見出し画像

アルベール・カミュ『ペスト』 感想文

施設勤めの冬は長い。特に入所やグループホームなど生活の場では、永遠に春は来ないんじゃないかと思うほどの緊迫感に、日々さらされる。

寒気が流れ出す時期になると、感染性疾患の書類が配られる。

「ワクチンを打ちなさい」
「うがい手洗い、アルコール消毒、次亜塩素酸水の準備を徹底しなさい」
「微熱があったら通所させないで」
「通所施設でインフルが流行ったらしばらく閉所し施設職員は休みます」
「グループホーム入所者はホームで安静にしていてください。いえ、隔離ではありません。隔離という言葉は人道的に福祉的に問題があるため使えません。あくまで安静にしていてください。『なるべく』外には出ないようにしてください。いえ、『出さないように』ではありません。『出さないように』では軟禁状態にあたり虐待に該当してしまいます。あくまでもご本人の自己決定の元、外出の危険性を伝えた上で安静にしていただくように、声かけ支援してください」

ではその間、誰が彼らの身の回りの世話をするのだろう?
病気を拡散させないように、限定された人員で彼らの支援に当たるのは現場の職員である。
手のひらがひび割れるほどの塩素消毒をするのも、衣服が変色するほど次亜塩素酸水を体に吹きかけるのも、下痢便の始末をするのも、深夜に夜間救急に連絡を入れ、保安要員を招集し寝ぼけ眼をこすりながら病院に連れて行くのも現場の人間である。
この季節、「なんか熱っぽい」「お腹が痛い」などの訴えがあると脳内で瞬時にシフト調整の案が駆け巡る。レスポンデント条件付けだ。

リウーの強さに憧れる。
タルーの信頼感はリウーを力強く支えただろう。
ランベールの気持ちは痛いほどわかる。
立場が変わればコタールの想いも身にしみるだろう。
そしてパヌルー神父もまた同じだ。

それでも死にゆく少年を見守り、目の前の人間の看病をしなくてはならない。
死なせるわけにはいかないからだ。死なせたくないからだ。
もちろんペストとインフルエンザでは終息までの期間も深刻度の度合いも違うが(個別ケースで見れば死に至るケースもあるため安易には言えないが)、限定された空間で目の前の人間を看病し、死に通じていない道をさぐりさぐり歩いて行くという意味では同じだろう。

「ノルウェイの森」の小林緑の言葉が身にしみる。

『みんなは私のことを荷車引いてるロバか何かみたいに思ってるのかしら。いい年をした人たちなのにどうしてみんな世の中のしくみってものがわかんないのかしら、あの人たち?口でなんてなんとでも言えるのよ。大事なのはウンコをかたづけるかかたづけないかなのよ。」
[ノルウェイの森 下巻 p83 /村上春樹 講談社文庫]

それでも人間は忘れてしまう。
春が来ると忘れてしまい、平穏な日常に戻る。
今日も日本のどこかで「やつら」が過ぎ去るのを、限定された場所でじっと耐える人達がいる。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?