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崔実(チェ・シル)『ジニのパズル』 感想文

 イメージというものは思い込みに直結するもので、私はなぜかこの作品を「発達障害をテーマにした小説」と思い込み、タイトルは知っていたものの長らく食指が動かなかった。

 思い込みというものは得てして主観的な願望によるものだと思うし、その思い込みが強化される事で脳は偏見を生み、偏見は差別というモンスターに変身する。モンスターが誕生してしまうと、いかに元のイメージを払拭しようとも、その具現化した残酷を打倒することは容易ではない。

 人は人生のある段階で「どうしても勝てないもの」の存在を知る。それは病であるとか障害であるとか才能であるとか性別であるとか人種であるとか出自であるとかいったものだ。(※勝てないという言葉は語弊がありそうだが、『変えようのないもの』という意図として汲み取ってほしい。そもそも勝負する必要は一切ないのだ)

 主人公の少女パク・ジニの眼は、中学校の進学を控えたある日、自らの出自が在日韓国人であるという事実を明確に捉え、その日から社会の中での身の置き所、心の置き所、存在の置かれ所を見つけられないまま新たな世界に放り出される。
 自分の存在を透明化し生活を送るも、次第に社会の露骨な差別、冷ややかな視線、暴力に曝されはじめる。
 朝鮮学校にて、教室内に掲げられる金日成/金正日の肖像画。その「意味」に目を向けず、当たり前のシンボルとして迎合する級友や大人たちのなかで葛藤しながらも、北朝鮮よりテポドンが発射された日を契機に「革命」を計画・実行する-。

 作品を読み進むにつれ、真っ先に頭に浮かんだのは『ライ麦畑でつかまえて』の主人公、ホールデン・コールフィールドだ。彼もまた「どうしても勝てないもの」に打ちのめされながらもNYの街を彷徨う。ホールデンの放浪は痛ましいものであったが、彼の「勝てないもの」はわりと普遍的で、誰しもが大なり小なり引き受ける(引き受けざるを得ない)"社会の中で大人になるということ"だった。

 一方、パク・ジニを打ちのめすものは13歳の少女が負うには圧倒的な力を持ちすぎた。
 
 それでもジニはホールデンよりもずっとタフだった。変えようのないものに突きつけられる刃を引き受けるという選択をしたのだ。例えそれが自尊心を無慈悲に削り取られ続ける道であったとしても。

 この話が実話なのか作者の創作なのかはわからないし、探るつもりもない。創作であったとしても、似たような残酷はおそらく至るところに転がっているのだろうし、それは人種に関する問題だけではない。

 彼女はこれからもっと強く、誰よりも自尊心を守れる人になれるだろう。

(おしめ)


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