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【#才の祭小説】ベファーナの涙


ヒューン、パシッ。
怯えた黒猫めがけて飛んできた雪玉が、ルボーネが振りまわした杖にあたって砕ける。
「こんのクソガキども、タダじゃおかないよ!」
「うわ、出た! 魔女のババアだー!」
飾りが明滅する街へ、雪を蹴立てて逃げ去る子どもたち。
「……怪我ないかい、ネロ」
寄ってきて老婆の足にまとわりつく黒猫。
腰を労わりながら、すくいあげるように胸に抱える。ネロがショールに潜りこむのを見てルボーネは目を細め、雪に杖をつきながら踵を返した。


街外れの狭いあばら家で、暖炉に火を入れ直し、手早く鍋の支度にかかる。
炉端で伸びをするネロ。
明日は12月25日。ナターレといっても集まる親族はおらず、独りにも慣れてしまった。薪がはじけ、スープが煮あがる音が響く。窓辺には、古びた写真立てと掠れた消印の葉書が無造作に置かれている。
(……あれも、そろそろ片づける頃合いかね)
食器や瓶を並べ、物思いに耽ろうとしたとき、呼び鈴が鳴った。驚いたネロがすっ飛んで棚の陰に隠れる。
「こんばんは! ルボーネ、いる? ルボーネ!」
溜息をつき、杖を手に取って、扉へ向かう。
「そう何度も鳴らさなくても聞こえてるよ! なんだい、ベルタ」
「せっかくのナターレでしょ、夕食でも一緒にどう?」
恰幅の良いベルタは笑顔をみせながら、手を差し出した。背後ではすっかり雪が積もり、舞い散っている。彼女の住まいは、近所だが隣というにはやや遠い。開けっ広げなお節介に救われた連中も多いが、彼女が詮索好きなのもまたよく知られていた。
「……遠慮しとくよ。仲間と祝いたいなら、とうに北の慈善院に入っとる」
大所帯のパーティで隅に居座るのも御免被りたかった。
扉が閉まると、こわごわとネロが顔をのぞかせる。
「大丈夫さ。お前を置いて、どこかに行ったりしないよ」

心臓が、ドクンと脈を打つ音がした。


***


ナターレの飾りつけはジャンが、料理の用意はベルタが、と分担するのが長年の習慣になっている。
「いいじゃないか。偏屈な婆さんが来ても気詰まりするだけだ」
「またあなた、そう言わないで。ずっと一人暮らしなのよ、放っておけないじゃない」
ジャンとベルタの会話が、この点で一致したことはない。
「慈善院を勧めた役人だって追い返したんだろ? 独りでいたいのに無理やり引っ張り出すこともないさ」
「あそこの息子夫妻が事故で亡くなった後、女手一つでお孫さんを育ててきたんだから……いろいろ見てきたんでしょ」
「その孫だって十年ぐらい前に出ていったきりだろう」
前にそう言ってたのはベルタ、お前だぜ、とジャンがモミの木に星を飾りながらつぶやく。
「今でも帰りを待ってるわよ、あの人」
「なんでわかる?」
「だって、家族写真を飾ってるもの。海が見える窓辺に」
「……そういう目端が利くところ、本当に感心するよ」
ティンセルモールを整えながら、感心とはうらはらな口調のジャン。
「よし、こんなもんか。そういやテオは? まったく手伝いもサボって……ちょっと探してくる」
「駅前の方かしらね。あなたも遅くならずに帰ってきて。従姉妹たちも、そろそろ来るはずだから」


***


名前も初めて聞いたアフリカの奥地から届いた葉書には、年内に帰ると綴られていた。消印はもう5年以上も前だ。

よく煮込んだカブのスープをすくいながら思い浮かべる記憶の中の顔は、いつも笑っていた。窓辺に寄ると、見渡す海にも雪が舞って沈む夕陽を隠そうとしている。ルボーネは溜息をついて、写真立てと葉書を手に取った。壁にもう片方の手を伝いながら歩き、引き出しに仕舞おうとして。

胸を押さえて、ルボーネは倒れた。ネロが走ってくる。ニャアニャアと鳴きながら顔をなめるのも、ぼんやり靄がかかったように感じる。苦しい、息ができない。食卓に並べておいた錠剤に手を伸ばし、彼女は気を失った。


