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アンタレス公園忘備録・10月

このところ定期的に広島のアンタレス公園に集まっている。

社会意識に定義された自動運転を抜けるためのワークをしたり、話をしたり。

今、広く多く認知されている社会的に「良いこと」ってピラミッドな構造が大きい。
たくさん、多く、広く、もっともっと、楽しい、ハッピー!みたいな。
ホメオパシーの淋病マヤズムのよう。

ここから抜け出して行こうとしている人たちもかなり増えているけれど、これも大まかに2つパターンがあって、この構造と対立した形で離れて行くパターンと、この構造の中のことをやり切って離れて行くパターンがあるように思う。

対立のパターンは相手がいないと成り立たないから、杭に繋がれた犬みたいに実際は離れ難い。

やり切って離れて行くと、未練も執着もないから、軽い。

後者の方が良さそう。
でもこれにも離れ難いところがある。

それは、見慣れないところへ飛び込む必要があるということ。

だいたいやり終わった!未練なし!と思っていても、じゃあ新しいところへにジャンプしてねと言われると躊躇する。

私がまさにそれで、ラットレース的な世の中に飽きたなぁと思っていても、他人に規定されないで、ルールも自分が作るような世界が空恐ろしくも感じる。

なんでも、本当になんでも自由だと言われたら、ビビらない?
100パーセント自主で、ビジョンにしたがって生きるということ。
生きる死ぬはもちろん、病気になる/ならない、お金持ちになる/ならない、幸せになる/ならない、働く/働かない…全部決めていいの?自分で??というビビり。
それは過去に例がないということ。
過去の延長線上で選ばないということ。

そこで友人のサポートを受けて空間を作り出す。

一直線上に自分の時間軸をイメージする。

「100パーセント自主で、ビジョンに従っている」5年後の未来の自分に向かっていき、その中に入る。

薄々感じてはいたけれど、5年後は今の仕事をしていないことを今まで以上に感じた。
そもそも仕事になってない面もあるけど。
かといって薬剤師をする気も全く全く起きていないこの1.2年。
やっぱりそうかと頭の片隅で思いながら、当の5年後の私はとてもとても穏やかだった。

もうYouTubeも見てないし、ガタガタと迷い言も言っていない。
無駄な買い物に右往左往してもいなければ、世間の流行りも遠目で見ている。

何をしているのかまでは分からなかったけど、言葉はいらないようだった。

5年後の自分にインタビュー。
いつからそうなったのか聞くと。3年前からだという(現在の私からすると2年後)。

ならば、と時間軸を3年戻って入ってみると、すこく重大で重々しい感覚がする。
岐路に立っている感覚。チェンジの時の圧迫感。
え、こわ。

そしたら一旦そこから抜けて、5年後の私と2年後の私を側から見てみる。
お〜雰囲気が全く違うね!

2年後と言わずに、もっと早く5年後のような私になるには?
早めたらどう感じる?

質問して、答えを聞いて、また入って。

繰り返して行くと、だんだんとチェンジのタイミングが早まると同時に、とっても軽くなってくる。
こっちのほうが断然良い。

こうやって色んな時間軸の自分の中に入ると、よく分かる。
何が見えて、何が聞こえて、何を感じるのか。
体の感覚が教えてくれる。

だから、チェンジする時、100%自主を選ぶ時は体と仲良くすることが大切ということ。
頭と心ではもう進みたい、変えたいと思っているけれど、体が怖がっている(これもよく分かる)。
時間軸に入って5年後を見ると、何も怖くないことが頭と心は分かっていても、体が怖がっている。

という訳で今回のミッション。
<調べないで、準備しないで、気の向くところへ出向き可能なら泊まる>
結構怖く感じることではある…

つづく。


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