見出し画像

レデラジ#20 認知の多様性とニューロダイバーシティ

ひとりひとりが過ごしやすい社会をともにつくるをミッションに活動するLedesone(レデソン)のショートラジオ番組「レデラジ」

毎月1回「認知の多様性」を固定テーマとしていっちーさんとお話をしており今回は一旦の最終回ということで総集編をお届けします!

これまでの内容を振り返りつつ「認知の多様性とニューロダイバーシティ」をテーマにお話しします。

レデラジはnoteではテキストとして、Spotify、Apple Podcast、Youtubeでは音声でお楽しみいただけます。



これまでのレデラジで印象的だった内容

Ten
「1人1人が過ごしやすい社会をともに作る」をミッションに活動する、Ledesoneのショートラジオ番組『レデラジ』、モデレーターのTenです。

今回の放送でレデラジが20回目になります。また、「認知の多様性シリーズ」も今回で4回目になります。このシリーズに関しては、今回でいったん終了とし、来月からはまた新しいテーマでお届けさせていただく予定です。

レデラジはほぼ毎週1回のペースで6月から配信を行ってきました。いっちーさん的に、今までの内容で印象に残っていたり「これ面白かったな」という話はありますか?

いっちー

そうですね。やはり個人の持っている具体的なエピソードを聞くと、すごくイメージもできて毎回印象に残ります。例えば、中井けんとさんのお話の中でLedesoneの活動を通して自分の特性や癖に気づいて、苦手だった整理整頓ができるようになったというお話しがありましたよね。

参考:レデラジ♯14 中井さんが語る、特性と向き合う中で見つけたLedesoneでの学び

それを聞いて、「自分はどうだろう」と比較ができたり、お互いの違いを認識したり、知ることができるので、そういった個人的なエピソードは印象に残るなと思いますね。

Ten

あとよく最近、障害名とか病名ではなく、困りごとを起点に考えることをよく言っているじゃないですか。中井さんは脳性まひとLDの両方があるのですが、書く部分に関する困りごとではLD由来の困りごとと、脳性まひ由来での困りごとがあるというお話をされていたんですね。実際にそういうエピソードを聞くことによって、「それぞれのパターンによる書くことへの困りごとが出てくるんだな」というのは、聞いたからこそわかることだなと思いました。

ayaさんはお子さんのお話をメインにされていましたが、同じお子さんがいる立場としていっちーさんはどう感じましたか?

参考:レデラジ♯8 ayaさんが向き合う子どもの発達特性と環境での困りごと

レデラジ♯9 子どもの発達特性に対してのayaさんの向き合い方

いっちー

ayaさんのお話も同様に、具体的なエピソードがあることで印象に残る部分がすごくありました。例えば、私の周りには家族や身近にそういった特性の強い人がすごくいましたが、自分自身はADHDや色覚障害の診断を受けたのは大人になってからだったんです。

ただ、自分が色覚障害の診断を受けるのが遅れたからこそ、カラーコーディネーターの資格を取ってデザイナーになったという経験をしてるので、必ずしも早いうちに自分の特性について理解を深めすぎるっていうのも、柔軟性に欠くんじゃないかなという思いもあります。とはいえ、そうではないパターンもあるし、一概に言えないなみたいなことをすごく考えながら…。

実際に子育てをしてる他の親御さん、特にayaさんのパターンを見て、いろいろと考えることがありました。同じ子育てをしている身として、すごく印象に残りましたね。同じところも違いもありつつ、やっぱりひとくくりにできるものではないな、ということに新たに気づいたりもしました。

Ten

今回は第4回目の「認知の多様性」ということで、「認知の多様性シリーズ」についても振り返ってみようと思います。

第1回目では、それぞれがお互いに認知の多様性についてどのように考えているのかや、なぜこの分野に着目してるのかなどをお話しました。

第2回目では「認知の違いを知ることで変わる学び」をテーマにお話をして、第3回目は「認知特性による情報の受け取り方の違い」について話をしてきました。

まず、なぜ認知の多様性について話してるのかということに関してお話しすると、Ledesoneは今、いろんな見えづらい違いにアプローチをしていきたいと思っています。見えづらい違いを持ってる人たちの視点での環境の整備をやっていきたいという観点から認知特性にアプローチをしていこうと思って、今、こうやってお話をしています。

今回で4回目ですが、前までの3回を振り返って、いっちーさん的にはどう感じられていますか?

