プトレマイオス派グノーシス主義の教説①

【オグドアス・アイオーネスの名前の詳細】
1.プロパトール      《原父・至高神》
  =ビュトス       《深淵》
  =プロアルケー     《原初》
2.エンノイア       《思念》
  =シゲー        《沈黙・静寂》
  =カリス        《恩寵》 
3.ヌース         《叡智・精神》
  =モノゲネース     《独り子》
  =パテール       《父》
  =アルケー       《初め・原理》
4.アレーテイア      《真理》
5.ロゴス         《言葉・理性・論理》
6.ゾーエー        《生命》
7.アントローポス     《人間》
8.エクレーシア      《教会》

【デカス・アイオーネスの名前の詳細】
9.ビュテイオス      《深みにあるもの》
10.ミクシス        《交わり・交合》
11.アゲラートス      《不老のもの》
12.ヘノーシス       《一致・配慮・反省》
13.アウトヒュエーシス   《自ら成長した者》
14.ヘードネー       《快楽・悦楽》
15.アキネートス      《不動のもの》
16.シュンクラーシス    《混合》
17.モノゲネース      《独り子》
18.マカリア        《幸福》

【ドーデカス・アイオーネスの名前の詳細】
19.パラクレートス     《援け主・救い主・仲介者》
20.ピスティス       《信仰・誠実》
21.パトリコス       《父に属するもの・父性》
22.エルピス        《希望・待望》
23.メートリコス      《母に属するもの・母性》
24.アガペー        《愛徳》
25.アエイヌース      《永劫叡智・永劫理法》
26.シュネシス       《理解・統合》
27.エクレーシアスティコス 《教会に属する者・伝道者》
28.マカリオテース     《幸福》
29.テレートス       《欲せられた者・慾望・意慾》
30.ソフィア        《智慧》

【その他のアイオーネス】
※1 デュナミス(中性)   《力》
   =ホロス        《境界》
   =スタウロス      《十字架》
   =リュトウローテース  《贖い主》
   =カルピステース    《解放者》
   =ホロテテース     《境界を置く者》
   =メタゴーゲウス    《元に戻す者》

※2 クリストス(男性)   《パトスの治癒者》
   =第一のキリスト
※3 聖霊(中性)      《安息に導くもの》

【プレーローマ構成表詳細説明】
 上に示した図は、リヨンのグノーシス主義異端反駁論者として知られるエイレナイオスが、その著書『異端反駁』によって報告したプトレマイオス派グノーシス主義の教説をもとに構成した、超越的世界プレーローマ内におけるアイオーン群の図表である。この報告においては、まずこの世の物質的世界が生まれる以前(宇宙発生以前)の話が展開される。原初に万物の知られざる根源とされ、至高神プロパトール(ビュトスあるいはプロアルケーとも呼ばれる)在りき、で語り起こされるこの教説は、典型的なアンドロギュヌス神話、シュジュギア元型神話と見做すことができる。プレーローマ内の至高神の両性具有性は、虚構的な性の分化による結婚状態によって説明されており、基本的にはどれをさしても永遠に結びついた状態であるということで両性具有だとされるのである。根本的に両性具有(男女=おめ)である至高神プロパトールは、あるとき万物の初めを自身の中から流出しようと考え、自己思惟(客体を思い浮かべること)によって発顕し、自身の女性性としての半身エンノイア(シゲーあるいはカリスとも呼ばれる)をシュジュゴス(伴侶)として分化し、「プロパトール=エンノイア」の《シュジュギア》を形成する。そして自分が流出しようと考えたその流出を、この永遠の伴侶であるエンノイアの胎のなかに種子を置くようにして置いたとされる。それによって妊娠したエンノイアがヌースを流出する。これは人間の性交と受胎をモチーフにしているのは明らかである。万物の初め(アルケー)としての流出であるヌースは、プロパトールに類似しており、かつ等しく、ヌースだけがプロパトールの偉大さを把握しえるとされた。ここでのヌースは原父の息子であるからモノゲネース(独り子)ともパテール(父)とも呼ばれるのである。ここでは同時にアレーテイアも流出されていると説明されるが、それでもヌースが独り子と呼ばれるのは、プロパトールの両性具有性の論理と同じ意味である。「プロパトール=エンノイア」の《シュジュギア》という形で説明される男女(おめ)としての両性具有性が、その子であるヌースにおいても、アレーテイアとのシュジュギアをなしているという説明(つまり「ヌース=アレーテイア」)で適用されているのである。この二つの《シュジュギア》によって成立している「プロパトール―ヌース」の父子の二対四柱はテトラクテュス(四個組)と呼ばれた。そして「ヌース=アレーテイア」は自分が流出された目的を知り、父の意向を汲んで、同じように「ロゴス=ゾーエー」を流出し、「ロゴス=ゾーエー」もまた同じく「アントローポス=エクレーシア」を流出した。これらは実質、両性具有的存在としての「プロパトール―ヌース―ロゴス―アントローポス」と呼ばれるが、同時にシュジュギアをなしているので四対八柱であり、このページのトップに飾ったイメージのような構図となる。プトレマイオス派の教説ではこれを万物の根と実体としての《オグドアス(八個組)》と呼んだとされている。そして「ロゴス=ゾーエー」と「アントローポス=エクレーシア」は、それぞれ自分でも自分固有のもので父に栄光を帰そうと望んだとされ、同じ要領でシュジュギアを成す諸至高霊たるアイオーネスを一挙に流出する。「ロゴス=ゾーエー」からは五対十柱のアイオーネスが流出され、「アントローポス=エクレーシア」からは六対十二柱のアイオーネスが流出されており、前者はデカス(十個組)、後者はドーデカス(十二個組)と呼ばれて区分されている。プトレマイオス派の教説においては、これら合計して三十個組のアイオーネスによって構成されているのが、不可視であり、秘匿されていて認識されていない光の超越的世界プレーローマであるというのである。

