ニセモノとホンモノ - レプリカ
※トップ画像は、「sasakure. UK - レプリカ」よりスクリーンショットをお借りしました。問題があればご指摘ください。
“ホンモノ”になりたかった”ニセモノ”と、
それを愛したかった”ホンモノ”のお話。
いつもの5選をお休みして、sasakure.UKさんの新作「レプリカ」の話をしようと思います。
sasakure. UK - レプリカ MV feat.初音ミク
ささくれPさん、2019/9/10投稿。ニコ動への初音ミクオリジナル曲投稿としては、けっこう久々では。
革蝉さんのMVが、ささくれさんのメロディと見事に組み合わさり、一つの物語を提示してくれます。黄色と青色のチューリップがMVの前景を成していますが、チューリップの花言葉として受け取るなら、
黄色のチューリップ 望みのない恋、報われぬ恋
に加え、現在の技術では実現していない青については、
青色のチューリップ 存在しない
という意味を示している、と解釈できます。
また、登場人物の二人に与えられた造形が、手塚治虫「火の鳥〈復活編〉」に登場するレオナとチヒロへのオマージュなのも明らかです。
事故死したレオナは蘇生の際に人工脳が用いられたことで、普通の人間がまるで生気のない結晶体にしか見えず、逆にロボットが人間のように見えてしまう状態に陥ってしまう――というのが「火の鳥〈復活編〉」の導入部ですが……
ミセモノの君が 見せる 愛を
ニセモノの僕が 似せる “I”と
真実(ホンモノ)がホンモノじゃない世界
「全く 似ていないでしょう?」
「レプリカ」でも、主人公は"ミセモノ"である彼女を愛し、周囲とは違う自分を自嘲して"ニセモノ"と呼びます(主人公側が"ニセモノ"と形容されるのはここだけ)。また、”ミセモノ”で"バケモノ"で"ハリボテ"の彼女も、主人公の愛に応えようとしています――こうなったきっかけは不明ですが、「火の鳥〈復活編〉」と似た事態になっていると想像できます。
以下では、レプリカの歌詞解釈を行っていきます。
遠い街の鉄塔の 足元に揺れる花が
煙と共にちぎれたのは きっと少し先の話
憶測ですけども、"ニセモノ"を統制していた「遠い街の鉄塔」は、いつか未来において破壊された(=煙と共にちぎれた)のではないでしょうか。
イツワリだと叫ぶもの イツワリに気づかぬこども
それをかき乱すケモノ
「イツワリに気づかぬこども」=主人公、「イツワリだと叫ぶもの」=主人公を止めようとする周囲の大人たち、なのではと想像できます。であれば、秩序を「かき乱すケモノ」は"ニセモノ"たる彼女でしょう。
だから、僕の心臓も
ニセモノだったらよかった、
のに。
自分の心も"ニセモノ"ならば、彼女に近づけて、彼女の気持ちがわかったのではないか、と望む主人公。歌詞中の「心臓」は、心の働きを司る器官・機能を指している、と捉えたいです。
ソノママで良かったのでしょう
ソノママを拒んだのでしょう
「ソノママで良かった」のは主人公、「ソノママを拒んだ」のは周囲。
MVでは、"ニセモノ"の彼女が囚われ、結晶体のような大人に、拘束のためか刃を撃ち込まれます。
宝石で着飾るほど 顕になったバケモノ
"ニセモノ"を本来の姿に戻して拘束する機構=「宝石で着飾る」なのでしょう。そんな"バケモノ"の姿を晒してもなお、彼女は主人公に花を差し出します。枯れた花は、彼女自身の絶望感を表しています。
痛くないよ、とうたえど
君になりたい、とうたえど
その感情 似ていない似ていない
すべてがニセモノ
「うた」に込めた感情が、"ホンモノ"と似ていない"ニセモノ"であることは、"ニセモノ"である彼女自身が一番よくわかっているのです。
では、彼女が流した涙は"ニセモノ"でしょうか。"ニセモノ"である自分自身に苦しみ、"ホンモノ"になれないことを悲しむ感情も、また"ニセモノ"なのでしょうか。
MVでは、千切れた管を検分したり、書類を手に話し合っている結晶体みたいな大人たちの間に、主人公がチューリップの花を手にたたずんでいます。
"ニセモノ"である彼女は、拘束を解いて逃げ出したのです。
都合の悪い感情(≒機能)なんて
欠陥でしかないんだろ?
秩序を乱す「都合が悪い」感情は、"ニセモノ"に備わった機能として見るならバグ(欠陥)でしかありません。
ああ、悲しいくらい
解り合えないから
僕は君になれたら良かったんだ
彼女に打ち込まれた刃を、手を傷つけて血を流しながらも取り去る主人公。
このあたりMVはセピア色なのですが、「僕は君になれたら良かったんだ」の言葉を聞いて、彼女の眼が青色に戻る表現がとても好き。
この声ですら“ニセモノ”だって言うんだろ?
彼女の声を”ニセモノ”だと言うのは、周囲と、そして彼女自身です。それを分かりながら、主人公はそれを否定します。正確には、"ニセモノ"だと言って彼女の声を貶めるような物言いを否定しようとします。
"ホンモノ"ではなくて"ニセモノ"だというだけで悪いのか。たとえ”ニセモノ”であろうと、自分にはかけがえなく聴こえる。なら、"ニセモノ"であっても何も悪くはないと。
花の種をさがす手が、君の雨を拭うとき
希望をさがす主人公の手が、彼女の涙を拭うとき、でしょう。
抗う身体を噛みちぎって嗤う
彼女を拘束していた刃は、"バケモノ"・"ニセモノ"の機能をかろうじて維持していたものでもあったのでしょう。刃が除去されたことで、彼女の身体は限界を迎えて分解していきます。
そして分解に抗おうとする”ニセモノ”の身体、その分解を止めようとせず無くなっていく身体を嗤う彼女。
ああ、全く、悲しいくらい
『貴方は僕に、』
そっくりだったよ。
約8秒間の挟まれた無音は、二人の物語のクライマックスです。
"ホンモノ"になりたかった"ニセモノ"の彼女と、"ホンモノ"でありながら"ニセモノ"を愛した主人公は、互いに相手側へと移りたいと願った。悲しいくらいに逆方向で、鏡写しのようにそっくりな願い。
大人たちから見ればその願いは叶うはずもなかったけれど、"ホンモノ"と"ニセモノ"の境界を超えようとした二人の間では、事実上成就していた。
そう見做しても良いと感じました。
最後になりましたが、チューリップには本数ごとの花言葉もあり、
1本のチューリップ あなたが運命の人
なのだそうです。
ささくれさんの他作品と比べても、よりVOCALOIDイメージソング感が強いなあなど、色々と話を膨らませることはできそうですが、この辺にしておきます。それではまた。
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