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【短歌選評】第2回AI歌壇 冨岡正太郎選

 このたびお話をいただき、ネット短歌企画「AI歌壇」第2回の選者のひとりを務めさせていただきました。
 「AI歌壇」は人間とAIとで選を行う短歌の投稿企画です。第2回は自由詠と題詠「ちいさな嘘」の募集が行われ、僭越ながら特選と若干数の佳作を選ばせていただきました。

 以下選んだ作品と選評です。企画を知らなかった方も楽しめるように書いたつもりなので、是非読んでみてください。



自由詠部門


【特選】

満月だ穴ぼこだらけで満ち足りて英雄譚だ友だちが死ぬ

/ てんぺん


 もっとも鮮やかな印象を受けた歌です。初句で大きく提示される「満月」が、視点を微妙にずらされながら流れていき、読んでいてスピード感があります。
 「満」と称される月の「穴ぼこ」を指摘してみたかと思いきや、今度は月の主観的な領域に目を向け、そこではやはり「満ち足りて」いるとし、はたまた客観的には権威や偉大さを帯びた「英雄譚」でさえあると、もはや制御できないスケールにまでイメージが膨らんでいきます。
 しかし結句だけは「友だち」の死を描き、遠くにあった意識が近くへ引き戻されます。どれだけ別の地平で「満月」が変転し膨らんでいても、主体にとって切実なのは「友だち」の死であり、にもかかわらず「満月」はなにも手を差し伸べてくれない。それどころか巨大な「英雄譚」の儚い犠牲となってしまったかのようにも読めます。
 こうして組まれた構図は、やるせなさを含んだ奇妙な余韻となって読み手に訪れるでしょう。二か所に配置された言い切りの「だ」も効果的に感じました。


【佳作Ⅰ】

この家のほんのちいさな凪としてただそこにある超熟の青

/ あひる隊長


 「家」という立体の内には気流をはじめとする多様な流れがあり、それを捉えたうえで、食パン「超熟」の立方体に流れの一時停止、つまり「凪」を見出した繊細な一首です。
 「家」は空間を持つ大きな直方体、対して「超熟」は中身の詰まった小さな直方体なので、しっかりした対比となっており、歌に説得力を与えています。「ほんの」「ただ」など強意の語や、ひらがな多めの表記も、ゆったりした雰囲気に合っています。
 風のモチーフや爽やかなトーンを「青」で繋ぎながら歌を結んでいます。ここまで来るとややイメージとして清潔すぎるため、販促っぽい感じも滲みますが、それでも「超熟の青」には必然性があると思いました。


【佳作Ⅱ】

きらめきを二度目ましてで知れたこと金平糖って呼ぶんだろうな

/ 虚光


 最初は通り過ぎてしまったものの「きらめき」を、あらためて自身で捉えなおす、その体験の心地よさが「二度目まして」の軽いワードチョイスにうまく乗っています。直感ではなく、認識によって知ったのがとりわけ重要なところで、幾何学的に美しく成型された「金平糖」はその性質を正確に喩えています。
 結句では「呼ぶ」という命名の形でモチーフからやや距離を取っており、「だろうな」の推測でさらに主観の域に引いています。それまでの澄んだ流れとこのふわっとした言い方との取り合わせは、好みが分かれるかもしれませんが、先に述べた心地よさの表われなのかなと解釈しました。


【佳作Ⅲ】

人知れず大気はうごき閉ざされた原野のかたち確かめてゆく

/ ef


 星の大気圏を丸ごと擬人化している豪胆さや、大気を星(の重力)に「閉ざされた」と言ってしまうシビアさが魅力となっている歌です。「原野」の語にはごつごつした質感があり、文明などの興っていない星を想起させます。「うごき」と妙にそっけない動詞を与えられた大気はその原野にじわじわ拡がり「かたち」を把握しますが、その営為の果てにどうなるのかは不明瞭です。
 ただ、初句の「人知れず」が隠密行動のような雰囲気を持っており、さかのぼって歌全体をぐっと不穏にさせている、そんな面白さがあります。
 結句の「ゆく」が流れてしまっている点や、あくまで奇想の提示にとどまっている点は気になりましたが、景の力強さを採りました。


