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女系の遺伝子をつなぐ家3

以前、我が家に伝わる不思議なことを記事にしてみたのですが今日はその続きを。

私の実家は少なくとも平安時代くらいから続く占い師の家系で「戸籍上の名前とは違う隠された苗字がある」と言われていました。そして徹底的な血族婚によって特殊な特徴を持つ女性の遺伝子を繋ぐ女系の一族でした。家の中には不思議な風習が沢山あり、名前が2つずつあったり妙なおまじないがありました。私は隠されたもう1つの名前とどの女性の遺伝子を繋いでいるのかが気になって調べています。

同じような家系の人がいたら出会ってみたいと、ずっと思っていたんです。


前回の多祁伊奈太伎佐耶布都神社に行ってみたいのですが微妙に遠いです。軽い登山になるので子供は連れていけないし、預けて出かけるにしてはちょっと時間が足りなさそう。そして行った先に社務所があるわけでもないので誰かに話をきけないのなら、行っても何もわからないかもしれないですよね。

ということで、今回は十拳剣を追いかけてこちらを訪れました。石上布都魂神社です。

八岐大蛇を倒したときに使われた剣は多祁伊奈太伎佐耶布都神社にしばらく保管されていましたが、その後吉備神宮を経てこちらに移され最終的に石上神宮に安置されました。

石上布都魂神社は岡山県赤磐市にある神社です。備前国一宮で由緒ある神社です。祭神は素戔嗚尊となっていますが明治時代くらいまでは布都御魂という霊剣とされています。刀の神様というか、刀ですね。

この神社は結構な山の上にあります。いろいろな神社マニアの方のブログなどで「大変な階段、坂がきつい」と書いてあったので覚悟をしていましたが、実際に訪れてみると想像よりもかなりきつい登山でした。私の心臓はすぐにバクバクいって破けそうでした。体中の酸素が失われた感じ。胸が痛い。

何とか頑張って上がってみると神社がありました。献金をした人の名前を見てみると物部さんが圧倒的。石上神宮は物部氏の氏社と言われていますがこちらもそうなんですかね。

藤原さんに物部さんですよ

社務所の中にいた女性が出てこられて「何かお探しですか?」と訊ねられたので、私の祖先が占い師であることと、関わりのある神社を調べていたらこちらにたどり着いたこと、隠された苗字を探しているということを伝えてみました。ヲシテ文字を使った古い本が伝えられていたことやイトコ婚が多かったこと、親戚に多い苗字なども相談してみたんです。

するとその女性は間髪入れず「それはうちじゃない?絶対うちよ」と言われるんですよ。

うち?うちとは???

「物部はね、長男1人を本家に残してそれ以外の次男三男みたいな他の男の子は皆養子に出しちゃう家なのよ。それを代々ずっとやってきたの。だから苗字は違うけど家系的にうちっていうのは凄く多いはず。小早川家なんかもそうだし、絶対うちよ!」

まさか!この人が物部さん?!
確かに顔がうちの親戚のおばさん達に多い顔!
でも同じ日本人だしどうかなー?!

と迷いながらも、天別豊姫神社のある甘南備山の下に眠るピラミッド状のものについて説明してみたところ「うちはね24枚なのよ。24菊花紋なの。これはエジプトに残る遺跡にもあるらしくて、物部は昔エジプトにいた人たちがはじまりじゃないかという人もいるの。絶対つながってるわよ。だってそちらもこちらも昔の吉備って言われてるところだもの。同じ1つの国だったたんだもの。岡山や広島のほうはねいろいろ調査すれば出てくるはずなの。だけど宮内庁が学術調査をすることを許さないから、発掘が全然進まないってこの辺の人も言ってるわ。調べて何か出てきちゃうと歴史が変わっちゃうからっていう人もいるの」と、24弁の日輪紋を指差して説明してくださいました。

