双方にとっては、自身が氏を変更する側になるか変更しない側になるかにかかわらず、自分又は相手の人格の一部を否定し、かつ婚姻が維持される限り夫と妻とがかかる人格的利益を同等に享受することができないこととなることを前提とした上で婚姻の意思決定をせよというに等しい」(26頁)のであり、別氏希望者の「婚姻をするについての意思決定を抑圧して自由かつ平等な意思決定を妨げるものであるから、憲法24条1項の趣旨に反する侵害に当たる」(26頁)とする。
 問題は、婚姻の自由に対する上記のような制約や侵害を正当化する理由があるかどうかである。夫婦同氏制の合理性が問われる。
 (3) 最大判平27年による合理性判断の妥当性
 三浦意見は、最大判平27年の木内意見と同じく、夫婦同氏制それ自体の合理性ではなく、例外を許さないことの合理性を検討する。最大判平27年が夫婦同氏制の趣旨、目的としたことへの疑問として、①家族の呼称を一つに定め対外的に公示して識別することについては、「現行法は、同一の氏を称すべき家族の範囲を、日本国民の夫婦及びその間の未婚の子と養親子に限定し、それ以外の身分関係にある者を除外している」が、晩婚化、非婚化、離婚再婚の増加、世帯構成の変化、国際結婚の増加など多様化する現実社会にそぐわないこと(11~12頁)、②同氏による家族の一体感については、このような実感は、相互の信頼とそれぞれの努力の積み重ねによって獲得されるところが大きく、各家族の実情に応じ、その構成員の意思に委ねることがふさわしいことから、夫婦同氏に例外を許さないことの合理性を説明できないとする(12頁)。
 さらに、③嫡出子がいずれの親とも氏を同じくすることによる利益については、こうした利益は、嫡出推定や共同親権等のように子の養育の基礎となる具体的な権利利益とは異なり、子どもの権利条約にもそのような利益に関する規定はなく、嫡出子と嫡出でない子をめぐる差別的な意識や取り扱いを助長しかねない問題を含んでいることなどを指摘し、「憲法上の権利の制約を正当化する合理性を基礎付けるとはいい難い」とする(12~13頁)。
 宮崎・宇賀反対意見は、氏が家族の呼称としての意義を有することについて、①そのような考え方には憲法上の根拠がないこと、②家族という概念は、憲法でも民法でも定義されておらず、その外延は不明確であり、社会通念上は、多義的であること、③世帯の実態は多様化していることを指摘し、「夫婦とその未婚子から成る世帯のみを家族と捉え、そのことをもって、氏はかかる家族の呼称としての意義があることが、氏名に関する人格権を否定する合理的根拠になるとは考え難い」とする(27~28頁)。
 また、「子自身の意思によることなく、親の離婚、再婚により、実の両親と、さらには同居の家族とみなされる者とも、子の氏が異なる状況に置かれることが民法の制度上も当然想定され、容認されて」おり、子の氏とその両親の氏が同じである家族は、「民法制度上、多様な形態をとることが容認されている様々な家族の在り方の一つのプロトタイプ(法的強制力のないモデル)にすぎない」のだから、「そのプロトタイプたる家族形態において氏が家族の呼称としての意義を有するというだけで人格的利益の侵害を正当化することはできない」とする(28~29頁)。
 したがって、別氏希望者に対して婚姻の意思決定を侵害することについて、「公共の福祉の観点から合理性があるとはいうことはできない」のである(29頁)。
 (4) 憲法24条1項と2項の関係
 宮崎・宇賀反対意見は、夫婦同氏の記載があることを「婚姻届の受理要件とし、もって夫婦同氏を婚姻成立の要件とすることは、当事者の婚姻をするについての意思決定に対する不当な国家介入に当たるから、本件各規定はその限度で憲法24条1項の趣旨に反する」とし、「その限度で、憲法24条2項の個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した法律とはいえず、立法裁量を逸脱しており、違憲といわざるを得ない」とする(31頁)。
