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女系の遺伝子をつなぐ家6

若い頃の私の趣味は旅行でした。普段PCに向かって仕事をしていたので、家から出て遠くに行きたくなるんです。ドライブも好きだったのでどこでも車で行きました。私は教養を身につけたかったので観光地だけではなく美術館や歴史博物館にもよく行きました。人と話をしたときに「行ったことない」「知らない」「聞いたことない」「そんなのがあるの?」ということが多く、薄っぺらい知識ではなくできるだけ自分の足で見て回って経験を積みたいと思っていました。遊びに行くというよりは社会見学という感じの旅行が多かったです。

ある時、高野山に行きました。武将のお墓が沢山あると聞いて見て回りたくなったからです。歩いて階段をのぼって上の方まで行きました。疲れたので上まで行けず途中で引き返して階段を下りていた時、下の方には背の高い2人の坊主頭の男性が立ち話をしていました。

一人は紺色のTシャツを着たイケメンでした。もう1人は黒と白の衣装を着ていたので明らかにお坊さんだとわかりました。その仲の良さから二人ともこの地に住む人たちなのだろうなと思ったのですが、すれ違う時に紺色のTシャツを着た男性が私に声をかけてきました。

「あなたの背中に梵字が見える」

いきなりこうですよ。すれ違いざまに。

そのセリフを聞くや否や、「危ない人かも!」と思って逃げるように私は走り去りました。だって私は階段を下りていたんです。その人達は下の方にいたんだから私の背中が見えるわけがないんです。何を言っておるのかと。背中に梵字って意味がわからないですよ。

去年、玉川温泉で仲良くなった乳がんのおばあちゃんとお風呂に入りながら高野山についての話をしたときのことです。彼女は両親ともに実家のお墓が高野山にあるそうで、お墓参りが遠すぎて辛いという話をしていたんです。

それで私が「高野山といえば…」と思い出してその時のことを言うと彼女はものすごくびっくりして「イケメンだった?!」と聞くのです。

私は「Tシャツの人はものすごいイケメンだった。お坊さんのかっこうをしたひとは四角い顔をした色白ののっぺりした人だったけど凄く背が高くてぬりかべのようだった。それに比べるとTシャツの人は小さくて、顔面の整い具合が半端なかった。世の中にあんな顔のきれいな男の人がいるのかと驚いたし、同時にスピリチュアルすぎて引いて逃げちゃった」というと、「逃げちゃダメよ~~~!だってあの人は有名な人なのよ~!能力者なのよ!その頃のことだから、若かったわよね?」というので、「知ってるの?今はもうおじさんよね?15年近く経ってるから。今でもイケメンなの?」と聞くと、「ああああああああ!イケメンよ~~~!あああああああ!もう一回高野山に行きなさい~!何だったら私がついて行ってあげるから~!話しかけてもらえるだなんて~!絶対行こう!一緒にいくから!普通は滅多に会えない…」と言うのです。

それを玉川温泉で知り合った他のおばあちゃんに話して本当に凄いイケメンがいるのかどうかを確認したところ「あ~、いるねぇ。いるいる。うちも両親ともに高野山に墓があるから!連れて行くんだったら私が!」と凄い勢いで連れて行ってくれようとするんです。本当にあの温泉の常連のおばあちゃんたちは由緒正しいお家柄のお金持ちばかりで、私のような庶民からしたら歴史の教科書に載ってる人達が先祖だなんて意味が分からないですよ。


そして私の整体の先生にそういうことがあったと伝えたら、その先生は「僕も高野山の先生に背中に梵字が見えるって言われたことあるよ?でもずいぶん前だよ?40年以上前だと思う。父親のつてで、うちにそのお坊さんが寄ってくれてねしばらくいてくれたんだよ。あなた子供の頃丁度来てたよ。覚えてないかな?着物着た人いたよね?手の印と病気の治し方について教えてくれたの。『普通はこれらのことを人に教えたりするようなことはないんだけど、あなたの背中には梵字が見えるので教えます』って言われてね。仏像っていろんなポーズをしてるじゃない?あれは病気とその治し方を表わしたものなんだって。1つの仏像に対して1つの病気。そして治し方は手の形で決まってるのよ。僕はずっと居合をやっていたし、居合をやる人達って言うのは摩利支天さんを信奉する人が多くて師匠がやってたから自分も試合の前とかには九字を切ってたの。僕は治療をした後には必ず九字を切るよ。摩利支天さんの真言を唱えながら手の形をやるのよ。それをやると集中力が上がるとかいうからやるわけだけどそのお坊さんは指の形は集中力だけじゃなくて、もっと難しい病気の治療に使えるんだっていろいろ教えてくれて、今の僕の治療の根幹にそれがあるのよ。」と言うんです。