写真を撮ってくるのを忘れましたが、24弁の日輪紋が神社に飾られていました。

祓殿には瀬織津姫神、速秋津姫神、伊吹戸主神、速佐須良比売神とありましたが「漁師さんに頼まれて後付けで始めただけだからこれは違うのよ」とのこと。

そして池田厚子さんの名前も発見。寛文9年に備前藩主池田綱政が山頂磐座に在った小祠を造営復興した流れを考えると納得です。

そしてこちら。

山の頂上にある巨石です。ご神体が岩で、本宮と呼ばれる小さな祠が建っています。そこまでの道のりが過酷な登山で、スーツに革靴で訪れていたサラリーマンが「こんな格好で来るんじゃなかったー!なんで来たんだろう!?」と悲鳴を上げながら登っていました。私は「飲み物を持って上がるべきだった」と心底思いました。木の根っこが階段になったような坂をひたすら上がるんです。車いす移動に慣れた私にこの段差は過酷で、3度ほど足首をひねりました。


奥さんとのお話の中でふと気になったことがあります。

それはうちに伝わっていたあの古い本に書かれていた文字。

ヲシテ文字です。これはホツマツタヱという書物に使われていたのだから、私はこれをしっかりと読んでみるべきだと思いました。奥さんもそう言われていたし。


そこで県立図書館でそれに関する本を借りてきて読んでみたんです。それほど長い文章ではないのですが、1ページごとに衝撃を受けてサラリとは読めませんでした。

「ホツマツタヱ」

これは古事記や日本書紀に出てくる神さまについて書かれていて、記紀とは内容が大きく異なるために偽書という扱いを受けているそうです。歴史や神社が好きな人からしてみると受け入れがたいと思うような内容も書かれているので賛否両論あるようですね。

ただし、私がこの本を読むと普通の人とは違った読み解き方をせざるを得ませんでした。

記紀は「日本人の祖先の歴史、神話」という感じですが、ホツマツタヱの登場人物は同じなのに全く違う印象を受けます。

まず最初にヒルコというイザナミとイザナギの子供が登場し、それからはヒルコがどのように大きくなり、周囲でどんなことが起こり、大勢の人達がどのように暮らしていたかということが書いてあります。

そして宇宙の成り立ちや暦、文字の成り立ち、方角について、男女の産み分け方法、和歌の仕組み、琴の製作方法、人形の作り方、妊娠中の注意点、月の読み方の説明、健康食品、こどもの名付け方法、馬の乗り方呪いの方法、年寄りが死ぬときの方法、魂について、恨みについて、夫婦喧嘩の仲裁方法、船の種類、相撲についてといった日常についてのことが書いてあります。それ以外は突発的に起こった事件事故に関することや誰がどんな干拓事業を行って米の収量を増やせたかといった話題が中心です。とても具体的で細かく、スキャンダラスで一見下世話な話題が満載です。

それらの多くは「病気の子供を正しく育てる方法」でした。そしてそれは人類が「本当は何を食べて生きていけばいいのか」を明らかにするものです。


ヒルコは古事記の最初の方に出てきます。体がふにゃふにゃで長いこと歩けず、障害児だったために神とは数えず船に入れて川に流された子です。私はヒルコが恵比寿様になったという伝説を知っていたのでずっと男児だと思っていましたが、ホツマツタエでは「女児」です。名づけの方法について解説してある部分があって、女の子はその子の性質を表わした文字の後ろに「コ」とつけるのが習わしだとあるので女の子です。元気になって帰ってきてからはアマテルカミの妹ということになりました。

記紀では川に流されたっきりですがホツマツタヱではカナサキというおじいさんがその子供を拾って育ててくれます。その後元気に育ったヒルコは両親のもとに帰り、ワカヒメという名前をもらっています。

・カナサキに繰り返し教わったアワ歌を覚えてしゃべれるようになった
・そのおかげで和歌が得意になった
・琴の名手だった
・美しく育った
・版を作って印刷をした

このように充実した日々を送っていたようです。ヒルコがなぜそこまで元気になったのかというとある植物に秘密があります。

それは「千代見草」というもの。カナサキもそれを食べて300歳以上生きた長寿で有名なおじいさんです。カナサキは住吉大神という名前でも呼ばれていますが、船を発明した人物の子孫で海洋民族で金属の精錬技術を持ち広く活躍した人物です。記紀では武内宿禰の役どころですね。

ホツマツタヱに限らず日本神話の神様の話を読み解く時に難しいのは一人の人に名前が沢山あることだと思います。

・本名
・子供の時の名前
・役職名
・通り名
・結婚したら女性は名前がかわることもある
・死んだ後に後世の人によってつけられるおくり名
・生まれた場所の地名/宮を作って働いた場所の地名/死んだ場所の地名で呼ぶこともある
・偉い人に褒められた時に新しく名前をもらうことがある

