私の父

おそらく三歳のころ、お父さん側のおじいちゃんが亡くなった。そのつぎの年にはおじさんが亡くなった。正直なことを言うと、あまり覚えてないというのが本音であるが、特におじいちゃんの存在の大きさは親が教えてくれた。私は、おじいちゃんが時々、孫三人を連れて、近くのミニコープにつれていってくれてよくお菓子を買ってくれたこと、ということしか覚えてない。

その後聞いてみると、おじいちゃんはプロも認めるというほど、ゴルフが上手であったということ。おじいちゃんは自分で靴屋さんを経営していたということ。

私が大きくなって聞いた話がある。おじいちゃんががんを患ったときの話だ。おじいちゃんはがんを患い末期だったにもかかわらず、最後の最後まで一切病気のことを息子(私の父)に話さず、激痛があったはずにも関わらず、一切弱音を吐くことなく天国にいったそうだ。この話を聞いた時、初めてお父さんが涙目になっている姿を見た。私のお父さんは無口だけど、短気で、頑固で、とてもこわもてでいかにも昭和生まれの代表的な親父である。男は一切泣くなというあの父が泣いたのを見たとき、おじいちゃんの存在の大きさを知った。お父さんがこの世で一番尊敬する人がおじいちゃんであるという。おじいちゃんは、男の中の男で、ものすごくかっこよかったという。

私の父は、そのような昭和の頑固な親父だけれども、とてもとても優しい。態度には見えないけれども、心が本当に優しい。私の父の尊敬するところは、子供には子供が好きなことを徹底的にさせるということである。サッカーが大好きな兄には勉強をしろとは一切言ったことがないものの、サッカーになると妥協を許さない。逆に私には、あまり干渉してこないものの、いつも異国の地で勉強している一人娘の心配をしているそうだ。一回も直接連絡を取っていないが、お母さんが仲介となって近況をあ互いに確認する(笑)

今考えてみると、私が父に怒られたのは、記憶の限り二回ある。一度目は、兄弟げんかが多すぎて、兄と私二人で家の外に追い出されたとき。二度目は、父に逆らった時である。どのような経緯で怒られたかは覚えてないが、その時父の機嫌がよくなかったこともあるが、めちゃくちゃに怒鳴られて、初めて父に「お前、誰のおかげで暮らせてるとおもってるんじゃダボ!」みたいなことを言われ、それはもうやくざにからまれているような感覚だった。

父もおじいちゃんと同様、自営業を自分で始めた。大学を卒業したものの、最初はスーパーの前の団子屋で商売をしてたらしい、それも最近になって知った、謎の経歴(笑)。その後、電気事業の会社に弟子入りして、そこから上司との相性が合わず独立した。好き嫌いが激しいなんとも父らしい(笑)。ここでもう一つ父の尊敬する点は、ゼロの状態から商売をはじめ、顧客の方との信頼を何年もかけて築き上げて、今こうして私が留学にこれるまで家族を養ってくれているということである。聞いてみると、昔は本当に貧しかったため、余裕もなかったようだ。そんな父がよく口にすることは、「なんとかなる」「人は信頼だけは失ったらあかん」商売人としてやってきて学んできたことであろう。

大黒柱としての父、商売人としての父、両方の面で私は父のことを尊敬するし、父の娘で生まれてよかったなと心から思う。子供にしたいことをやらせる父、何があってもどっしり構えてくれる父、信頼をもとに商売をする父、尊敬するところばかりである。親父(おじいちゃん)を心から尊敬する父、その父を尊敬できているこの状況がとても幸せだなと思う。これからも感謝の気持ちを忘れずに父の姿を追い続けたいと思う。

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