***


陽気な歌が流れ、イルミネーションが喧しい街角で、テオはショーウインドウに張り付いていた。もう靴下に飴が入っていて喜ぶような年齢じゃない、とお小遣いを握りしめて街に出てみたものの……新しいゲームの値札を見比べては悩む。店頭では、どこか遠い国で王様が変わったとかニュースをやっていたが全く興味をそそられない。そんなことより年越しを一緒に過ごすはとこたちとのゲームの方が大事なのだ。あちこち見歩いて、だいぶ街外れの店まで来てもやっぱり財布の中身は足りなかった。

突然、頭に衝撃がはしった。慌てたテオは足を滑らせて転んでしまう。畜生誰かが雪玉でもぶつけてきたのかと見まわしたが、落とした財布をくわえた黒猫を見て、何が起きたか悟る。
「おまえ、魔女ババアのとこの……あっこら!」
ネロはそのまま逃げだし、テオは無我夢中で雪道を走った。何度か滑りそうになるも、暗い夜道へと消えていく黒猫を見失うまいと必死で追いかけた。テオがついてきているか確かめるように、ネロが何度か立ち止まり振り返っているのにも気づかずに。
(……あの性悪猫め、捕まえたら海に放り込んでやる!)

そう時間もかからず、仲間うちで魔女ババアとして知られる老婆のボロ家にたどり着いた。灯りはついている。猫用の扉から黒猫が家に入っていくのが見えた。昼間に怒鳴られたのを思い出し気が引けたが、財布の方が問題だ。
「す、すいません……あのー!」
返事はない。呼び鈴を押す。静まり返っている。猫が鳴いている。意を決して連打してみたが、一向に反応はなかった。裏口に回る途中、思いついて窓から中を覗くと……テーブルの足元で、誰かがうつ伏せに倒れている。
「婆さん!?」


***


ルボーネが目覚めると、ナターレは終わり、新年になっていた。1月6日の公現祭(エピファニア)には、病院食に甘いドルチェットがついてくる。
(……助かっちまったのかい)
倒れた彼女をベルタの息子が見つけ、その子を探しに来たジャンと出くわして、救助隊に連絡が入ったと。幸いにして心臓の手術は上手くいき、こうして病院の天井を眺めているというわけだ。ルボーネの意識がない間も、ベルタは面会にずっと来てくれてたらしい。本当にお節介な。

「だいぶ元気になったわね。もう大丈夫かしら」
「まだしばらくは寝たまんまさ。腰が痛くてかなわない」
顔をしかめて見せるルボーネ、それを見て笑うベルタ。
「それだけ憎まれ口が叩ければ十分よ。私、そろそろ帰るわ」
「テオにもよろしく言っといてくれ。ありがとうって」
「いいのよ。退院したら、うちの夕食に来なさいよ。そこでいくらでも言えるから」
そうそう、と思い出したようにベルタは続けた。
「ベファーナのプレゼントがまだだったわね」
「何だい、子供じゃあるまいし。石炭色の飴でもくれるのかい?」
「それは悪い子の話でしょ? あなたは十分に頑張ってきたんだから、報われるべきなのよ」

何のことか分からず目を白黒させている間に、ベルタは病室を出て行ってしまった。入れ替わりに、誰かがおずおずと入ってくる。その男が誰なのかに思い至ったルボーネは目を見開く。頬に、あたたかな流れが伝う。

「なんだい……また、心臓が止まっちまったらどうするんだい」

「……ただいま、お祖母ちゃん。心配かけてすまない」

「エルネスト……おかえり」


***


国際医療援助NGOのスタッフとして働いていた孫・エルネストは、任務先で政変に巻き込まれ、何年も拘禁されてしまった。12月に王政が変わり、恩赦を得てやっと帰国できたと。手紙は書いたが、本人が帰り着く方が先になってしまうほどの混乱だったようだ。

「しばらくは一緒に暮らすよ。祖母ちゃん、放っておけないからね」

「はは、この歳まで生きてきて、ようやくベファーナを信じても良いって気分になったよ」

エルネストの抱いているネロが喉をごろごろと震わせている。快晴の空に、魔女ベファーナを象った大薪を燃やす煙がたなびいていた。


<了>





※註

ナターレは、イタリアでのクリスマス

ベファーナは、イタリアではサンタクロース的な立ち位置。下記参照。

ベファーナは、イタリアに伝わる魔女の一種。エピファニア(主顕節)の日である1月6日に、前日までの一年間に良い子だった子供には素敵なプレゼント、悪い子だった子供には靴下に炭を入れていくと言われる。



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滑り込みですが、 #才の祭 小説部門に応募させていただきます。文字数としては3100~3200文字ぐらいになります。よろしくお願いいたします。


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