こんな調子で名前がいっぱいつくので誰が誰だかわからなくなりますね。ヒルコですら、ワカヒメ、稚日女尊(ワカヒルメ)、下照姫、高照姫、歳徳神、御歳神、丹生の神といろいろあります。

下照姫というのはイナゴを追い払ったお礼に大国主がつけてくれた名前です。高照姫というのは琴がうまかったからもらった称号。しかも自分の侍女に下照姫、高照姫という名前をそれぞれあげちゃったりしてます。

御歳神というのはお正月の神様ですよね。丹生というのは辰砂の産地のことで、ヒルコがその精錬技術をもっていたことからこの名前で呼ばれるようになりました。

生まれて3年歩けなかった子供がここまでのことができる程成長するだなんて凄いですよね。千代見草についてもっと知りたくなりました。

この千代見草についての記述はいくつかあります。

・苦い草である、葉っぱは苦すぎて誰も食べない
・根と葉と穂を食べる。どこ部分を食べるかは人の体質による
・富士山のふもとに生えていた
・富士山は何度も火山で燃えてその草も燃えたが種で増えて復活した
・ハラミ草という名前で呼ばれていた
・ハの草、ラの草、ミの草の3種類ある
・ハホ菜・ラハ菜・ミ草ともいう
・ハの草はヨモギで、ミの草は人参である
・肉を食うと体の中に毒が溜まり太って早死にするが苦草を食べると毒が外に出されて長生きする
・穀物主体の菜食が最良で鱗魚がそれに次ぐ。鳥類は玉の緒を緩めるので早死にする
・きつね/たぬき/うさぎなどの3音の獣肉を食べると内臓脂肪や皮下脂肪で空太りとなり有効に燃焼する油が枯渇して気力が失われて命を落とす。2か月半スズシロを食べれば正常に戻る
・シシ/サル/クマ/シカなど2音の獣肉を食べるとたとえ永らえても生き腐れのような状態になる。この場合は3年間スズシロ・白髭藻・白髭草・生姜などを食べるべき
・乾物・干物などの魚はスズナを3日食べればよい

つまりはおおむね「とにかくカブや大根を食っておけ」と書いてあります。

肉を食べると溜まる毒だなんてなんだか漢方で言う「瘀血」のようですよね。ホツマツタヱや記紀にはイザナギが黄泉の国から帰ってくるときに山ぶどう、桃、タケノコなどを使って生き延びています。桃は実ではなく「種」が駆瘀血剤で老廃物を体の外に出す薬です。

・苦いということは炎症を抑える働きがある
・きっと痰を切る薬
・太らせないということは男性ホルモンを誘導するものである
・寿命が長くなるということはDHEAを増やしている
・ということは利尿作用がある
・よく眠れるようになるはず
・ストレスに効果がある

そんなものを想像しました。

私と私の子供は咳が止まらないときは山ぶどうの葡萄液を飲むと咳がすっと止まります。桃核承気湯も竹筎温胆湯もよく効きました。うちの子供が1~3歳の頃は1日に2時間くらいしか寝てくれませんでした。発作を何度も起こしていつ死んでもおかしくない状態でしたが竹筎温胆湯を飲んで眠れるようになりました。恵比寿様の大好物が海老だと知り海老を食べさせてみたところ離乳食を殆ど食べられなかったのによく食べてくれました。同じく障害を持った神様であるお聖天さんが好きだった大根も食べることができました。足の悪い神様の伝承とその好物は私の子供が食べられる数少ない食品でした。なんだかとても深いつながりを感じます。これは絶対に見つけたい!

春の七草が宴会で供されたという記述を読んだ時に私はとても嫌な気分になりました。酒のつまみが春の七草ですよ…。どうせ酒を飲むならもっと美味しいものを一緒に食べたいですよ。私ならもっとこう…エビチリとかカニ味噌とか食べたい。なんで好き好んでこんな草を…。

と、思ったところでひらめきました。

「春の七草に苦草が2種も入っているならそれ以外の草も入っているのでは?!」

しかもハの草という言い方をするなら、その草の名前はハで始まる名前かもしれないと思いました。キク科の植物で、昔から日本にある植物でハで始まる名前のものを探してみました。するとすぐに発見できました。ハハコグサというキク科の植物です。別名がゴギョウ。そう、春の七草のゴギョウです。食べたことないけれど。

ホツマツタヱでは「ハ」は内臓を表わしています。ハの中でハを養うので母親のことをハハというのです。日本の地方により、アワゴメ、ウサギノミミ、ホーコ、マワタソウ、キャーロツリクサ、コウジバナ、モチグサなどの方言があります。多いですね。これも白い毛が生えてる草ですよね。

大正解!
なのかなー?