いっちー

それぞれが持つ認知の違いに関しては、例えば、発達特性はわかりやすい例としてあるのかもしれないけど、そうじゃない人たちの中にも結構そういう価値観の違いとか、考え方のベースの違いとか、そういった違いがすごく多様に存在することを知りましたね。

今、自分の中で興味があることとして、それを深掘りすることによって、マイノリティの特性についての理解も深まるんじゃないかなという思いがすごくあります。

さらに社会というものは、あまりそういった考慮がされてないままで出来上がっている。さらに柔軟に考え方を変えられないから、そこに対して合わせるのが難しくて、どうしても負荷を感じてしまう人が現れるというところがあると思っています。

今後はもっと認知の多様性に、社会全体で目を向けることができるといいなと思っているので、こういう話ができる機会があるのはすごくいいと思います。個人的にも話してて楽しいし、いろいろな人に思いを馳せてもらえる機会になればいいなと思いますね。

ニューロダイバーシティの本来の意味と現在の課題

Ten

僕は最近、認知の違いから環境を整備をしていく必要が何かあるんじゃないかなと思っています。今日の主なテーマにしようと思っていた話なんですけど、「ニューロダイバーシティ」っていう言葉をよく聞くじゃないですか。

いっちーさんも、Zoomの背景に「Think about Neurodiversity」って書いてありますし(笑)あと、Ledesoneの「ハッタツソンフェス」では毎年、「ニューロダイバーシティの教科書 多様性尊重社会へのキーワード」という本を書いてる村中直人先生にも講演をしていただいています。

参考:ニューロダイバーシティの教科書 多様性尊重社会へのキーワード  金子書房 

僕自身、認知の違いや見えづらい違いと、ニューロダイバーシティの考え方は結構密接に関わってると考えています。ニューロダイバーシティの定義について、いっちーさんから詳しく説明していただけますか?

いっちー

ニューロダイバーシティの成り立ちからお話しすると、わかりやすいかなと思います。そもそも、ニューロダイバーシティの考え方としては、脳の機能の違いとか認知のあり方の違いが「人それぞれ違うよね」ということ。障害や特性と呼ばれるものは劣ったものとか欠損とかではなくて、人間の多様性の一つとして、そういった違いがもともとあるんだという考え方なんですよね。

これは1990年代にインターネットが登場し始めたことが影響しています。最初はASDのコミュニティの人たちが外部から「コミュニケーションが苦手だ」と言われていて、「自分たちはそうなんだ」と思ってたけれど、インターネットを通じたコミュニケーションをすることによって、「そんなことないな」ということに自分たちで気づいたんです。必ずしも障害として括られるものではない、そういう考え方だけじゃない考え方もあるよねという流れで始まったものです。

そんな中で最近、我々がすごく気になっていることとして、「ニューロダイバーシティ」という言葉が、本来の定義と違った受け止められ方をしてしまっていることがありますよね。

Ten

最近、ニューロダイバーシティを発達障害の言い換えとして使っている事例が増えてきていると思います。もっというと、高度なスキルを持ってる人、高いスキルを持っているエンジニアとかデータアナリストとか、いわゆるすごい高い知力を持ってる発達障害の人を「ニューロダイバーシティ雇用」という事例がすごい増えてきてる感じがします。

いっちー

それによって、すごく都合がいい考え方だと言われたりもします。そういうニューロダイバーシティという考え方で、IT企業に行けるスキルがある人を指していたり、キレイ事な考え方だって言われることもあるし。

Tenさんがおっしゃっていたとおり、その中ですごく気になっていることが、「ニューロダイバーシティ」という言葉が発達障害の言い換えとして、一部のマイノリティーの人を指す言葉として「ニューロダイバーシティの人」みたいな表現として使われることがすごく多いことです。