 さて、このように語り起こされるプトレマイオス派グノーシス主義の、この世の宇宙発生以前における超越的世界プレーローマの物語だが、この世の宇宙発生の原因ともなる異変が生じる。それはプレーローマのもっとも深奥に位置するテトラクテュスでの出来事から始まる。先述したように、不可知なる至高神プロパトールを把握することが可能なのは、その子たるヌース(叡智)だけの特権だとされているが、これは、グノーシス主義における至高神の不可知論における《叡智》、つまり「至高神は《把握不可能》という一点においてのみ把握することが可能」という説明が見て取れる。このヌースがプロパトールのこの偉大さを、残りのアイオーンネスにも伝達しようと思いをめぐらせていたが、プロパトールの伴侶であるエンノイアが、残りのアイオーネスをして、彼らの至高神を探求しようという思い(エンテュメーシス)と憧れに導きたいと欲してプロパトールにそれを願い出て、プロパトールはそれを受け入れてヌースを制止した。そしてエンノイアの願い出た通りに、「ヌース=アレーテイア」より下に位置するアイオーンネスは至高神の不可知性に憧れを抱くようになる。しかし、アイオーネスの抱いたこのエンテュメーシスが、父を把握したいと欲するパトス(激情)に駆られる不安定な状態に、アイオーネス自身を陥らせた。この場合パトスに駆られるというのは認識欲を満たす衝動に駆られるということでもある。そしてこの症状は、ドーデカス内において最後に生まれた最も若い女性アイオーンであるソフィア(智慧)に凝縮され、爆発した。ここでのソフィアは、その伴侶であるはずのテレートスと抱擁することなしに(つまりシュジュギアを成さなかった)、このパトスに駆られた。このソフィアは、至高神への愛という口実の下に、唯一、至高神プロパトールを知る特権を有するヌースのように「《把握不可能》という一点においてのみ把握することが可能だ」と知っているものとは違う、至高神の不可知論を見誤ったものの例となっている。ソフィアは《把握不可能》な至高神を、軽はずみに「把握しよう」と欲したがために、不可能なことに苦悶する酷いパトス(文字通り激しい情動に駆られること)に陥ってしまったのである。