なんとなくしっくりこなくて、モヤモヤします。

なぜかというとラの草は何かよくわからないし、人参は日本固有の植物ではないしもっと後の時代になって渡来したものだからです。「ハの草、ラの草、ミの草の3種類ある」という説そのものを疑いたくなります。3つにこだわる必要があるのでしょうか?

ヒルコがお正月の神様ならば、もういっそ春の七草が完全な薬と言ってしまっても良いような気がします。

「千代見草」をネットで検索するとすぐに着物屋さんのHPで「菊の文様のことを千代見草という」と書いてあり、日本の国家の「千代に八千代に」という歌詞を踏まえれば皇室の紋が「菊紋」であるというのもおかしくないようには思えるわけです。「キク科の植物なのだろうな」とは思うのだけど、薬であるなら花を愛でるような菊ではなくちょっと変わった薬草っぽいものなのかなとも思うえなくもないけどなんだかしっくりこない。

うちの子キク科の植物食べられないし、オカシイ…。

うちのシッターさんは富士市出身の正真正銘の静岡県民なので「ハラミ草って何だと思う?」と聞いてみたら、「現地で年寄りがいつも飲んでた苦いお茶はドクダミ(コショウ目)、センブリ(リンドウ目)、ゲンノショウコ(バラ類)」というのです。キク科の植物ありませんね。特にドクダミにはケルセチンが含まれているので私や子供は絶対ダメです。ゲンノショウコはバラ類なのでいけそう。

試しにゲンノショウコを子供に飲ませてみたら気に入って「お茶漬け作って」と言い出しました。作ってやると「お母さんワサビ入れて」というのです。

わさび!
富士山の周りでいっぱい作ってる!
根と花と葉っぱを食べる!
苦いもの!
日本原産!

と思ってシッターさんに聞いてみると「あれは苦くない、美味しい。美味しい意外に表す言葉がない」などと言い張られました。この静岡県民め。確かに辛いけど苦いのとは違うかな。でも葉っぱは苦いと思うけどな…。違うのかな~~~~????

私が知る世の中で一番苦い草はキラン草ですがなんだかちょっと違うような。「苦すぎて誰も食べない」というほどではないですから。ただこれらはどれも「医者いらず」という呼び方をする類の植物ですね。

そもそも当時の言葉で「ラ行」ってすごく少ないんですよ。ハとミは説明できてもラは難しい。だけどこれをハラと考えると簡単です。ハラという単語が方角を表わす単語ですし、当時神さまたちが住んでいた場所が「ハラの宮」でハラノミヤなわけだし、ハラノミ…、ハラのミ…。

ハラの実

って感じがしなくないですか?
うーん、これは難問ですね。じっくり考えましょう。

シッターさんは「ハラと名のつく地名の場所には昔から石でできた祠があってその中に白蛇がいると言われてた。その祠の中を覗いて蛇を見ることができたら、一晩寝て起きると別人のようになっている。そして出世をする。実際に大富豪になった何人かはその祠に遊びに行った後に有名になったと言っていたし本当に効果があると言われていた」なんて話をするんです。古墳も風穴も神社もいっぱいある場所だからそういう話には事欠かないでしょう。

これはキリがないわ。


ヒルコとカナサキの話題に戻りましょう。
カナサキはヒルコに沢山のことをしてくれました。その1つ1つは今も日本の文化として残っています。

・正月に餅を食べること➡低血糖になりやすい脳性麻痺児のケアには最適
・ひな祭りに人形で遊ぶこと➡人形を見ることによってボディイメージを構築し感覚を発達させていく
・端午の節句にしょうぶ湯に入る➡しょうぶ湯には麻痺やけいれん、てんかんを押さえる成分が入っている
・和歌➡言語療法
・琴➡音楽療法

