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女系の遺伝子をつなぐ家4

前回、ヲシテ文献を読むべきだと言われてからホツマツタヱ、ミカサフミ、フトマニをざっくりと読みました。でもその中に私が知る事柄は書いてありませんでした。フトマニの中にはまるで魔法陣のような絵柄もありましたが祖父がやっていた占いとはかなり違っていたし、何となくしっくりこないです。

ホツマツタヱを書いた人は元々はカグノフミという書を元に当時聞いたことなどを組み合わせてホツマツタヱを書いたらしいのです。

カグノフミは「橘の文」というものです。いろいろな言い方をされています。

・御祖百遍
・百のヲシテ
・百の文
・陰陽なる文
・陰陽の起

ある解説本には「カグノフミは火事で焼けて一部しか残っていなかった。盗難にあってしまって肝心なところが抜け落ちている」とありました。そしてホツマツタヱの参考になったのはこれ以外にも数冊あるという説もあります。

「部分的に盗難にあった」というのはとても象徴的な話題だと思いました。どの部分が盗まれたのかは書いてありませんでしたが、なんとなく想像がつきます。

・「不老不死の薬」千代見草
・地震を封じ込める「ヒの術とミの術とツの術」

この2つに関しては特に記述内容が極端にあやふやになるんです。他のことは割と細かく記述してるのにここだけスッカスカ。だから盗まれたのはこの部分なのかなと思います。

他にも引っかかる部分は山ほどあって、後の時代で改変されたのかなと思うような部分があるので偽書だと言われたら「そうだよね、変な部分多いよね」となるのだけども、その中でも一番おかしいのがこの辺でしょう。

不老不死と地震を封じ込める技ですよ。ファンタジー通り越して詐欺ですよ。現代の化学ではありえないですね。信じる人が現代にいるとしたらそれは頭オカシイ。

ただし私の家にあったヲシテ文献が本物のカグノフミなどの貴重な書物の一部なのだとしたら、それが嘘であってもなくても焼いたりするでしょうか?気になるのはあの祖父のわざとらしい泣き方。あれが演技だとしたら…。

・火事が多発していた
・空き巣に何度も入られていた

という時期に

・火事除けのおまじない
・焚書事件

が起きたということはそう簡単な話ではなかったのかもしれないです。

あの燃やした本がフェイクで、本物のヲシテ文献は別にあってどこかに隠されているなら、それはどこでしょうか。絶対にうちにはないはずです。祖父は私の両親を一番信用していないし。もしあの火事が占いの本を狙った放火だとしたら、私を守るために誰かに託したのかも。

あの時期うちに来た人といえば九州の叔母さんしかいません。

九州のお寺にお嫁に行った祖父の叔母さんがうちに来ていたんです。当時92歳だと言っていましたがとても若くて元気な人でした。群青色の着物を着ていました。私のために布団の綿を打ってくれたので私はそれを見ていました。とても小さいおばあさんで華奢だったのにすでに小学生で大きくなっていた私を膝の上に乗せてくれてかわいがってくれました。私を抱っこしてくれる人なんてあの家には一人もいなかったのでうれしかったです。

彼女は当時もう白髪のおばあちゃんでしたが美人でキリリとしていてとにかく怖い人で有名でした。お客さんが来ていると私はいつも押し入れか布団ダンスの中に閉じ込められていましたが彼女が来る時は閉じ込められませんでした。その叔母さんが怖いので、叔母さんがいる間は誰も私に酷いことはしませんでした。

彼女はちゃんとした人です。あの叔母さんなら祖父の本を持って行ってもおかしくなさそうですが、年齢が高かったので持っているとしたらその子孫でしょうか。

その叔母さんがどこのひとなのか私にはもうわからないです。小倉だったか福岡だったか、とにかく九州の北の方ということしか。壇ノ浦には祖母の叔母さんがいるのですがその人のことも知っているようでたまに会っていると言っていたので、山口からそれほど離れてはいないのだろうなと思っていました。とても大きなお寺にお嫁に行ったということしか教えてもらっていません。

祖父が火事除けのおまじないとして書いた6つの水という字はバラバラではなくこのような文字でした。水という字を重ねて書くとこのようになります。

これを2つ書いたので淼淼(びょうびょう)という字になります。水面が果てしなく広がるという意味。これが火事除けのおまじないなのだとしたらなぜそれをしっていたのでしょうか。これもその本に書いてあったののかな。

そういえば私が自転車を磨いているときに「掃除したりして!雨が降るぞ!」と言って私をからかってきたことがありました。私は空を見上げて「こんなに晴れているのに雨が降るわけがないよ!」と言ったのに10分もしないうちに土砂降りになりました。祖父は意地悪そうな顔で「降った降った」と喜んでいました。その時も隠れてコソコソ何かしていたから雨が降るおまじないを使ったのかもしれません。