九字とはこれのことですね。先生がやって見せてくれたのとはすこし違うけれど。

先生のは手でいろいろやった後に最後に空中に人差し指で丸と点を打つものです。「点を打つ場所が上の場合と円の中の場合と下の場合とで意味が違うの。治療のあとに施術者が点を打つ場合は下なのよ。これを上に打つと治してあげた人の病気が自分の方に来ちゃう。」と言われたような気がしたのだけど、上だったか下だったかは適当に聞いていたのであまりよく覚えていません。

背中の梵字云々は置いておいて、手の形を治療に活かすというのは先生に治療を受けた人間ならその効果を誰でもしているはずです。

例えば治療を受けている最中に親指と薬指をくっつけてワッカを作ります。そうすると長く治療を受けなくても数秒で効果を発揮して痛みが取れたりしていたんです。それは仏像のポーズなのでそれだけ言うと患者さんの中には胡散臭いと思ったり、催眠術的な暗示なのではないかと思う人もいるみたいでしたが、先生は「リンパを流すときとかには凄く使える技術」と言っていました。宗教的な意味合いでするのではなく、本当に効果があるから先生は利用していたのだと思います。

私は右に比べて左の方が胸のサイズが大きくてブラジャーを買ったときに必ずカップ2つ分くらい差があって右側がスカスカになるのが嫌だという話をしたんです。すると先生は「20秒で治せるよ?」と言って私にある仏像のポーズを取らせてそのまま上半身だけ左右に揺らしたんです。20秒を数え終わるころには私の両胸は同じ大きさになっていました。てっきり乳腺とか脂肪だとかそういうものの量でサイズが決まると思っていたのに、リンパだったんですね。

先生は「人間の体は胴体に2本の手と2本の脚に頭がついている。4本の脚ではなく2本の手と2本の脚で二足歩行しているというのが重要です。これは2つの肩と2つの腰によってバランスが取られていて、さらに頭の向きと全体の体重のかかり方に影響がある。これらが作るバランスによって歪みが生じて人間の内臓は負荷がかかって病気になる。だから左右のバランスが取れていれば病気にはなりようもない。合掌をして両手を体の中心に持ってくれば左右のバランスはとれる。だけどそれだけではだめでプラスアルファが必要なんです。」と何度もその仕組みを説明してくれました。

そのプラスアルファの部分をきっと古代の人達は知っていたのに現代の人には伝わってこなかったのだと思います。

その時先生は「手はただの手じゃないんです。世の中の大抵の治療は手でできるんです。それは言い換えれば病気は手が作っているのと同じなんですよ。自分は一部しか教わっていないし、それを自分の治療に応用したりしたけどすべてを理解しているわけではないから、あなたはその根源について学ぶべきだと思う。」と言うんです。

とはいえ、何をどう学べばいいのかわからずにいました。


その先生は認知症になって施設に入所してしまったのでもう施術を受けることはできません。ですが数名の患者さんとはまだ電話で話したりするらしく、寝たきりでベッド上安静ではあるものの寝たままできる治療法について研究を続けています。それがまさに「手の形の治療」でした。

今年の春に先生から電話で指の構造について教わっていた時、私は少し失敗をしました。そのせいで自分の体調が悪くなり熱が出て1か月ほど寝込みました。その間何がどう悪かったのか何となく自分で予測がついたので、それを確認するためにも指を使って治療する方法がなにかないかと図書館で司書の人をフル活用して書庫の奥から資料をさがしてもらいました。

そして一緒に借りてきたホツマツタヱの本を読んでいるうちに、あることに気づきました。

・かなは48文字ある。
・かなの母音は「あいうえお」で、それぞれウツホ(気体)、カセ(熱くないエネルギー)、ホ(熱いエネルギー)、ミツ(液体)、ハニ(個体)である。五臓六腑に関係がある。これは中国の五行説などとは内容が異なる。
・文字1つずつに意味があり、文字をつなぐとその意味も広がる
・これらはヲシテ文字で書かれている。