節句はみんなヒルコのために考えられたことが風習として残ったんですね。

そしてアマガツという布で作った人形をムナカタのアキツ姫が初めて作ったとあります。これは人形が子供の代わりになってくれて厄を祓うというもの。現在のひな祭りの原型だと言われています。人に恨まれた時に人形がその恨みをかわりに受けて身代わりになってくれるという考え方です。

ホツマツタヱでは「恨み」「妬み」というものを重要視していて考え方の基本になっています。

人に恨まれてもうまくいかなくなるけれど、人を恨むのはもっと自分に痛みを与えて病気にしたりして寿命を短くすると言っているんです。これわかる!凄い実感します。

この時どういう作用でそれが起きるのかというと、「人の魂はタマとシヰでできている。タマとシヰは魂の緒で結ばれていて初めて肉体とくっついていられる。妬みや恨みはこの魂の緒をゆるめてしまう。これは内臓に関する記述と共に詳しく説明してあります。

内臓に関する解説はとても多いのに脳に関することは全然ないんです。恨みなどはストレスに当たると思うのでタマとシヰというのは脳の働きのことを言いているのかなと思わなくもないです。タマとシヰが陰と陽を表わしているのなら、まさしく脳から指示されて作られていく男性ホルモンと女性ホルモンの流れを表わしていると思います。宇宙の成り立ちにしろ、言葉にしろ、健康にしろ「陰陽」というのがホツマツタヱの全ての軸になっている考え方なんです。

ホツマツタヱの楽しいところは、神さまの間ではこの「魂の緒を切って敵を永久に消滅させる技」みたいなのが書いてあって今どきの漫画やアニメのようです。その時に使う神々のツールが「剣」なんですね。

統治していると他国と戦争をすることもあります。その時に人を沢山殺してしまうと自分の魂の緒が緩んでしまうのだけどそれを締める技というのもあってアマテルカミの緒が緩んだ時はヒルコが締めてくれていたようです。死んだ人が悪い人であってもそれを許して次にちゃんと人として生まれ変わらせる技というのもあったよう。

鏡は悪いものに憑りつかれている人の顔を鏡に映すと魔物の顔が鏡に映るというツールだそうです。勾玉の使い方はちょっとよくわからなかったです。それにしても完全にファンタジーですよね。ホツマツタヱは曇りなき眼と心で読み解けば普通に読み物としても楽しいんです。

まずあの有名な天照大御神という女性神はアマテルカミという男性神で登場します。瀬織津姫という正皇后(ムカツヒメ)がいて、そのほかに12人の妃がいます。それまではそのような婚姻の仕組みを取った神さまはいなかったそうです。縄文時代って特定の相手を決めずに生殖活動をしていた群婚らしいのでこの風習はすぐには定着しにくいはずです。


モチコは瀬織津姫よりも先に男児を出産していたのに正皇后になれなかったことで恨みに思っていて、ソサノオは他の女性と結婚しようとしたのだけど邪魔されてできず、お互いにむしゃくしゃしていたのでしょう。自然と結びついてモチコはソサノオをそそのかしてアマテルカミと瀬織津姫を殺して国家転覆を狙っていました。ソサノオはモチコの妹のハヤコと不倫をして3つ子の娘が産まれました。

それをハナコに告げ口をされ姉妹は追放されます。ソサノオは瀬織津姫の妹のハナコをウッカリ殺してしまい、死刑になるところを瀬織津姫の嘆願で命拾いをし、追放されます。アマテルカミは岩戸に逃げ隠れます。ソサノオは姉のヒルコに挨拶をしにいくと武装した姉に拒絶されます。

姉妹が育児放棄したので子供は瀬織津姫が預かってムナカタの娘のアキコ妃が育てました。この3姉妹がいわゆる宗像三女神です。その後モチコは大蛇に変身しハヤコは八岐大蛇になり、国をさすらいました。

ソサノオは根の国に行き出雲をさまよい、クシナダヒメと出会い結婚し八岐大蛇を成敗します。ハヤコはソサノオの婚約者をことごとく殺しますがハヤコはソサノオの弔いによって転生し、イハナガヒメになります。ソサノオは騒乱をおさめた功績を認められて罪を許されます。