私が風邪をひいて40度の熱が出た時も熱さましのおまじないをしてくれました。私の身体の一部に糸を巻いてくれました。私は本当に効果があるとは信じられなくて、おじいちゃんのことをただ乙女のようにそんなことを信じていてかわいい人だなぁと思っていました。

祖父は夕方に空を見上げて空の色や雲の形から「こっちの方向で地震がある」と、言うことがありました。緋色とか茜色というのかな、妙に赤茶けた空で筋になった雲が一方方向に延びているとそれが集まって消えかけている方を指差して「あっちの方向で地震がある、筋の本数が多い方が大きな地震がある」と言っていました。赤い色にもいろいろあってそれぞれの色の意味も教えてくれました。

祖父の占いやおまじないは信用していませんでしたが、地震予知は本当に当たりました。

私が「自分がいるところで地震が起きた時には雲はどんな形をしているの?」と聞いたら「ここでは地震は起きない。でももし起きたら家の前の道路に出てはいけないよ、それに田んぼにも入ったらいけない。地震が起きた時に田んぼから水が噴き出して地面が割れたりしたのを見たことがあるけど怖ろしかった。うちの前の道路は元々は川だったのを埋め立てたんだ。地震がある時はそういうところに近寄ったらダメだ。土地はそういう部分から緩むんだ。だからそういうところほど危ない。それにこの辺りで大きな地震が起きることはないから心配しなくていい」と言いました。

地震が起きないようにするためのおまじないを祖父は知っていたはずです。だからホツマツタヱを初めて読んだ時私はとても複雑な気持ちになりました。

うちにあった本が失われたカグノフミの一部で地震を封じ込める「ヒの術とミの術とツの術」のどれかだとしたら。

それは場所にかけるおまじないではなく人にかけるものです。

私は幼い頃に祖父からそのおまじないをかけられました。

その名の通りそれは秘密でやり方は教えてはもらえませんでしたが、その効果を私は実感しています。震度5強以上の大きな地震が来る場所に「昨日まではいたのに移動したらそこが揺れた」ということが何度もあったので。

私がおまじないだと思っていたものが全て得体のしれない術だとしたら、それはスピリチュアルにもほどがあるので絶対嫌です。



祖父は見た目が水戸黄門のドラマに出てくる風車の弥七に似ていて無口でかっこよかったのです。賢くて知恵がありなんでも知っていて働き者でしたが、口癖が「好きでもない女と無理やり結婚させられた」でした。

詳しくはこちら。

焚書事件を起こしてからしばらくして祖父は台湾に長期の旅行に行きました。観光目的の旅行にしては随分長い間行っていたと思います。

祖父は戦時中に満州で蒸気機関車の運転士をしていたそうですが、なぜか台湾人の女性と知り合って子供が出来たそうです。祖父は台湾に隠し子に会いに行っていました。その間祖母はとても機嫌が悪く、帰ってきたときは沢山お土産を買ってきてくれるのですがそれはすべてタンスの奥の方にしまって見えなくしていました。蔣介石のポットとか得体のしれないおじいさんの顔の彫り物が付いたお箸とか、よくわからないセンスでした。花漣という地名が書かれたお菓子などが多かったです。

祖父は二人きりの時にいつも「わしが本当に好きになった女はあいつだけだ」と言ってその相手の女性のことを聞かせてくれるのですがどこのだれかとか名前については何一つ教えてくれませんでした。隠し子は1人だけでその人にもすでに子供がいました。

よく「お前にはイトコがいるよ。お前とよく似ていて顔がそっくりだ。」と言っていました。おばあちゃんがあんなふうに怒らなければ私はそのイトコにも会うことができたのにと残念に思っていました。

対して祖母の口癖は「この指輪はおじいさんの金歯を溶かして作ってもらったものだから私が死んで棺桶に入るときは必ず一緒にいれてね」でした。

祖父が亡くなった後に見てみると祖母は今風のデザインの金色の指輪をしていたので「新しいのを買ったの?おじいちゃんにもらったのはどうしたの?」と聞くと「知らんなぁ。新しいのがいいよ!新しいのが!天満屋行って自分で買ったわ!」と言っていたので、遺言書に隠し子に関することでも書いてあったのだろうかと思いました。

台湾の隠し子について細かいことは何もわかりませんでしたが、私はそのことがずっと気になっていて子供を産む前はよくノープランで台湾を旅行しました。多い時は1年に4回も通っていました。

台湾はとても良いところです。日本人に優しいし。タクシーに乗ると4回に3回はタダになりました。コンビニ以外のお店なら「これも持っていけ!あれもあげるから」と言って買ってもいないものを私のカバンに詰め込んでまでお店の人が持たせてくれました。

バス停でバスを待っていると椅子に座って待っていたおばあさんが「あなた綺麗ねぇ」と言ってお小遣いをくれようとしたり、とにかく良くしてもらいまくるので「台湾とはなんというところだろうか!」と思ったんです。