でもそれって本来のニューロダイバーシティの考え方とは違っているんですよね。

ニューロダイバーシティは、「人間の多様性の一つとして、そういった違いがそもそも存在するよね」という考え方なので、要はマジョリティーというか多数派の人も含めてニューロダイバーシティなんですよ。脳の多様性のことなので、多数派の人も含まれるはずなんですけど、どうもニューロダイバーシティと表現するときに、マイノリティーのことを指す言葉として使われてしまっている。

それは全然真逆の考え方ですよね。もともとの考え方と真逆の受け止められ方がだいぶ浸透してきてしまっていることに、違和感があるし、危機感もあります。

なぜこんなに注目されているのか?特にITの分野での広がりについて

Ten

今、経済産業省でも「ニューロダイバーシティの推進」として、その辺を前面にうち出してたりする状況もありますよね。

参考:経済産業省 「ニューロダイバーシティの推進について」

https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinzai/diversity/neurodiversity/neurodiversity.html

そもそも、なんで今になって「ニューロダイバーシティ」がすごく注目されてるんだろうって不思議なんですが、いっちーさんはどうお考えですか?

いっちー

僕が最初に診断されて発達障害の概念を知ったときには、「ニューロダイバーシティ」という言葉も、日本にはあんまり聞こえてこなかったんですよね。たぶんすでに海外ではあったと思うんですけど。

それこそ今は発達障害も神経発達症に名称が変わったりとか、ADHDだと注意欠陥多動性障害だったのが、注意欠如多動症になったり、柔らかい表現になってるんですよね。正せるもの、正常に戻すべきものみたいな考え方が、そういうものではないことが分かってきて変化してきている。でもそういうものがなかったころに、僕は特性について理解を深めれば深めるほど、「そもそもの定義がちょっとずれてるな」ということを感じていました。

僕個人としては、ニューロダイバーシティという言葉が海外の考え方としてあるということを知った時に、一つの光明だと思ったんです。

それまで、医師の診断や生活に支障をきたしているということがベースになって、理解が始まるという流れに違和感がありました。理解のスタートラインはニュートラルというか、自然な状態から始まる必要があると思っていたので、この言葉や考え方はすごくいいことだと思えました。

同じように考えている人が多くいらっしゃって、この言葉が受け入れられて広まっているという側面もあるんじゃないかな、と個人的には思います。

Ten

その一方で、ニューロダイバーシティがIT企業を中心に広がってるのも、ちょっと変だなと思うところもあります。

いっちー

僕も実際の雇用されている方や企業を具体的に見てるわけじゃないから、わからないんですけど…。わかりやすい例だとASDの特性を持った人が、特定の繰り返しのパターンを維持するのを好む傾向がある。それゆえに、一般的な人よりはバグの検出が得意だったり、エラーを発見しやすかったりする点が、ITの仕事にうまく活用しやすかったし、ITだからこそのフットワークの軽さも影響して広まっていったんじゃないかなと思います。

Ten

IT業界は、特性がある人たちに対する環境の整備がしやすいのかもしれませんね。よくいわれるモデルとして、障害における医学モデル(個人モデル)と、社会モデルがあります。医学モデルは本人の心身の機能に、社会モデルの場合は、社会の環境側に原因があるという考え方です。

そのなかでニューロダイバーシティの考え方だと、人それぞれにいろいろな考え方や脳の違いがあるから、それに適した環境を作ろう、適した社会や仕組みを作ろうという論になる。それがいい意味でIT業界とすごく相性が良いのではないでしょうか。

いっちー

コロナ禍でそれは顕著でしたよね。例えば、当たり前のように会社に出社して顔を合わせてコミュニケーションをとる会社だと、言語コミュニケーションが得意な人が評価されやすい。逆にその中では、コミュニケーションに苦手意識を持つ人は評価されにくい、という状況が起こりえます。

しかし、必ずしも出社が必要ではないリモートワーク環境になった場合、顔を合わせてコミュニケーションをとるのが苦手だと思っている人は、その分の負担が減ってパフォーマンスが上がることもありますよね。その一方で、今まで顔を合わせてコミュニケーションをとることが得意だった人は、それを活かすことができなくなってしまって、自分の能力を発揮できなくなった人もいる。

これは一例ですが、IT分野だとこれまで当たり前だった出社して顔を合わせてコミュニケーションして、ということをしなくてもいい環境、つまりその人にとって負担が少ない環境を用意しやすい。環境の変化に柔軟に対応できるのが、IT業界だったので、そこでの雇用が生まれやすいという作用があったのかもしれないなと思います。