 また、最大判平27年が示した憲法24条適合性の判断枠組み、「当該法制度の趣旨や同制度を採用することにより生ずる影響につき検討し、当該規定が個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き、国会の立法裁量の範囲を超えるものとみざるを得ないような場合に当たるか否かという観点から判断すべきものとする」によったとしても、最大判平27年では考慮されなかった事情3点を適切に考慮すれば、「遅くとも本件処分の時点においては、個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き、国会の立法裁量の範囲を超える」ことから、同条違反と判断する(32頁)。
 その事情とは、①夫婦同氏制は、個人の尊厳と両性の本質的平等に適合しない状態(婚姻後、夫婦が同等の権利を享有できず、一方のみが負担を負い続ける状況)を作出する制度であり、96%の夫婦において、生来の氏名に関する人格的利益を失い、夫との不平等状態に置かれるのは妻側という性別による不平等が存在していることから、個人の尊厳と両性の本質的平等に反すること(32~33頁)、②最大判平27年以降の旧姓使用の拡大は、補足意見のように人格的不利益の緩和ではなく、夫婦同氏制の合理性の実態を失わせていること(33~36頁、後述4参照) 、③国連女子差別撤廃委員会から夫婦同氏制の法改正を要請する3度目の正式勧告を受けたという事実は、夫婦同氏制が国会の立法裁量を超えるものであることを強く推認させることである(38~41頁)。
 (5) 国民各位の福利の比較衡量
 草野反対意見は、最大判平27年が示した憲法24条適合性の判断枠組み(上述(4))によって判断するに当たっては、「現行の夫婦同氏制に代わるものとして最も有力に唱えられている法制度である選択的夫婦別氏制を導入することによって向上する国民各位の福利とそれによって減少する国民各位の福利を比較衡量することが有用である」とする(43頁)。
 その際に、「憲法24条2項が、婚姻及び家族に関する制度について『個人の尊厳』に立脚したものであることを要請していること」から、「国民各位の福利に還元し得ない価値を考察の対象から排除して検討する」(43~44頁)。なぜなら、「戦前の『家』制度の下であれば格別、これを否定した現行の憲法と家族制度の下で、夫婦同氏制度を定めた本件各規定が社会の倫理の根幹を形成している規定であるとみることが不適切」だからである(44頁)。
 具体的には、まず、婚姻する当事者の福利として、別氏希望者が同氏制によって被る不利益を指摘し(45頁)、他方、夫婦同氏により「家族の一体感を共有することは福利の向上をもたらす可能性が高い」ことから、選択的夫婦別氏制を採用すれば、別氏希望者、同氏希望者いずれの希望も満たされることになり、「婚姻両当事者の福利の総和が増大することはあっても減少することはあり得ないはずである」(46頁)とする。
 次に、子の福利に及ぼす影響について、別氏夫婦の子は、親の一方と氏を異にすることから家族の一体感の減少などの一定の福利の減少をもたらすことは否定し難いが、その多くは、「夫婦同氏が社会のスタンダード(標準)になっていることを前提とするもの」であり、したがって、制度導入後、別氏夫婦が多数輩出されるようになれば、「子の福利に及ぼす影響はかなりの程度減少するに違いない」し、上述のような子の福利の減少が「子の人権又はこれに準ずる利益といえない限り」、夫婦自身の福利と子の福利をいかに斟酌するかについては、親(夫婦)の裁量に委ねることが相当であるとする(47頁)。親族の福利に及ぼす影響については、「婚姻は当事者たる二人が互いの人生を賭して行う営みである以上、氏を改めるか否かという問題に関する婚姻当事者の福利は親族の福利よりも優先的に考えられてしかるべき」であるとする(48頁)。
 最後に、当事者以外で福利の減少が生ずる者が存在するとすれば、「夫婦同氏を我が国の『麗しき慣習』として残したいと感じている人々かもしれない」 が、「選択的夫婦別氏制を導入したからといって夫婦同氏の伝統が廃れるとは限らない」し、本来、人々が残したいと考える伝統的文化の消長は、「最終的には社会のダイナミズムがもたらす帰結に委ねられるべきであり……、その存続を法の力で強制することは、我が国の憲法秩序にかなう営みとはいい難い」とし、制度導入の結果、「夫婦同氏が廃れる可能性が絶対にないとはいえないとしても、それが現実のものとなった際に一部の人々に精神的福利の減少が生ずる可能性をもって、婚姻当事者の福利の実現を阻むに値する事由とみることはできない」とする(48~49頁)。