台湾の観光と言えば変身写真館ですよね。そこで日本語の話せるメイクさんと話をしたときにその謎は解けました。

「あなたは中国人の好きな中国人の顔をしている」
「中国人の男の人であなたの顔を嫌いな人なんていない」
「あなたにそっくりな芸能人がいる」
「その人は女優で、バラエティー番組のMCをしていて毎日のようにTVの番組に出ていて見ない日はないくらい有名人」
「もういい年のはずなのに見た目が若い。前からTVに出ているからベテランなのに若い。歌も歌うし演技もできるけど司会がうまい」

そんな風に言っていました。

そしてメイクさんが雑誌を持ってきて見せてくれた女優さんは、写真を見る限り私にそれほど似ているようには思えませんでしたが、その後入ったレストランではその女優さんの名前で呼ばれました。相当その女優さんと間違えられていると実感しました。

四川省を旅行したときもその女優さんの名前で私を呼んできた人がいました。その男性はフロントでチェックインした後に私を見つけて「この鍵とあなたの鍵を交換してあげます」と言って自分のスィートルームと私の安い部屋を無理やり変えてくれました。私が遠慮すると「私の幸運を奪わないでください」といって私のカードキーをむしり取ると良い部屋の鍵を押し付けられました。

もうね、その女優さんの顔面の威力は絶大なんですよ。

そんなに似てる????
その人そんなに有名????

その時は「世の中には似てる人が3人はいるというけれどへぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」としか思わなかったのですが、今思えば祖父の隠し子の子供は私と顔が似ているはずなんです。祖父はよく私の顔を見るたびに「きょーてぇ」と言いました。これは方言で「怖い、恐ろしい」という意味です。怖いくらい私の顔は彼女の顔に似ていたそうです。

それが大体2006年から2011年くらいまでの出来事です。その女優さんの名前は忘れてしまいましたが、シャ、だったかショだったかを2回重ねて言うような名前だったような…。もうあんまり覚えてないです。外国人の名前はとても覚えにくいです。

祖父が本を預けるとしたらその2人しか考えられません。
頼りになる叔母さんのお寺か台湾の隠し子か。

祖父の家は安原の家です。祖父の名前には睦の字が入ります。祖父は釣りが趣味でした。お菓子が好きで、「安曇野」という名前のクッキーを常に買ってきていて私に食べさせてくれました。私も気に入って若い頃から何かのアカウントを取得するときには「AZU」とか「あずみの」などにしていました。

私の顔はうちの家系にありがちな顔の集大成です。私と祖母はとても似ています。イトコと私の顔が似ているなら、それは台湾人であっても元々うちの親戚と同じ系統の血が入っているのではないかと思います。そうでないと偶然ソックリにはなりません。私の妹は全然似ていないし、よそからお嫁にきた人の子供も似ていません。

どうして満州で運転士をしていた祖父が台湾の女性に子供を産ませられるのかそれが一番よくわかりません。昔もそれが気になって「満州で知り合ったの?」と聞いたことがあったのですが「そのころわしは台湾に住んでいた」と言っていたので違和感を感じました。だって祖母たちにはそんなこと全然いっていなかったから。台湾にいたことを周りに隠していたのに、なぜ私にだけそんなことを言ったのか。

「現地の女の子たちが弁当を作って持ってきてくれた。フェンスの間から手を伸ばして渡してくれようとする。自分で作ってきた弁当と彼女たちの弁当を交換して食べた。美味しかった。」というようなことも言っていました。なんとものどかな感じ。大連にいた話も聞いたことがありますが、ほとんどは台湾の話でした。

祖父は戦時中どこにいたの??何をしていたの?

とりあえず花蓮という町が気になってグーグルマップで見てみると、すぐ近くに私の2つ目の下の名前を見つけました。それは地名で町や山の名前になっていました。そして先月その付近で大地震がありました。ニュースで燃える街を見ていると辛い気持ちになります。祖父の大切な人たちがそこにいるかもしれないのに。

地震を封じ込めるおまじないが本当にあるなら、教えてくれてたらよかったのに。私がかけてあげたのに。おまじないに頼りたくなるほど切ない気持ちは理解できます。

火事を起こしてまで本を盗もうとしていた人が誰なのかはわかりませんが、もし台湾にあってもそれは地震とその後の火事で焼けてしまっているのではないかと思います。

たとえ本があっても、それは文字で表現されただけのものだから何の意味もない。祖父が歌ってくれたあの歌がなければ文字の情報だけでは機能しない。それだけではおまじないにならないはずだから。

あの時祖父が私にかけてくれたのが地震を封じ込めるおまじないなら、それは歌です。私の背中の後ろに立って何かごそごそとしながら祖父は歌っていました。

日本人なら誰もが知っている、歌です。

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