そしてホツマツタヱのあちこちには「手の形」についての記述があります。
それは「〇の手」と言う言い方をされていて、〇の中にはがな1文字が入ります。

そして病気の子供だったヒルコがカナサキにアワウタを習って病気を治したとありました。私は最初これを古代の言語療法なのかなと思っていたのですが、もしアワウタが「手の印を結ぶことによる治療」なのだとしたら、手の形は48種類あるはず。そしてカグノフミの別名は「百のヲシテ」です。100種類あるのかもしれない。カグのフミの失われた部分は手の形を示したものだとしたらどうでしょうか。

ヲシテ文字のかなが「48の手を押す文字」なのだとしたら、私は思い当たることが1つあります。それは一緒に借りてきたインドのハンドヨガの本にありました。

ハンドヨガは全身を使ったヨガを行えないような人でも治療を行える自己治療法ですが、根本的な考え方として「手は露出した脳である、手を治療することは脳を治療することである」というものです。脳を治療すれば内臓の病気なども治療できると考えられています。

いくつかの手のポーズはインドにおける五行思想を元にしてあり、全部で108個、重要なものは48個あります。48の手の形は日本では失われているものの、インドでは残っていました。それがムドラと言うものです。

これは単に手の形を作ればいいというものではなくて、あくまでも「手を押しあう」ことが重要なんです。


そして司書さんおすすめのこちらの本も一緒に借りてきていました。龍村式指ヨガです。インドのムドラは概念の説明が多くて何を言っているのかよくわからない箇所も多いですが、こちらは龍村さんがかなりかみ砕いて重要なところだけをうまく説明してあるのでまだわかりやすいです。

これをやっているところを見たシッターさんが「あれ?それ昔からあるよね」と言い出したのです。そしてやってみてもらうと順番が違う程度で内容は8割、9割同じでした。

どうして知ってるの?と聞いてみると、「3歳の頃から柔道をやっていたんだけど、子供の頃から通っていた道場では皆が練習の前や試合の前に必ずそれをやっていた。特に大学に入ってからは柔道部の合同練習なんかで別の大学の先生に習うことがあって、どこだか忘れたけど静岡県内の大学の柔道の先生がその手の運動を教えててもう常識だった。最近はそうやって健康法として本が出版されてるんだろうけど、理論立てて本にしている人がいなかっただけで50年60年前から同じことを普通にやってたよ?ヨガとか言わなかった。それに名前はついてなかったけど準備運動の前の運動って感じ。先輩や先生が普通に練習の前のルーティーンでやってて、できるやつはみんな自分なりのやり方を見つけたりして見せ合ってた。『俺はこんなのもできるぜ~』みたいな感じで遊びみたいに。でもそれをやると関節が柔らかくなってけがをしにくくなるし、関節技をかけられた時に普段だったら逃げられないものも逃げられたりするからね。リンパがねー、滅茶苦茶流れるのよ。体が柔らかくなるね。柔道は叩きつけられるのが前提だからとにかく体をほぐさないと怪我をしちゃうから凄い重宝してたよ。やると肩こりとか一発で治るよ。上手いやつと下手なやつはいて、上手いやつはなんでそれをやるかって言うと効果を狙ってやってるんじゃなくて『こんなすごい形できる俺スゲー!見てみて!』っていうモチベーションだけでやってたから誰も手の形の意味とか知らなかった。」と言うんです。

柔道と居合の世界ではハンドヨガはヨガという名前では呼ばないものの似たような知識が伝わっていたということでしょうか。

そしてホツマツタヱには〇〇の道を大事にしろというような言い方をしている部分が何度か出てきます。

〇〇道?柔道とか剣道とか茶道とか?柔道は投技が68本、固技が32本で100です。どこか繋がり合ってるんですかね。


まあそれはおいておいて、実際にハンドヨガをやってみましょう。龍村式はとにかく気持ちいいです。インドのムドラは沢山あるけど効いている実感があるものが少ないです。むしろ手話のような感じ。

あれこれとやっているうちに効いている実感のある指の形を見つけました。そして自分なりに工夫して応用させてみました。48個を見つけるのは難しいけれど、自分でやってみて最強にリンパの流れるポーズを1つ編み出しました。