 以上の考察から、「選択的夫婦別氏制を導入することによって向上する国民の福利は、同制度を導入することによって減少する国民の福利よりもはるかに大きいことが明白であり、かつ、減少するいかなる福利も人権又はこれに準ずる利益とはいえない」以上、「選択的夫婦別氏制を導入しないことは、余りにも個人の尊厳をないがしろにする所為であり、もはや国会の立法裁量の範囲を超えるほどに合理性を欠いているといわざるを得ず、本件各規定は、憲法24条に違反していると断ずるほかはない」(49頁)とする。
 合理性を持った制度が複数あるときにいずれを選択するかは立法の裁量である(最大判平27の木内意見〔民集69巻8号2610頁(該当箇所)〕)。しかし、裁判で現行制度の合理性が問われているのだから、合理性の審査において最も有力に提唱されている選択的夫婦別氏制(1996年2月法制審議会答申「民法の一部を改正する法律案要綱」で明記)によってもたらされる福利と比較することは、手法として許容されるものと考える。
 草野反対意見は、憲法24条2項が婚姻及び家族に関する制度について「個人の尊厳」に立脚したものであることを要請していることから、夫婦同氏制について、社会の倫理の根幹を形成している規定とは捉えない。例えば、最大判平27年が「家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位」だから、「氏をその個人の属する集団を想起させるものとして一つに定めることにも合理性がある」とするような捉え方を排除する。したがって、国民の福利の比較衡量から制度の合理性を検討することができ、国民の福利を向上させる選択肢があるにもかかわらず、夫婦同氏制を維持することは、合理的な立法裁量の範囲を超えると捉えるのである。
 (6) 本件婚姻届の受理
 三浦意見は、戸籍の編製、届書の記載事項など立法措置が講じられない以上、夫婦が称する氏を記載していない届書による届出を受理することはできないとするが(17頁)、宮崎・宇賀反対意見は、「夫婦に同氏を強制し婚姻届に単一の氏の記載を義務付ける部分が違憲無効であるということになれば、本件処分は根拠規定を欠く違法な処分となり、婚姻の他の要件は満たされている以上、市町村長に本件処分をそのままにしておく裁量の余地はなく、本件婚姻届についても、……届出の日付での受理を命ずる審判をすべきことになる」とし、婚姻届の受理による婚姻の成立とその後の戸籍の記載等の取扱いは、概念的に区別し得るものであり、戸籍の編製や記載は法改正まではペンディングだが、婚姻の事実の証明については、婚姻届受理証明書により、夫婦間に生まれた子の出生を証明する必要がある場合には、出生届受理証明書により対応可能とする(42頁)。
 かつて日本人男性と外国人女性の間に生まれた婚外子の日本国籍取得につき、最大判平20〔2008〕・6・4民集62巻6号1367頁は、準正を要件とした旧国籍法3条1項を違憲とするだけではなく、上告人らの日本国籍の取得を認めた。「事案の解決の具体的妥当性は裁判の生命」である(最判平26〔2014〕・7・17民集68巻6号562頁〔該当箇所〕の金築誠志裁判官の反対意見)。

 3 夫婦同氏制が内包する性差別に対する認識
 三浦意見も宮崎・宇賀反対意見も、女子差別撤廃条約16条1項(b)(g)、女子差別撤廃委員会の一般勧告及び日本政府の定期報告に関する最終見解に言及し、前者は人権の普遍性及び憲法98条2項の趣旨に照らし、国際的規範に関する状況も考慮する必要があるとし(15~16頁)、後者は約5頁にわたって子細に検討し、「裁判所においては、女子差別撤廃条約に締約国に対する法的拘束力があることを踏まえて、この事実を本件の判断において考慮すべきである」(41頁)とする。
