見出し画像

中力の話

こんばんは。

れふとです。

今回は数年前、インフルエンザの予防接種に行った際に出会った嘘のような人物のお話をしたいと思います。

その日は秋も深まる10月末頃の事でした。

私はその日、15時に間に合うよう、
小雨の中社内にある置き傘を借り、会社の皆さんへ行って参りますと一言告げ、最寄りの病院へ向かい予診票を書きながら、熱を計っていました。

この病院で受ける予防接種は初めてではなく、メンタル的にも小慣れた気持ちで
リラックスして臨めたと自負しています。

熱も問題なく、いつも通り接種前の注意点として、医院長と思われるおじいさんから

「今日は過度な運動はしちゃダメだよ?」
「お風呂は入って大丈夫だから。擦ったりはしないようにね。」
「今日はお酒は嗜む程度にね。飲みすぎると体に触るからね。」
「…そうそう、仕事終わってから六本木とかね、行っちゃダメだよっへっへ。」

…ああ、良かった。今年もいつもの医院長だ。
ちゃんと最後いらない一言放り込んできた。今年も安心だな。
私はそう心で思いながら笑顔で医院長に会釈し、接種の準備が終わるまで、
待合室で謎の海の生物TVを見ながら待っていました。

18畳程の白を基調とした綺麗な部屋。
入り口右手には広めの、腰の高さほどの洗面台が2つあり、左手には受付。
看護師さんがお二人いらっしゃって、何かあればすぐに反応できるよう、こちらに意識を配ってらっしゃる。

入り口を直進すると部屋がひらけていて、
3人掛けの深めのグリーンソファーが6つ、右向きに座れるように置かれていました。
開けた右側、6つのソファーの向かいには委員長室が真ん中、左側には接種を行う部屋、
右側には血圧等の心身を測定する検査室がありました。

委員長室の前には天吊のモニターがあり、
そこに謎の海の生物の動画と、癒しの音楽がゆったりと流れ、
ソファーに腰掛けると左手側の大きな窓にレースのカーテンだけがかかっており、
小雨の天気でなければとても心地よく過ごすことができる
そんな待合室でした。

私は2つずつ3列に並んだソファーの最後列の手前側に腰掛け、名前を呼ばれるのを待っていました。

そこに職場の同僚のアンジー(仮)が30分遅れでやってきました。

インフルエンザの予防接種後、30分の経過観察時間を設ける必要がある為、予め30分のズレを作りながら、病院へ向かい、職場に不在者が出過ぎないように工夫していたのです。

『あれ、もう終わったの?』
アンジーはもう私が接種を終えたの思ったのでしょう。
今年はお年を召したご夫婦がゆったりと予防接種をされていて、
押していた為まだ接種を終えていませんでした。

『いえ、今日は地味に混んでいてまだなんですよね。』

私がアンジーにそう告げた時、ヤツが現れました。

小太りで紺色とワインレッドのチェックシャツ。
下半身はロールアップしたストレッチ素材と思われるジーンズ。
そのシャツをロールアップジーンズにインし、
ウェットな長髪をなびかせながら『んん。んぅ。』と無駄に熱い吐息を発しながら、
私とアンジーの前の列に腰をかけた人物。

秋も深まる10月末に、小雨にも関わらず土砂降りに遭ったかのようなびしょ濡れの背中。

180cm近い身長にびしょ濡れの背中。

無駄に熱い吐息。

背負っていたアタッシュケースのような、
ハード素材の黒いリュックから書類を取り出し、
スタッフの方に
『ああ、んぅ。…これ。』
と、何かを渡す時の所作、発音、オーラ。
10月末にびしょ濡れの背中と、無駄に熱い吐息。

人間観察が好き私は長年の勘から直感しました。

今日は、何かが起きる と。

私はアンジーに告げました。
『アンジー。前の人、目を離さないでくださいね。』

私とは趣味嗜好も異なるアンジーでさえ、
あの濡れた背中とオーラから何かを察したのでしょう。

『え…あ、わかった。』

私たちは待っている間、彼に対して勝手に分析を始めました。
リュックの素材から何かの密輸をしている可能性、
びしょ濡れの背中から見るに緊張感を伴う売買をしているのではないか…。
あえてスーツではなくチェックのシャツを着て一般人を装っていて、
万が一の時のためにストレッチ素材のジーンズをロールアップしている。

きっと、売買時間は15時で、遅れてしまった為に無駄に熱い吐息をしているのでは…?


色々な妄想が繰り広げられた挙句、
私たちは彼をこう名付ける事にしました。

中力と。

長州力程でも大きくもなく、間違いなく小力程小さくもない。

中力。

そうこうしている内に私の予防接種の時間になり、
一旦席を外しました。

私は接種の痛みよりも、接種後の腫れなどの心配よりも、
何よりも中力の行く末が気になって仕方がありませんでした。

接種を終えて小走りにアンジーの元へ帰りましたが、特に動きはなかったと聞いて心から安堵しました。

その後、アンジーよりも先に中力が奥の部屋へ呼ばれました。

ああ、六本木のくだりを中力も聞くのかな。
と思い、それでも彼から目を離しませんでした。

すると…

中力は席を立ち、医院長室の扉よりもやや左、
接種を行った部屋と委員長室の、
その間の壁へ直進しはじめたのです。


…一体、何が起きているんだ…?

私とアンジーはポルターガイストを目の当たりにしたかのような表情で彼を目で追い、瞬間的にお互いが目を合わせ、これは現実なんだと事実確認。壁の目の前に中力が辿り着いた時、静かな間に合い室に

キュッ!!

と言う大きな音が響き渡り、それと同時に

『よいしょっ』

と発音し90度回転しました。

そして医院長室の前でもう一度『よいしょ…』と発音し、医院長室へ入って行きました。


私とアンジーは再度お互いを確認しました。

『今、よいしょって…』
『90度でターンしたよね?』
『ドラゴンクエストごっこですかね?』
『それより、2回目のよいしょ小さくなかったですか?』
『病院でバスケみたいな音、しましたよね?』

『…それよりなんか、委員長とすごい仲良く喋ってる感じだよね…』

約2分ほどでしょうか。

鈍痛の痛みを堪えている時のような、
大事故に遭った親友の事実を受け止めきれず、パニックに陥るその寸前のような…
そんな二人の吐息が待合室に小さく、小さく響き渡り続け、
看護師さんからインフルエンザの副反応ではないかと勘違いされてしまいました。

アンジーはまだ医院長の六本木のくだりさえ聞けていないのにも関わらず。

その後も中力は私が看護師さんからの帰宅許可を得られるまで、
医院長室から戻って席に着くまで、そして接種を行う部屋行く最中、

全て取りこぼすことなくドラゴンクエストターンによるキュッ!!と言う大音量と
相反する小慣れた感のある小振りな『よいしょ』を待合に室に響かせ続けました。

一度だけ『…ぁよいしょっ』と、リズム感を出していたようにも思えます。

30分が経過してしまった為、私は会社に戻る時間となってしまい、
接種後の中力の様子をアンジーに託し、その場を後にしました。
生まれて初めて、予防接種後に『まだ、帰りたくない』と、思いました。

会社へ戻る途中も2度ほど思い出してしまい、
無駄な熱い吐息がうつってしまったのは、


今では辛い思い出です。


それではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?