私の鏡 -小学生時代-

小学生時代のことを思い返してみると真っ先に思い出したもの、それはバレーボールである。小学六年生のころには、将来バレーボールを教える先生になりたいと卒業作文に書いたほど真剣に考えていたことだった。

小学校の休み時間には、毎回外に出て、みんなでバレーボールをして楽しんだ。特に覚えているのは、二人一組になって、パスを何回続けられるかをみんなで競争しては張り合った。親友とペアになってパスをしたことは今でも思い出だ。そのころは、本当に年がら年中バレーボールをしていた。生徒数が少なかったおかげでみんながみんな同じものにはまり、同じように遊んだ。いかにもシンプルなパス遊びに、なぜそれほどはまったのだろうか。

バレーボールは難しい。手に当たると痛いし、最初のころは自分が意図したところにボールを運ぶのが難しい。そんな時はもちろん、簡単に見えるパスも難しい。だからはまったのだろう。最初は全然つながらなかったボールがつながっていく楽しさ、友達と一緒に次は百回目指そうとか言って目標を達成する過程を楽しんでいたから、飽きがくることなく、ひたすらにバレーに打ち込んだ。そう、すべて、できなかったことができていく感覚、目標に向かってトライしていく感覚、まさにそれである。

どの子供にも共通することかもしれないが、考えてみると、私は向上心が人一倍強かったのかもしれない。ものすごくシンプルなパスゲームの記録を伸ばすために来る日も来る日もバレーボールを楽しんだ。それに付き合ってくれる友達がいてからこそだともいえる。

小4になってから、正式にクラブ活動が始まった。最初一年間はおもに上級生のお手伝い、基礎的な練習だけをした。学年があがるにつれ、自分たちが実際に試合に出られるようになったころ、担任であり、コーチでもあった先生が家庭訪問の際に、自分にはこのような練習が必要だ、という個人的なアドバイスをくれたのだ。勉強や友達のことでもなく、家庭訪問にきて本格的なバレーボールのアドバイス。そこで私は、先生が私に期待してくれているということを感じた。それを感じてから私は、なぜかとても嬉しくなった。期待されている、一目おかれていると感じたから嬉しかったのだろうか。私はすぐに練習に取り掛かった。嬉しさのあまり、自主練を欠かさなかった。

小学校のバレー人生の中で一番の思い出に残っていること。それは一年の中で一番大きな大会でキャプテンとしてチームを率いり、優勝して、最優秀選手賞をいただいたことである。

その大会は二日間にかけて行われたのだが、最初から強豪校と試合をすることになった。今でも忘れない、試合前の練習で監督がゆった。「お前たち、このチームに勝てるで。」普段無口な監督が呟いた。その言葉通り、私たちは貴重な勝利を収めた。

順調に勝ち進み、そして決勝。唯一覚えていること。デッドヒートの中で、チームメートが失敗を繰り返した。私は内心チームメートに対してイライラしていたが、それをできるだけ抑えるようにして、それよりも、大丈夫大丈夫、と声掛けを送るようにした。それがチームにとってベストだと考えたからだ。なぜそのように考えるようになったのかというと、以前監督に呼び出されて言われた一言が影響している。

「お前がキャプテンとして頑張っているのはわかる、それゆえにみんなに厳しくなってしまうのもわかる、でももう少しやわらかくみんなに接してほしい。」

先生がこの言葉を私に投げかけたときの私は、キャプテンを任された強い責任感から、自分に厳しく、他人にまで厳しくなってしまったのだろう。視野が狭く寛容性がほとんどなかったと思う。みんなが自分と同じくらいできないことにイライラしていた、みんなも自分と同じように必死になっていることに気付かずに。自分のことしか見えていなかったんだろうなと思う。

人間には、ほめて伸びるタイプと、けなして伸びるタイプがあると思う。私は前者だ。優秀な指導者はそれを見抜き、子供に合わせて、教え方を変える。監督はそれを見抜いて、私にやさしく言葉をかけてくれた。それ以降も監督は私に怒ることは一度もなかった。逆にけなして伸びる子に対してはめちゃくちゃ怒っていたが(笑)。

話が飛んだが、私たちは結果的に優勝した。その日は自分が陸上競技大会で一位になることよりも嬉しかった。チームというなかで、自分がチームを支えて、貢献して、信頼しあうというチームワークがあって、勝利をシェアっできたからである。