 夫婦同氏制が内包する性差別を指摘するのは三浦意見である。「婚姻の自由を制約することの合理性が問題となる以上、その判断は、人格権や法の下の平等と同様に、憲法上の保障に関する法的な問題であり、民主主義的なプロセスに委ねるのがふさわしいというべき問題ではない」(11頁)として補足意見を批判する。それは、夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数である背景の分析と関連する。三浦意見は、家制度は廃止されたが、夫婦及び子が同一の氏を称する原則が定められたことから、氏は一定の親族関係を示す呼称として、男系の氏の維持、継続という意識を払拭するには至らず、固定的な性別役割分担と、これを是とする意識が広まり、男性の氏の維持に関する根強い意識等とあいまって、夫婦の氏の選択に関する上記傾向を支える要因となっているとする。したがって、「この問題に関する立法のプロセスについても、これらの事情に伴う影響を否定し難い」と指摘する(14頁)。
 この記述の後に、「夫婦同氏制の『定着』は、こうして、それぞれの時代に、少なくない個人の痛みの上に成り立ってきたということもできる」との理解を示し、「明らかに女性に不利益を与える効果を伴っており、両性の実質的平等という点で著しい不均衡が生じて」おり、「婚姻の際に氏の変更を望まない女性にとって、婚姻の自由の制約は、より強制に近い負担となっている」こと(14頁)、女性の就業率の上昇、共働き世帯の著しい増加、様々な分野において継続的に社会と関わる活動等に携わる女性の増加などの社会的な状況の変化から、「婚姻前の氏の維持にかかる利益の重要性は一層切実なものとなっている」こと(14~15頁)を指摘する。
 宮崎・宇賀反対意見は、三浦意見のように明示はしないが、女子差別撤廃条約への言及の詳しさから、三浦意見同様、違憲判断の根底にジェンダー平等の視点があるものと推測する。私見は、このような視点に満腔の共感を覚えるものである。

 4 通称使用の評価
 現在、自民党には現行の夫婦同氏制を維持した上で、通称使用の拡大によって当事者の不利益を救済する案が検討されていることから、今次最高裁大法廷の意見、反対意見が通称使用についてどのような見解を示しているか紹介し、上記提案を不合理とする理論的検討の一助としたい。
 三浦意見は、通称使用は、「任意の便宜的な措置であり、個人の人格に関わる本質的な問題を解消するものでは」なく、「通称使用の広がり自体、家族の呼称としての氏の対外的な公示識別機能を始めとして、夫婦同氏制の趣旨等として説明された上記の諸点が、少なくとも例外を許さないという意味で十分な根拠とならないことを、図らずも示す結果となっている」とする(13頁)。
 宮崎、宇賀反対意見は、最大判平27年以降の旧姓使用の拡大は、夫婦同氏制の合理性の実態を失わせていると指摘する。国家機関において公的文書を作成する者が作成者氏名として旧姓を使用することが認められたことは、夫婦同氏制の下で決められた氏が実社会において使用されない氏になっても問題はなく、旧姓の方が戸籍姓よりも実質的な価値があり、国民との関係でも公的文書作成の責任者の個人識別に法的な問題を生じないことを国の機関が認めるに至ったことを意味しており、夫婦同氏制による変更後の氏が対外的公示という点では実質的価値が乏しいことが社会的にも認知されたことを示しているとする。最大判平27年が合意性の根拠とした点は、氏が対外的に公示されることだったが、旧姓使用の拡大は合理性の説明を空疎化し、同氏制自体の不合理性を浮き彫りにするとする。 
 また、旧姓使用は外形上は事実婚夫婦と見分けがつかないのだから、旧姓使用者の増加は、夫婦同氏制によって決定された氏(戸籍上の氏)によって夫婦であることの公示や家族であることの公示がなされず、対外的には、氏が夫婦であること、家族であることの識別には使われないという実態が拡大する。さらに、旧姓使用はタブルネームを認めるのと同じであり、ダブルネームである限り、人格的利益の喪失がなかったことになるわけではないから、氏の変更によって生じた本質的な問題が解決されるわけではなく、個人には使い分ける負担の増加社会的なダブルネーム管理コスト個人識別の誤りのリスクやコストを増大させるという不合理な結果も生じさせるとする(33~36頁)
 草野反対意見も、旧姓の継続使用は、使用しうる機会に限度がある以上、「二つの氏の使い分け又は併用を余儀なくされることになり、そのこと自体の煩わしさや自己の氏名に対するアイデンティティの希薄化がもたらす福利の減少が避け難い」とする(45頁)。


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