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『宇宙人の部屋』小林紗織



読了。
日頃全くといっていいほど本を読まないのですが、今自分自身が取り組んでいること、そこにお越しくださる方々の中にこのような悩みを抱えた方がいらっしゃったことで一層の関心を持ったことは確か。
そしてやはり最近立て続けに著者の小指さんにお会いし、これまでの人生でのお互いの不在を埋めるかのように、様々な出来事を、それはまるで口から旗を出す手品のように、トゥルルルルルルルルルルルルーッッと旗を出し合い、彼女とわたしはとにかく話した。

その上で気付き好感を持った彼女の人柄や、会話の中に出てくるAさんやKさんの「その時」。
「その時」に隣にいた共依存症だという彼女。
皆のどうしようもない状況をどうにもしようもないことになっているその状態の描写が、ひとつひとつまるでそこにいるかのように、伝わってきた。

17年という途方のない時間を彼らに費やしてきたお話しかと思いきや、17年間の自身の共依存症を克服したお話でもある。
期間は問題ではないが、それはわたしが自著で伝えたかった、支援というものの在り方の理想像であった。
『自分の受け持つ通り沿いに暮らすたくさんの路上生活者に、その通りを通った時だけ100円ずつ渡し、「良い生活をしましょうね」と言ったところで、自立までの道のりは程遠いし、結局いつ来るかわからないその人の手から渡される100円を希望に生きてしまい、根本は何も変わらず、問題は未解決のまま宙ぶらりんの状態が永遠に続くだけではないか。』
(『母がゼロになるまで』P117より)

まさにそのものであった。
やるからにはやる。
やらないならならない。
家族だろうと、他人だろうと、健常者だろうと、障害者だろうと。
小さな甘えはやがて大きな甘えになり、小さな甘やかしはやがて相手の大きな甘えとなり、こちらにはね返ってくるものだとわたしは思っている。

この本の著者、小指さんは、恐らくは気付けば共依存症にまでなりながらも、アルコールの沼に足をすくわれて、もう沼から手の平しか出ていない状態のAさんとKさんを、あの手この手で沼から救助された。

一筋縄ではいかない彼らを、お酒から離すということは、並大抵のことでは叶わない。

そして同じように一筋縄にいかない頑固な彼女を、共依存症から救った彼ら。

この何とも形容し難い、彼らの関係はまた、現代では忘れ去られかけている、人と人どうしの関係の厚さを感じ、ここにわたしは涙した。

何事にも何者にも依存せず、自分自身だけで生きていくことは大変だ。
同じように、自分ごとのように人のことを支えたり世話したりすることもまた大変だ。

この本を読んだら、困りごとへのフィルターの色が変わるかもしれない。
困った人へのノイズも縮小されるかもしれない。

そういえば彼女は、わたしが以前暮らしていたあたりに今暮らしていて、わたしの自著『母がゼロになるまで』でわたしと母が闘っていたまさに真っ只中の時、彼女も『宇宙人の部屋』で宇宙人たちとご自身との闘い真っ只中、ヘトヘトに消耗して互いに似た場所に帰りついていたことを知り、何だか笑いが込み上げた。
あの時のわたしはもう母のことで精一杯、家に帰ると当時のパートナーに悪態をつかれ、消耗しきって少しお酒に逃げていた時もあった。
2階建の家の、1番小さな部屋に追いやられて家庭内別居をしていたが、その部屋は僅か3畳の部屋で、狭さ故の物の圧迫感、家にいた時のパートナーからの発言や態度に寄る圧迫感で、わたしは常に白目をむいた状態でこの部屋にいた。

今となってはどうでもいいことだが、しかし思い返してみて、あの日あの時似たような場所で思い悩んでいたふたりが、時を同じくしてそれを文章にして本を出し、出会うべくして出会ったような、そんな気がしてならないのです。

読み終えて、小指さんにまた会いたくなってきた。

明日12月18日のオルタナティブ福祉、小指さんもお越しくださいます。
小指さんご自身も、書籍本編で書かれているように、悩み事をお話しできる場で吐き出したことにより、
「絶望しながら自助グループに来たものの、会が終わる頃にはすっかり気持ちがほどけていた。」(『宇宙人の部屋』P161「自助グループへ行ってみた」より)とある。

この辺りのお話なども、皆さんでお話しできたらと思います。

『宇宙人の部屋』、是非とも皆で読みましょう。









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