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なにげない日常、瞑想的生活のススメ

ふと、‘’ある人”との会話から、思い出したことがある。

「感覚的」になるシチュエーションについて。

意図して感覚的になる というよりは

自然と感覚的になる である。

禅では、「なりきる・感じきる」とよく言われている。

私もかつて参加したことがあるけれど、

ひとつのおにぎりを、ゆっくりと

それはそれはゆっくりと、口の中で感じ味わうのだ。

すると今まで感じたことのないような、お米の甘さやまろやかさ、
そして塩味との何とも言えないマリアージュ、、、。

ここで言いたいのは、
「だから、何でもじっくりと感じきりましょう!」という話ではない。

このテの話はもう何百回と聞いてきた人も多いと思う。

冒頭の”ある人”は言う。

無意識的に直感が鋭くなるから、シンクロニシティも起こりやすくなる。(シンクロニシティについては、因→果でなく、果→因、もっと言えば因=果だと感じているが、それはまた別のところでいつか書いてみようと思う)

「ふむふむ」と初めは、好奇心、前のめりで聞いていたけれど、ふと「あ。それ私もある!」と思い出したのだ。

***

私は運転好きだ。

しかも高速好き。

長いこと東京と地方を行き来していたし、ここ数年では奈良へ頻繁に足を延ばし、腰が続く限り、ハンドルは何時間でも握っていられる。

むしろ楽しい。
動くサロン、サイコー!

そして、その時間は没頭している。

クルーズコントロールにもホントお世話になっている。

運転中は、確かに”集中”を要するが、
私の場合、このクルーズコントロールと運転好きが相まって、程よいリラックスも得られているようだ。
幸せ♡を感じられるから。

で、前置きが長くなったが、

この高速ドライブ中に何度か経験しているのが、

今までよく聴いていた楽曲から、これまで聴こえなかった音が聴こえた、とか
(確かあれはユーミンの【ダンスのように抱き寄せたい】のシンコペーション部分、、
ちなみにこれは一度だけで再現性はなかった※1)

クリエイティブアイデアがフィーバー並みに降り注いでくる、とか
(ほぼこの体験が多い)

そしてそのアイデアはシンクロニシティでどんどん拡がる、とか。

またこれも楽曲がらみで、今までさほど感じていなかったのに、やけに感受性が強くなり、感動のボルテージがMaxになる、とか、、。

だからと言って、運転に支障がでるわけでもない。

いわゆるフローのような感覚

もちろん人によって、どのような感覚が鋭くなるかは異なると思う。

ただ、間違いなくクリアに、通りが良くなるのだ。

***


日ごろ、瞑想を習慣としている私にとって、最初の頃は義務的だった瞑想も、今では当たり前のルーティンになっている。

それとは別に、いわゆる”日常”を見回してみると、案外「さ!瞑想しよ」とならなくても、日々の行動の中で”ちょっとしたスパイス”で無意識的に感覚的になれるのではないか、と思うのだ。

この”ちょっとしたスパイス”は、”ちょっと”ではあるが実は大きい。

私の場合で言えば、運転が”好き”である。
付け加えるなら、サイドに流れゆく景色も楽しい。(どこへ行くか、も大きい気がする)

いずれにせよ、それぞれの日常のルーティンの中でも、ほんのちょっとアガるだけで、案外、無意識のうちに感覚的に入りやすいのではないか??と。

運転以外でも、改めてそのあたり、意識してみようと思う。
(無意識といいつつ、意識して、とはこれいかに、、、)

※1
実は、その音を聞いた箱根越え付近で、何度か再現を試したことがある。
しかしながら、同じ現象は起こらなかった。
それも当然である。
すべての事象は、その時々の森羅万象全パラメーターの関わりの中で起こるのだから、、。




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