私は、この優勝は監督のおかげだと考えている。監督がいなければ、自分自身試合中にスランプに陥った時戻ってこれなかっただろうし、自分のチームに対する考え方も変わっていなかっただろう。いろんなタイプがいるチームを手なずけ、一つにしてくれたのは監督である。悪いところを指摘しながらも、モチベーションを失わせることなく、それをプラスに変えていく監督のすばらしさを改めて感じている。情熱的になって語るとかではなく、どちらかといえば冷静な監督であったが、最も生徒の身になって、一番に生徒のことを考える熱い人なのではないかと思う。

この世界にもこのような、良いところをその人の適正に応じて伸ばす人がいれば、誰もが活躍できるような社会になると思う。だがそれを見つけられていない人がたくさんいる。よいところを見つけ、それに対してアプローチして、逆に悪いところを指摘して改善し、結果的に喜びを与えられるような人になれればいいなと考えた。

先ほど少し陸上競技のはなしを書いたが、それについて少し触れようと思う。

それは県内の朝鮮学校内で開かれる、一年に一回の大きなイベントであった。私はもともと足が速かったこともあって(自慢笑)一年から四年の間、毎年一位のタイトルを獲得した。私の兄は、一年から六年の全学年で優勝を果たした。その兄を持ったゆえに、周りからの期待も大きかった。私のこころの中には「一位になりたい、一位にならなければいけない。」という固定観念がしみついていたんだろうと今になって思う。

周りからの期待にこたえなければいけない理由、または答えたかった理由はなんだったのだろう?

逆説的に言うと、周りからの期待が薄れることが怖かったのかもしれない。私は、李潤としての自分でなく、李光(兄)の妹としての自分ということを認識するようになっていたのかもしれない。それもそのはず、サッカーが飛びぬけて上手だった兄は、巷でも有名で、在日の小さなネットワークの中では知らない人は少なかっただろう。李潤としての自分を認めてもらうために、期待に応えて存在を認めてもらいたかったのだ。ここに李潤がいるんだ、ということを。

小5の陸上大会の時、私は初めて二位という結果を突き付けられた。初めての挫折であった。兄と同じように六年間優勝し続けると当然のように思っていたことが、一瞬にして消えた。私は大泣きした。とても悔しかった。負けたことが悔しかった。それだけだろうか?完璧になれなかった自分に腹が立っていた。そう、完璧でいなければいけないと思っていたから。運動では完璧な兄を見ていたからかもしれない。そんな兄も勉強に関しては一切興味をもたず、常に学年でビリを争っていた(笑)。「それまで四年連続優勝したやん、それでもよく頑張ったよ。」とその時の自分に言ってあげたい。そのころの自分は常に周りと自分を相対化して常に自分のことを評価していた。負けず嫌いも健在していたが、それもすべて常に周りと自分を天秤にかける癖があったからだと思う。負けず嫌いがダメだったといっているわけではない。負けず嫌いのおかげで、たくさん努力する機会を得られたし、そこから得たものも多い。負けず嫌いという特性を生かして、得たもののおかげで今の生活があるといってもおかしくない。

ただこうして今文章を書いている中で、気づいたことがある。私は、自分という存在をしめすために、周りからの期待を失わないよう(周りからの期待を失うことを恐れ)、周りの目を気にし、周りと自分を相対化することで、自分というものを見てきた。言い換えると、周りというフィルターを通しての自分しか見たことがなかったということだ。だから周りに負けている自分が嫌いだし、周りよりとは違っていたいと思うのだ。

でも周りってなんなのだろう?自分が気にしてるだけで周りも自分も区別なんてもともとつける必要ないんじゃないの?自分は自分やもん。自分という鏡を通して自分を見てみる。それができていたら今の自分はどうなっていただろう?もっともっと自己中で、自分のしたいことをして、「しなければいけない観念」からは解き放たれていたのかもしれない。

例えば、勉強をしなければいけない、バイトをしなければいけない、これはよく思うことだが、その勉強の目的がはっきりしたものであれば自分は苦に感じることはないと思う。なんなら、その目的を達成するなら喜んでやり続ける、その意気込みだ。今までの人生を振り返るとそうだ。行きたい大学のためにする勉強は苦ではなかった。大学生活を考えるとウキウキして今は勉強を頑張るしかない。と自分を奮い立たせることができた。私は目的を達成するためには、どんな努力もできるし、むしろできる努力ならなんでもやってやろうと思うことができる。その状況をポジティブにとらえ、自分にモチベーションを与えて目標を達成するまで努力することは自分の得意分野だと考える。

問題は、その ’’はっきりとした目的’’ というものが本当に ’’はっきりしたもの’’ であったかどうかということだ。

勉強で例えると、英語の勉強を頑張ったのは、英語をしゃべれるようになりたいから。高校時代あんなにも長い時間机に向き合っていたのはゆうまでもなく大学合格のため。英語をしゃべれるようになった、それで?大学合格、それで?