 この、女性アイオーンであるエンノイアの望みが原因で生じた、同じく女性アイオーンのソフィアに凝縮されて爆発する結果となったエンテュメーシスと形相のない存在にして非神的要素であるパトスは、十全的(不完全的)な女性だけが産むことのできるような、女性の本性のようなものとして産まれたものであり、プレーローマ内においてはこの結果は過失であると説明されている。これは、女性的宇宙の内部に潜在している、無意識的におのれを欲っせられるところのもの(客体)と見做し、買われることを期待する思い(エンテュメーシス)を抱くという、他者の裡に己を託さざるを得ない依存性を持つ女性性のナルシシズム、すなわち《娼婦性》のことである。これはソフィアの本来の伴侶である男性アイオーンであるテレートスが、《欲せられた者》という意味であることもそれを表しているといえるであろう。ソフィアは、把握できないものを把握しようという激情に駆られるが故に、プロパトールを求めて自分を絶えず自分を前に伸ばそうとした。そのため、その存在自体の個別性がプレーローマ内で消滅してしまう危機に晒されてしまう。しかしこの危機は、プレーローマの外からこの様子を見守っていたデュナミス(力)によって回避された。エイレナイオス『異端反駁』のプトレマイオス派の説明と思しき箇所だけを見ても、このデュナミスがどこから流出したのかは不明である。ただ、プトレマイオス派を説明しようとしてそれ以前のヴァレンティノス派の教説の知識を交えて報告していると思しき箇所を見ると、こちらでは、ソフィアが至高神を真似ようという思い上がりのために不完全なものとしてのパトスを生み出してしまい、その処理にどうにもできなくなったことで、彼女が己の過失の軽率さに悔いて至高神に保護を求める嘆願者となり、それに応じたプロパトールが、救済処置として流出した中性のシュジュギアを持たない流出物が、このデュナミスだということになっている。なにはともあれ、ソフィアはデュナミスによって、そのパトスに駆られた動きを制止され、もとよりその企て自体が不可能なことである(至高神は《把握不可能》であるという一点においてのみ把握しえる)ということを告げられ、それに納得し、己の無知故に軽はずみに過失をおかしたことを悔いた。その後、エンテュメーシスとパトスは、ソフィアによってプレーローマの外に棄てられる(これによってソフィアはアバテイアの状態となる)。これはデュナミスによってソフィアが清められ、彼女がテレートスとの抱擁、つまり「テレートス=ソフィア」のシュジュギアに復帰させられたことも意味しており、そのおかげでソフィア(智慧)は消滅せず、プレーローマ内にとどまることができたとされているのである。デュナミスはプレーローマを覆う境界線としてプレーローマのアイオーネスの一員となった。そしてヌース(「ヌース=アレーテイア」)は、ソフィアが無事テレートスとのシュジュギアに復帰すると、プロパトールの計らいに従い、再び別の対としての《第一のキリスト》と《精霊》を流出した。これはプレーローマ内のアイオーネスが、ソフィアと同じようなことを繰り返さないためのパトスの徹底的治癒のために流出されたものである。キリストはアイオーネスのシュジュギアの本性とプロパトールの把握不可能性を教え、精霊はそれによって均等化された知識を持つようになったアイオーネスに感謝と賛美を教え、彼らを安息へと導きいれる役割を持っている。プレーローマの全アイオーンはこれに対する感謝として、統一的意志の下、自分たちの最もよいものを集め寄り、至高神の栄誉と栄光のために流出物を出した。この流出物は、プレーローマにおけるアイオーネス全体を象徴するものとしてのパンタ(万物)たる《イエス・キリスト》であり、「ヌース=アレーテイア」が流出したキリストが《第一のキリスト》と呼ばれるのに対して、こちらの《イエス・キリスト》は《第二のキリスト》とされる。この第二のキリストは《ソーテール(救い主)》ともロゴスとも呼ばれ、また同時にその守護者としてのアンゲロス(天使)たちが流出されている。超越的世界プレーローマの出来事はここでいったん収拾がつくが、ソフィアによって棄てられたエンテュメーシス(第一のキリストによって形を与えられてアカモート[=下のソフィア]となる)およびそれに付随するパトスの問題が残っている。この後、その運命とソーテールとの関連、つまり中間界の形成とその出来事が語られていき、後にはそれがこの世の宇宙発生の話へと結びついていくことになる。

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