この辺はちょっとわかりにくいので整理します。

「蛇になりました」というのは完全な比喩です。詳しく読んでいくと、モチコは実家のシラヒトやコクミと一緒になって日本全国に蜂起を促しソサノオの名前を勝手に使って反乱を起こしました。「恨みを持つ人は蛇になる」という表現もありますが、反乱を起こした1つ1つの集団を「オロチ」といいました。鳥を食べると魂の緒が緩むともありましたが、魂の緒が緩んだら蛇になるとも書いてあります。

・モチコはアマテルカミを殺して権力を握る気だった➡九頭の蛇に転生し瀬織津姫を殺そうと機会を待っていたが手力男に尾を切られると1万年以上溜まっていたウンコが一気に出た。その後シナノに逃げ手力男に霊断ちされる
・ハヤコはソサノオにメロメロでとにかく愛されたかった➡八岐大蛇になってスサノヲとイブキヌシに切られて死に、その後イハナガヒメに転生
・2人の兄のシラヒトは父親が死ぬと継母とその子供をレイプしコクミに送る。部下のコクミもその2人をレイプし周囲は咎めもせず放置。そのうちバレてカナサキに処分されるがモチコの働きで死刑は免れる

この話だとモチコとハヤコは愚かな悪者のように書かれているけれど、実家の環境が悪すぎて滅茶苦茶なんですよ。

しかも最初はソサノオがクシナダヒメと知り合ったときにはすでに姉7人は蛇に食われた後だったのに、かなり後になってからハヤコはソサノオの婚約者をことごとく殺し八岐大蛇になったと書いてあるんです。ソサノオがいつクシナダヒメの姉たちと婚約したのか。その時は流浪の民なので誰かと結婚できるような状況ではなかったはずです。このようにホツマツタヱには時々辻褄の合わない記述があります。物語をヘシ曲げたような、人気があった漫画が急に打ち切りになる直前に物語が急激に進展して面白くない方向で終わってしまう直前のあのモヤモヤがホツマツタヱにはあっちこっちにちょっとずつあるんです。

違和感といえば、そもそもヒルコの名前が気になるんですよ。

ヒルコは昼に生まれたのでヒルコと名付けられましたが、捨てられた後に戻ってきたときはワカヒメという名前でした。アマテルカミ(男性)の本名はワカヒトです。対になってますよね。陰陽を重視するならばなぜこの2人が対なのか。記紀に出てくる夫婦の神様は皆名前が対です。瀬織津姫が皇后となっていますが、「アマテルカミの皇后はヒルコ」なのではないかと疑いたくなります。解説本によっては「ヒルコがムカツヒメ」と書いてあるものもあります。

しかもヒルコには稚日女尊(ワカヒルメノミコト)という別名があります。天照大御神は大日女尊(オオヒルメノミコト)という別名がありました。若い頃はワカヒルメで大人になったらオオヒルメ?それがホツマツタヱには稚日女尊とは瀬織津姫の妹でソサノオが皮を向いた馬を投げ入れてつぶされて死んだとあります。これはヒルコとは別人であるとわざわざ書いてありますがそれもなんだかしっくりきません。

機織りの部屋で死んだのは本当は誰なのでしょうか?
記紀との矛盾はあちらこちらでもありますが、一番違和感を感じるのが岩戸隠れの時です。

アマテルカミは滝行を行うと敵を一気にやっつけられる秘術でつかう道具を作って呪文とともに与えてくれるらしいのですが、皆がトラブルに対処している間いつも滝にいるんです。冷静に見ると「ひとりだけ知らんぷりして逃げてるだけ」のように見えるし、なーんか感じ悪い。

そしてその後は神さまたちがそれぞれ懸命に働いては寿命が来て死ぬというストーリーが淡々と続きます。寿命が尽きるのを感じると辞穴に自ら入りにいくと。洞穴の中に自分から入って神上がりをするというんですよ。

実際にシッターさんが言うには富士山のふもとには沢山の風穴があって昔の人はそこに年寄りを捨てに行った姨捨山が沢山あるというんです。認知症などになって面倒を見れなくなったら捨てに行くと。普通どう考えても死期が近づいた人が山登りなんて不可能ですよ。捨てられたのだと言われた方がしっくりきます。

神様は皆死にそうになると岩の洞窟の中で死んだ。

岩戸隠れが死んだ後に「復活」するストーリーならば・・・。


違和感を解消して辻褄を合わせようとすると1つのことしか思い浮かびません。

最初のアマテルカミは男性で13人も妃を持っていた人だったけれど、あっちこっちから恨みを買っていた。有力者の娘が皆人質に取られているような婚姻だった。このことが元で全国で反乱が起きていた。