これはあずみの式ハンドヨガですね。

①まず姿勢を正して足の裏をちゃんと床に全面くっつけた状態で座ります。

②手を胸の前で合わせて合掌します。手のひらや指にしっかり力を入れて押し合います。

③指をパカッと開いて親指と小指がまっすぐになるほど指と指の間に空間を作ります。

④指が丸まらないようにしっかりと反らしつつ、押し合います。ここからは手のひらではなく指を押し合うのがメインになります。

⑤手のひらを少しずつ離しながら手の間にまるいボールが挟まっているような感覚をイメージしてください。この状態でしっかり指を押し合います。


力が変に抜けてしまったら最初からやり直してください。しっかり押し続けることが大事ですが指が曲がったらダメです。きちんと反らしましょう。自然と腹筋にも力が入ってくると思います。これがうまくできたらわきの下から肘の間までの腕にゾワゾワとした感覚を感じます。何かが流れているような感じ。そのまま押し続けていると胸の方にもその感覚があります。

⑥腕の中を何かが流れる感覚を感じたら、手首を回して中指の先が自分の胸の方を向くようにします。小指は天井の方を向いているはず。この状態をキープしてしっかり流れる感覚を楽しんでください。やりすぎると頭痛がすることがありますがそれはやりすぎなのでちょうど「気持ちいいな」と思えるところでやめておきましょう。

回す向き

⑦小指を上にした状態から、今度は手を回していきます。回す方向は横から体を見た時に自分の胸の方に向かって回す方向です。これが「下り」の方向。逆方向に回したら「上り」の方向です。流すのは下りに向かって流すべきなので、胸の方に向けて回してください。しっかり回せば全身に流れる感覚が広がっておへその下のあたりに暖かい感覚があることもあります。

⑧しっかりと流れたのを感じたら、今度は腕を後ろに向けて回してください。肩からしっかり回してやると溜まっていたものがさらに流れて行く感覚があります。そしてその後前に向けて回してください。後ろに回したら前に回すとバランスが取れます。普段と比べて凄く腕が回りやすくなっているのを感じると思います。

このとき右足を曲げて左の太ももの上に置いてみます。いわゆる弥勒菩薩の足のポーズをした状態でこの手を合わせる印を作ってグルグル回すと腰のあたりまでしっかりと流れます。右足を上にあげて回すと心臓にものすごく圧がかかることがあります。その場合はあまりやらないほうがいいですね。

この手をぐるぐる回すやり方や足と組み合わせる方法を考えてシッターさんにやってもらったら「手の足の組み合わせを考えないといけないかもね」と言われました。

手だけの動きでは上半身には効くけど、正直下半身全部には効きは弱いです。だから足のポーズと組み合わせてこれをすることで全身が流れるのではないかと思いました。他の仏像の下半身のポーズが参考になるかもしれません。


そもそもヲシテはインドから入ってきたものなのでしょうか?それとも日本からインドに渡った後に戻ってきたものなのでしょうか?

ホツマツタヱの中のインドとの共通点はほかにもあるんです。それが階級制度です。

日本の古神道の階級の分類とインドのカースト制度はこれほど似ています。左がホツマツタヱの中の人々の階級の分類です。人のためになることをした人はカミと呼ばれ、国を治めている人たちをキミと呼び、トミはキミを支え、彼らはタミのために生きる。悪いことをした人は下民となり、自分たちとは違うものを食べている人たちのことをケモノと呼び、嫉妬の心を持つ人をヘビといってケモノと共に「モノ」という枠に入れていました。そして彼らが暴力的な活動を始めると「ハタレ」になったと考えたようです。


インドの場合はバラモンが聖職者、クシャトリアは王族・戦士、ヴァイシャが平民、シュードラが隷属民です。ダリットが不可触民でカースト枠の外の最下層に位置付けられ差別を受けています。

構造的には似ているけど、ホツマツタヱでは神も君も臣も民のために働くものだとされていてここまでは差別の構図と言うわけではなさそうですが、「ヒト」という扱いを受けていない人達には明らかに酷い感じですよ。

ホツマツタヱでの神は菜食主義で米と野菜しか食わず色白です。肉魚などを食う人を徹底的に区別して戦争していました。これは「野菜食う人々」と「肉魚を食う人々」の戦いのように見えます。

糖鎖科学を何も知らなければ食べ物の好き嫌いは個人の意思以外何もないように思えます。ですが食品に含まれる代謝しにくい物質には体質ごとの偏りがあるので野菜の毒を代謝しづらい遺伝子を持つ人もいればそうでない人もいたはずです。肉が薬になる人もいれば毒になる人もいます。

