人間の肉体というものは穢いものだからこそ非現実的なまでに美しい服を着たい

人間の肉体というものは、魂が出ていけば腐っていくような代物である。
霊魂が肉体に入っていることで腐るのを押しとどめている状態なのが、生きている人間の肉体だと言える。
孤独死した死体を肉食の害虫が食べて、そこで卵を産み、孵化してまた餌にすることからも分かるように、人間の肉体というものは腐った食べ物と同じようなものでしかない。
生きている人間の肉体には常に背後にこのような生モノ性の汚穢感がつきまとっているため、その気配を払拭するために物質性を超越するように思えるほどの美しい服を着たい。
肉体の存在を圧倒するほど夢のように美しい服で自分の肉体を覆って、肉体の存在感よりも服の存在が凌駕しているような在り様でこの世に存在していたい。

蝶は胴体の何倍もの大きさの羽をもっている。
蝶の羽は蝶の胴体を覆い隠すため、蝶の姿はほとんど羽として認識される。
私も蝶のように、体を覆い隠すほどかさ高く、たっぷり布を使ったレースやフリルいっぱいの美しい色の服を着て、肉体の存在感を消したい。

蝶は一生羽を取り替えることはできないが、人間はその日の気分で服を替えられる。
その日、どんな羽にするか自分で決められるのは肉体という穢いものの中に住んでいる人間のせめてもの自由な美的精神の発露手段である。
その日の気分をまとうとは、目に見えないものを表現することである。
穢い肉体を捨てて純粋に意識だけで存在したくとも、肉体を無くすことはできない。
その無念を補償するかのように肉体をもっているゆえに色んな服を着る楽しみがあるようにも思う。
死んで幽霊になったら「こんな服が着たい」と思えばお金や入手手段も考えずに即座にイメージした服が身に纏えるのだろうか。

この世に存在する夢のように美しい服も、デザイナーの想像力という無形の始原から生まれてきている。
服というモノは夢から生まれ、肉体というモノを夢で覆うため、モノになる。

私は、夢のように美しい服を纏って、夢を具現化させたい。
そのために、できる限り痩せて肉体の体積を最小限にして、外見における服と肉体の比率をできるだけ服優位なものにしたい。
精神性は顔つきに表れ、それは化粧や髪型ではごまかせない。
けれど、肉体は痩せてさえいれば、服によって醜さを緩和できる。
肉体の存在感を希薄にして、服と意識だけが存在しているような在り方が、私の理想である。


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