そしてモチコやハヤコや瀬織津姫は記紀には出てこないんです。瀬織津姫は祓戸大神の1人です。厄を川から海に流して祓う神様です。

瀬織津姫(アマテルカミの皇后)
速秋津比売神(アマテルカミの妃で宗像三女神の育ての親)
気吹戸主神(ツキヨミの子供、宗像三女神の一人タナコの夫)
速佐須良比売神(誰かわからないが根の国を守る女の神)

佐須良ってさすらう姫って感じですよね。さすらう姫といえば、モチコとハヤコです。根の国の姫ですし。本当にハヤコが完全に悪者ならこんな風に瀬織津姫と一緒に祀られるでしょうか?ハヤコのことを八岐大蛇と言ってはいるけれど、アマテルカミのほうが記紀の八岐大蛇っぽいと誰もが感じるはずです。

そして瀬織津姫という名前は後からつけられた名前で本名はホノコです。

せおりつってなんでしょうか。

ホツマツタヱでは「背=夫」というくだりが何度も出てきます。だからこの本を読めば読むほど「夫が下りた姫」と受け取れます。

・背=夫=陽
・妹=妻=陰

古代はこのように考えるんですね。「妹背(イセ)」という言葉は陰陽を表わし、夫婦のことです。

「せ」は最初にあるので主語です。「おり」は動詞です。「つ」は水辺のことを言っているとしたら、「夫が水のあるところに降りる」となります。

そしてこの大乱の元凶の男の妻とその子供が「厄を川から海に祓った」神さまとして祀られていて、岩屋は人が死にに行くところで「隠れる」は神さまが死ぬことを意味しているならば…

私は怖いことを想像しました。

全国的な騒乱を巻き起こした厄災の元凶であるアマテルカミはスサノオとイブキヌシに斬られこの祓戸大神たちに滝で突き落とされて海に流された。そしてヒルコがアマテルカミと入れ替わり女性神アマテラスになった。

だって魏志倭人伝にも書いてあります。最初倭国は男性の王が統治していたけれど国が荒れたから女性の王に変わったら平和になったと。そしてその女性の王は卑弥呼という名前で弟が政治を補佐したと。卑弥呼がヒルコなら、ハタレの乱はまさしく倭国大乱ではないでしょうか。


ホツマツタヱはこのような殺人事件があっただなんてことは書いてはいません。ただ淡々とどのような事件があって誰がどこで死んだかということだけが書いてあり核心に触れていません。これは私の妄想です。でも男性神のはずのアマテルカミが女性神として知られていることも、記紀に富士山や瀬織津姫が登場しないこともこれでしっくりきませんか?

男女の入れ替わりがあったことを伝えると、天皇家の先祖たちの骨肉の争いや殺人事件を説明しなければならなくなります。それはまるで聖書のカインとアベルのようではないですか。

もはや事実は誰にも分らないし、わかったとしても現実問題として誰の生活にも影響はないでしょう。だって入れ替わったヒルコは立派に日本を治めて女性神が人々に尊敬されたことは変わらないのだから。

実際に全国の古い神社の殆どが神様たちが住んだ家や政治を行った場所、子供を産んだ場所です。そこには彼らの痕跡が残っています。

布都御魂の布都とは斬るという意味です。魂を斬った剣がスサノオと祓戸大神と共に物部氏によって残されているんですね。


実際に読んで確かめたくなった方はぜひこちらをどうぞ。

現代語訳してあるので読みやすいです。ページの上に現代文、下にホツマツタエの原文がひらがなで書いてあります。

現代文だけ読んでいると説明が足りないなと思うような部分が時々あります。それは訳が悪いわけではなく原文がそうなっているんです。

そういうときは古代文の文法と単語と風習を理解しなければなりません。それにはこの2冊がピッタリ。池田満さんの本は本当に読みやすいです。現代の人が普通に読み進めていくだけで自然と古語の意味合いを理解できるように書いてあるんです。