題詠部門「ちいさな嘘」


【雑感】

 題の「ちいさな嘘」はかなり難しく、たとえば人間関係に落とし込んだ場合でも意外とバリエーションが少なくごまかしが効かないものとなっています。
 他者とのやりとりにおいて、もうそんなに「ちいさな嘘」をつく機会がないのか、あるいは価値観や在り方を守るための「おおきな嘘」になってしまうのか……。
 いずれにせよ、切り取る部分の塩梅や独特さが問われる題となっていたように感じました。


【特選】

マーガリンとは知らされずじゃがいもは湯気ひからせてほっくりと待つ

/ 石村まい


 じゃがバターを安価なマーガリンで代用して作る節約レシピを、じゃがいもから見た「ちいさな嘘」として描く、ほのぼのとした一首です。不器用なまでの生活への誠実さと、数あるレシピの中からじゃがマーガリンをチョイスする絶妙さに初読で惹かれました。
 「知らされず」や「待つ」は比較的シンプルな擬人法であり、下の句で連続する「湯気」「ひからせて」「ほっくりと」なども「じゃがいも」から連想しやすいストレートな描写がそろっています。ですがそれが決してマイナスとなっているわけではありません。
 これらの素朴、いわばベタな筆致を重ね続けることで、じゃがいもの質感や無垢さ、疑わずバターを期待している心、に寄り添いきっています。形式と内容を着実に合わせています。
 それゆえ歌全体が前振りとなって、この歌の外側で起こる(ちいさな)悲劇を予感させ、柳家喬太郎『コロッケそば』をより現代的にしたようなおかしみにつながっています。


【佳作Ⅰ】

今季初ホームランですという顔で喜んでみせる大玉スイカ

/ 牧歌


 「大玉スイカ」と「ホームラン」、近いようでなかなか見つけづらいふたつを結んでいるのが巧みです。球形、夏、花火、のような似た言語空間にあることも確かですが、漠然としたサイズ感や、その場の明るさでとりあえず肯定してしまえるような喜び顔のイメージを連れてきている点でも、歌全体を使って表現するに値する比喩となっています。
 蓋しそれぞれの実りはすべてひとつの打席であると言えるでしょう。
 第三句「という」がほんの少し不用意にも感じますが、第二句「です」の白々しいアナウンスや、結句まで引きつけた先の体言止めにもパンチがあります。


【佳作Ⅱ】

特急の白い車体が眩しくて狂いそうだ、おれ、クリームソーダ

/ デコピン


 「おれ」は喫茶店かどこかで「白い車体」を見て「狂いそうだ」と『異邦人』のムルソーっぽく嘯いてみせますが、それが「ちいさな嘘」なのでしょう。キザさ、大袈裟さを照れ隠すかのように「クリームソーダ」を頼み「狂いそうだ」と脚韻を踏んでみる。この主体の軽薄さがなんとも憎めません。
 よく見ると、車体の白とクリームソーダの緑、特急のスピード感とクリームソーダの静物感、眩しさから導かれる熱気と店内の涼しさなど、割に鮮やかな構図が成立していますが、結局そのなかでダラけていそうな「おれ」に目を戻すことで、面白味が増幅していきます。
 読点を使い会話感を出していたり、ひらがなの「おれ」で硬派ぶっていたりするのもポイントです。



 選評は以上となります。読んでいただきありがとうございました。

 「AI歌壇」の企画をなさっている深水英一郎さんのTwitter(現X)「短歌マガジン」では、他の選者の方々の選評も順次公開されています。
 また、第3回AI歌壇の募集も開始しているとのことなので(10/8締切)、こちらもどうぞお寄せください。


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