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ドルトン・トランボ『ジョニーは戦場へ行った-Johnny Got His Gun-』 感想文

以前、障害者施設で6年ほど生活支援の仕事をしていた。
医療(専属看護師、協力医療機関)とも連携しており、彼らは徹底的に健康管理されていた。
最低限のバイタルチェック(検温、血圧、食欲、便の状態etc.)で「健康である」と判断されれば通常の日中活動を行う。
障害の軽度な人、あるいは発語可能な人は口頭で体調について意思疎通を図ることができるが、重度の人はなかなかそうもいかない場合がある。だから先述のデジタルであったり表情、顔色などの日々の傾向から推測をするしかない。

『ジョニーは戦場へ行った』は反戦の作品であり、確かにエピソードは戦争による重症でありその傷は凄惨なものだが、何よりも恐ろしいのは「コミュニケーション困難と思い込んでいる相手への一方的な思い込み」に尽きると思う。
見方を変えれば、この物語は日常につねに隣り合わせている誰かの悲鳴でもある。

それは冒頭に書いたような重い障害を持っている人かもしれないし、薬物で拘束されている認知症患者かもしれない。愛を与え命の尊厳を守っていると思い込み苦痛を長引かせているペットかもしれないし、「あいつは自分よりも幸福で恵まれている」と思い込み見下し嘲笑を投げかけられている誰かかもしれない。

隣にいる「彼」が本当に安息なのかは本人にしかわからない。
もしかしたら彼は地獄のような牢獄の中で何年も助けを求めているかもしれないし、世界の真ん中ではそれだけが事実なのだ。


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