しかもホツマツタヱは数冊あるのでそれを踏まえながら読んでいくのは少し大変です。現在この4つの本が確認されているそうです。

・和仁估安聡本
・小笠原長弘本
・小笠原長武本
・内閣文庫所蔵本

小笠原さんの名前を物部さんが何度も説明してくれた理由がやっとわかりました。うちの本が焼かれず残っていたらと思うと残念ですが、沢山の謎が残されていて読み応えありですし、解明されていないことだらけなので妄想は自由自在でとても楽しめます。



私がホツマツタヱを読んで一番震えたことは、やはり登場人物たちの食事です。

ソサノオは最初は多動の激しい発達障害児のようだったのに、流浪の民になってカナサキの一族のものに拾われて生活していると心が落ち着いてきたとありました。カナサキは海洋民族で製鉄の技術があり交易を主体とした仕事をしていました。船を発明した人の子孫です。当然海で魚をとって食べていたことでしょう。これを見る限りは「ソサノオは野菜が食べれない体質だった」ように思えます。

ヒルコも最初のうちは両親と暮らしていたけど良くならず、カナサキに預けたわけですから、ソサノオと同じ体質だったのではないでしょうか。すぐに健康になったので。

これはイザナミやイザナギ、アマテルカミは生体異物除去食CやDタイプでソサノオはBタイプの男性、ヒルコはAタイプの女性のように思えます。

さらに言い換えると「天つ神」が「陽」でキク科の植物のガレクチンが薬になる体質で糖鎖のリングの左側、「国つ神」が「陰」でキク科の植物のガレクチンが毒になる体質で糖鎖のリングの右側を表わしているのかも。

すると天孫であるニニキネ(ニニギ)は「陰陽の皇子」なわけですから、どちらの遺伝子も持っているということに。

この物語、生体異物除去食を知る人からすると完全に「食べ物と体質」について書かれているとしか思えないんです。

そして蛇というのは「卵を食べられる体質」のことなのかなと思います。ということはハヤコの子孫たちはみんなAタイプですね。卵や鳥ばかりを食べていたら太るというのも理解できます。

「生体異物除去食は代謝しずらい物質を含む食品を避ける」という考え方でいましたが、それだと完璧ではなくて「体内に入ってしまった不要なレクチンを体外排出させるための何か」が必ず必要でした。でもそれがずっとわからなくて私は体調が悪く子供の発達は思うように進みませんでした。

今回ホツマツタヱという古文書からそのヒントを沢山もらえたことにとても感動しています。


そして昨日ホツマ辞典のカバーをぼーっと眺めていて気付きました。

茗荷!!!

茗荷の絵

確かに!茗荷の葉っぱは苦すぎて誰も食べない!!

茗荷の古い言葉は何というのか調べてみたところ、香りの強いものを「背の香」(せのか)弱いものを「妹の香」(めのか)と呼びそれがなまって生姜がと茗荷がになったというんです。それならば「陰陽」をそろえるためには生姜と茗荷を同時に使うべきなのでしょうか?そして魂の緒のようなものも必要なのかな???

そうなるとやはりハラミ草は3種類を混ぜて使うものなのかな???


いやまて…
この本の表面は…

双子葉離弁花!!!

桜?梅?桃??
富士山はコノハナサクヤ姫の山だし桜かな?
調べてみると妹背という品種の桜もありました。

そこでさらに調べてみました。武内宿禰が和歌山県の安原の地を基盤にしていたのなら、和歌山県で昔からよく栽培されていた農作物にヒントがあるかも。

・白菜
・大根
・生姜
・イチジク
・もも
・枇杷
・みかん
・柿

茗荷は祖父の実家にたくさん生えていました。梅もイチジクも枇杷もコケモモも私の実家に植えてあったので、そこから特定するのは難しそうだけども、柿と枇杷以外は全部うちの子がよく食べるし具合が悪くならない食べ物です。

梅&茗荷かな?!

あああ!わからない!

これ以外に私の実家で気になる植えものといえば、高野松です。昔、祖母が高野山にお参りに行った時にもらってきて植えた松が大きくなっていました。
高野山といえばホツマツタヱでも謎多き場所ですよね。高野山金剛峯寺には玉川という川が合って和歌も残されています。


もうこれ以上考えても考えても私の脳みそではいいアイデアが何も出てきそうにありません!!知恵熱が出ます!


とりあえず知り合いの農家さんにお願いをして来週ゴギョウを持ってきてもらうことになりました。

しばらくは苦い草との戦いになりそうです。


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