「野菜はヘルシー」という押し付けはそもそも全人類に通用しないので、私は「肉が食えるやつは肉を食っていればいいし野菜を食えるやつは野菜を食ってればいいじゃないか。別に全員が同じものを食わずとも」と思いますが。でも生まれてきた子供がどちらの体質を受け継いできたのかわからないと離乳食で困りますよね。同じ体質の人同士で結婚をして子供を作るほうが「親の飯と同じものを子供に食わせればいいだけ」ということになるので昔の人は同じ体質の人同士で婚姻していたのかも。

そしてインドのバラモンたちのご飯こそが「ネギ・玉ネギ・ニラ・ニンニクなどの単子葉植物を食べない」というものです。

ヒルコという名前は「昼に生まれた子」とされていますが、にんにくの古語である蒜(ヒル)という文字を当てるのだという説もあります。これは「蒜をよく食べた子」と受け取るのか、「蒜を食べられなかった子」と受け取るのかは考えどころですね。

レクチンの関係から言うと、蒜食えない人は体質的に鴨食えないはずだし、鶏肉や卵を食べられるので当時の菜食主義者からするとやばい人扱いされてもおかしくないです。卵食ってたら蛇みたいなやつって罵られてもおかしくないかな。

糖鎖をベースにホツマツタヱを読み解くと、次のような考察が出来ます。(歴史とか神話が好きすぎる人は怒らないでね。)

こちらが皆さんの母親のイザナミさんの家系図です。古事記をはじめて読んだ日からずっと私は違和感がありました。お兄さんが太陽と月の神なのになぜ最後の弟が海の神なのか。3兄弟なら星の神とかにすればいいじゃないですか。流産した子は仕方ないにしてもなぜ最初の子を子供とは数えなかったのか。


これを体質別にみるとこうです。


これはね、A型のお父さんとA型のお母さんからB型の子供が生まれてるくらいおかしいんですよ。

でもこう考えるとしっくりくるんです。

子供として数えなかったのはヒルコの父親がイザナギではなかったからだとしたらしっくりきます。そしてスサノオが海の神なのも父親が海洋民族の王ならばわかります。そしてカグツチは海洋民族である以前に、山や鉱山の神であり精錬の神です。ヒルコもまた造船技術や精錬の技術を伝えた神です。川に流したのは本来の父親であるカグツチの一族に育てさせようという意味であるなら、その一族のカナサキが育てたのも納得です。

イザナミは元々カグツチの妻であった。イザナギが略奪したが逃げられたので追いかけて行ったら、火傷のあとを気持ち悪がったのでそんな性格悪い人嫌よとイザナミに縁を切られた。

野焼きをしているときにやけどをしたのは本当だろうけれども、記紀のように彼女は股間を火傷して死んだりしていないし、生きていたからこそイザナギもソサノオも彼女を追って根の国に行ったわけです。根の国は現在の北陸地方のことです。

縄文時代は群婚でしたが、イザナギイザナミの時代から「妹背(夫婦)」というものを強く打ち出してきました。いきなりそうしようと言われてもそうはなかなかうまくいかなかったはずです。

実際にイザナギの子供を産もうとしてもなかなか男の子が生まれなくて苦労をしているのだから。そしてアマテルカミは妃を12人娶りましたがその後の天皇の歴史を見ても跡継ぎ問題で苦労していました。それほどイザナギの家系は「子が生まれにくい家系」です。


ツクヨミは情報量少なすぎで判別が難しいけど、穀物生み出す神さまをぶち殺して怒られてましたよね。世界の有名な神さまの一人にそういう人いました。肉は食ったけど植物は食わずに残して、争いを生みだした人。

肉食なお父さんがイザナギやカグツチのほかにもまだ別にいそうな感じだけども、ややこしくなるからおいておいて。

この人ゲイを聖書の中で徹底的に嫌ってますがホツマツタヱを詠むとなんだかわかる気がします。

アマテルカミって14歳の子供を妃にしているし、夫のいる女性も妃にしているし、アマテルカミにそっくりの天皇もみんな同じことをしているんです。性癖は遺伝子で遺伝する部分が大きいので戦争大好きなアマテルカミやイザナギの性癖が見えてくるんです。

こんなワードが浮かんできますよ。

・ロリコン
・ルッキズム
・略奪愛
・レイプ
・複数プレイ
・ゲイ
・失言で女を怒らす
・嫉妬
・DV

ホツマツタヱに出てくる天皇の逸話は「誰がどんな女の子に酷いことをした」とか「この人はよく働いて政治的には良いことをしたけど女癖は最悪だった」とかそんなのばっかりなんです。誰がどんなことをしたのかということは簡単に描かれているだけで、それらについても「アマテルカミっぽい人だったかそうでなかったか」が読み取れるように書いてあります。ホツマツタヱはそもそもが「自分たちの子孫のための実用書」ですからね。気をつけろということでしょう。