Ledesoneが今後目指すものとは

Ten

ありがとうございます。ちょっと話がITのほうに寄ってしまいましたが、今、Ledesoneが注目しているのが、「目に見えづらい違い」や「認知の多様性」と本来のニューロダイバーシティの意味で考えると最終的に目指していることは同じなんじゃないかなと思っていて、それを元に、どういうふうに仕組みを作っていくかとか、その考え方をどう広げていくかということが重要なのではないかということです。

いっちー

もともとのニューロダイバーシティの考え方でいうと、すごくズレてはないと思います。ただ、過度にニューロダイバーシティという言葉が独り歩きしてしまって、それによってマイノリティに向けての配慮みたいな感じで、ちょっと視野が狭くなってしまうと、本来の思いみたいなところは薄れてしまう気がしています。

その一方で、必ずしもそのニューロダイバーシティという言葉がどう受け止められてるかとかいうのは、あまり重要ではないのかもしれません。

個人モデル(医学モデル)と社会モデルの話がありましたけど、そもそもが個人モデル(医学モデル)から始まってるんですよね。例えば神経発達性だったり、認知のマイノリティの特性を持ってる人たちの自己理解がそこから始まってるので、目に見えないことによる社会の側にある障壁をどうにかするというところまで、今までは目を向けてこれてなかった。

ニューロダイバーシティについての考えが深まるのもそうですけど、Ledesoneとしてどういうふうに仕組みづくり、環境づくりを整備していくのかというのは、目に見えないからこそ、今はまだ十分にできてない仕組みを作っていくという意味であれば、もともとのニューロダイバーシティの考え方ともずれてはいないし、その言い方がどう受け止められているかに関わらず、それに対するアプローチを進めていきたいですよね。

Ten

前回のレデラジ#19でLDをテーマにして「カラフルハート」という団体のp&pさんという方とお話ししていたのですが、LDの考え方自体ももともとは個人モデルだったけど、LDの子どもに対して、もちろん療育とかそういったものも必要ではあるけど、学校の環境や教え方、先生たちのマインドも変えていかないといけないよねっていうシンプルな考え方になってきているということをおっしゃっていました。

参考:レデラジ♯19 LD(学習障害)の課題解決に必要なこととは?

ただその時に、実際に課題を感じてる当事者の人たちをもっと起点にしていかないといけないんじゃないかなと思ったんです。そこで今、Ledesoneがやっているインクルーシブデザインがめちゃくちゃ必要になってくるんじゃないかなと思うんですよね。

当事者の人にどう参加をしてもらって、仕組みを作ったり環境の整備をしていかないといけないのかを、もっとしっかりと考えていきたいです。

いっちー

それぞれ皆さん自分が持ってる課題に対して向き合ってたりすると思うんですけど、僕はLDや発達障害や特性があってもなくても、同じことがいえるんじゃないかと思っていて。

目に見えない違いがあることで…例えば学校だったり、働く環境などで「特別扱いはできない」っていわれてしまうようなことが、特性に対する自覚の有無にかかわらずあると思うので、少しの違いでも生きやすくなる。働きやすくなる施策は実は色々な面であると思います。結局、目指すところは同じなんじゃないかなと思います。

Ten

今日は、認知の多様性とこれまでの振り返りをしながら、ニューロダイバーシティについての考え方についてもお話しさせていただきました。Ledesoneはこれからもいろいろな見えづらい違いという部分から、環境や仕組みを作ったり整備していくことを考えていきたいなと思っていますので、今後も議論をして発信していきたいと思います。いっちーさんありがとうございました。

今回もレデラジをお聞きいただきありがとうございます。
レデラジでは感想やご意見の他に「こんなトピックを取り上げてほしい!」などのコメントも大募集しています。
次回のレデラジもお楽しみに!


使用音源について
フリーBGM・音楽素材MusMus

いいなと思ったら応援しよう!

合同会社Ledesone(レデソン)
サポートしていただいたお金はLedesoneが実施する様々なプロジェクトの企画・運営費用として活用させて頂きます!