小学生の頃一番夢中になったバレーボールをあんなに頑張ってこれたのは、大好きなバレーボールで一位になりたかったから。こっちのほうがよっぽど理にかなった目的じゃないのか。大好きなバレーボールで一位になる、これ以上の目的、ゴールは考えられない。一位になったらもう満足だから。

目的はもっとシンプルで、もっと素直なものでよい。しかし、その目的が本当に目的として正しいのか吟味してみるべきであると思う。社会人になる前にこれに気付くことができてよかった。まだまだ見つからないものの、目的の重要性に気付いただけで進歩である。

ここでまた話に戻るが、ではなぜ ’’はっきりとした目的’’ が必要なのだろうか。 ’’はっきりとした目的’’ を人生のゴールととらえてみる。私は老後は趣味などを楽しみながらのんびり過ごしたいと考えているので、自分の納得のいくまで働いたときが人生のゴールと考える。 ’’はっきりとした目的’’ はなりたい自分になるために自分が今どれくらい近づいているかを示してくれる指標になると思う。ではなぜなりたい自分になる必要があるのか?それは、なりたい自分になった時、言い換えると、自分を認められるようになったとき、自信と誇り、自分への愛情、そして満足感が生まれる。それ以上ない満足感を得られるときがまさに、なりたい自分になった時であると私は考える。もちろん、自分の幸せより他人の幸せが自分にとっての一番の幸せという人もいるかもしれない。一見、それがなりたい自分になった時の形には見えないかもしれないが、他人が幸せになることに満足している自分に満足できていたらそれは、なりたい自分になっているといえるであろう。

なりたい自分はもちろん変わることもあり得るだろう。意外と早く達成できるかもしれないし、なかなか手の届かないようなところにあるかもしれない。

しかし大事なことは、’’はっきりとした目的’’ を持ち続けることだ。それを失ってしまうと、自分を見失ってしまう。自分が満足する機会を逃してしまう。自分がハッピーになるために、または自分や自分の周りの人がハッピーになるために、私は ’’はっきりとした目的’’ を持ちたいと思う。

話をかきながらいろんなところにトピックが飛んで行ったため、まとめてみたいと思う。

ーできなかったことができていく感覚、目標に向かってトライしていく感覚、向上心はものごとを飽きさせることがない。

ー私はチームというなかで、自分がチームを支えて、貢献して、信頼しあうというチームワークがあって、勝利をシェアできたとき、一人で勝利を勝ち取ることよりも何倍ものうれしさをかみしめる。

ー指導者になるならば、自分の熱い思いを語る熱血教師ではなく、まず最初に相手のことをしっかり見て、良いところをその人のタイプに応じて伸ばす人になり、誰もが活躍できるような社会にしたい。だが自分の良いところを見つけられていない人がたくさんいる。悪いところも同様。よいところを見つけ、それに対して、その相手が最高のパフォーマンスをできるようなアプローチの仕方を考えて、結果的に喜びを与えられるような人になれればいいなと思う。

ー自分は期待を失うことを恐れてきた。周りの目を気にし。常に周りとの相対化で、自分というものを見てきた。周りを気にしていると、自分の本当にしたいことを見失う。そのしたいことというのが、周りの影響を受けてしまうから。

ー目的とはなんなのか。シンプルで率直なもの。小学生が純粋にバレーボールで一番になりたい。そのようなそれ以上先がなく、それを達成したら本当の意味での満足を得られるもの。そんなものじゃないだろうか。

ーなぜ ’’はっきりとした目的’’ を持つ必要があるのか?なりたい自分になるため。なりたい自分になること、自分に満足すること、が一番の幸せ。

’’人生の目的’’ を自分の鏡を通して探し続けていく旅はまだまだこれから。






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