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観劇逍遥

咲匂 -SAKO-企画公演『はら、はらり』牡丹 観劇

現代のとある男女のとある日常と江戸時代のとある遊郭の物語

そこに繋がりはないのだけれど、現代の一見ありふれた(状態ではなく情態と解釈)生活が、遊郭の物語と交錯することで感慨深いものになっている

あの木は木のようにも見え、枝分かれした道のようにも感じる、物語に没頭していたので初めからあそこにあったのかはよくわからないのでそれはそれとして

人は自由であってよいはず、ただ時代や思想によってはそこに何らかの廓が存在し、可能性を否定してしまう。それが正しいことのように刷り込まれてしまう

現代であれば、もっと色んな選択肢が得られるはずなのに、考えること、行動することをやめ、底にあるものを押し隠し、繕い、嫉妬し、現実逃避している様(私見)を観て、状況は違えどそういった心根がある人々が大多数存在するのでは…ということから情態と解釈
自分自身とも重ね合わせてしまうところもあり、服を脱がされてるような感覚にも陥る

全く物語のことに触れてないような気もするけど、フライヤーにある
「未来へと、縁の糸を託すために・・・。」
一蓮は、そんな広義の未来を想定していたのかは分からない。少なくとも理想の未来をただ一途に想い、或いは自分でない存在にそれを託したのかもしれない
ともすれば、紫も佳の江もそうだし、もしかしたら高尾が一番という妄想もできる。登場する全ての者にも言えるし、そうであったのだろうなと思う

今回は牡丹しか観ていないが、みなさんはまり役なのと、超個人的にだが、感じる作品なんだなと改めて思う

この物語にあっての癒やしは定右衛門に限る
定右衛門の手綱を握っているお慶の存在もまた素敵

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