逆にヒルコの性癖はオモイカネのように「知性のある男性が好き」というものでした。サピオセクシャルですね。これはどうやっても相容れないですよ。

前回までの記事で「男のアマテルカミは戦争大好きナルシストの沼男だったために兄弟や嫁たちによって斬って川に流されて、その後はヒルコがアマテラスになって女性神として働いた」という内容だったのに、さらに「アマテルカミはイザナギから受け継いだクソきもい性癖の持ち主でイザナギの本当の夫は別にいた」と言ってるわけですから、「こんなの記紀と違いすぎる!」と怒る人もいるでしょう。

「神道をぶっ壊すようなことを言うな!」と怒られそうですが、神道の祝詞にこそその痕跡があります。

佐久那太理爾 落多岐都 速川乃瀬爾坐須 瀬織津比賣登云布神
大海原爾 持出傳奈牟 此久持出往奈婆 荒潮乃潮乃八百道乃
八潮道乃潮乃八百會爾坐須 速開都比賣登云布神 持加加呑美氐牟
此久加加呑美氐婆 氣吹戸爾坐須 氣吹戸主登云布神 根國底國爾
氣吹放知氐牟 此久 氣吹放知氐婆 根國底國爾坐須 速佐須良比賣登云布神
持佐須良比失比氐牟 此久 佐須良比失比氐婆 罪登云布罪波
在良自登 祓給比清給布事乎 天都神國都神 八百萬神等
共爾聞食世登 白須

祓戸四神は厄神を追いに追ってとどめを刺しています。アマテルカミは川や海に出てからも相当逃げまくってますよね。根國底國とありますが、根国は新潟、底国は中国地方なのでかなりの距離を追い詰めています。

壮絶な逃走劇の末、4人でアマテルカミを成敗した歴史がここにあります。



そしてヲシテ文字を語るときに欠かせないのがこの図だと思います。



フトマニ図といいます。どのように使えばいいのか人類はまだわかっていないため、印刷して部屋に貼ったり、幸運のキーホルダーみたいなものが作られて流通しています。使い方を知らなければ自然とそうなっていくんでしょうね。魔法陣っぽい見た目だから。

この図、何を意味していてどうやってつかうのでしょうか。

そういえば私の家に木製のこんな形をしたものがあったんです。祖父が占いをしているときに一度それを出してきて、特に使うというわけでもなかったけれどお客さんに見せていました。使わなかったということは、祖父も正しい使い方を知らなかったのではないかと思います。それは焚書事件の時に一緒に焼いてしまっていました。

ただしその木製のものにはヲシテ文字は書かれていませんでした。そのかわり丸い点が彫り込まれていて、その模様に似たものを私は秋田県の大湯環状列石の資料館の中で見ました。

どばんくんというキャラクターがいるのですが、丸い点で数字を表わしているそうです。点字みたいな感じ。

・直系30cmくらい
・厚みは5cmくらい
・木製
・ドーナツ状のものが重なっていてくるくると回った
・表面には点字のような文字が彫り込んである
・文字の中には筆で書いた文字もあったが草書体で潰れていてよくわからなかった


あれが完全にフトマニ図の構造を持ってるものなのかはわからないけれども、確かに家にあったんです。これは何かと訊ねたら「触っちゃダメ」と言われたので、名前すら知らなかったのではないかと思うほどです。

ホツマツタヱやフトマニには「男が上で女が下」というような表記が出てきます。これはうっかりすると男尊女卑の思想なのだと勘違いされそうですが、大抵はそのまま読み進めていくと神さまの名前が出てきてわけのわからない話になります。結論としては「そうやって人間の肉体はできている」というような言い方をされて終わります。

これを生化学の知識で私がいつも研究している糖鎖のリングの図式にあてはめてみるとこうです。

男性が上で、女性が下でしょ。あ(陽)が右回りでわ(陰)が左回り。男が右で女が左ね。

私は糖鎖の考え方に「表と裏がある」と考え、表は左回り、裏は右回りと考えました。これにはそういう構造はありませんが、ABCDの間に相当する部分が表示されています。通常はト(南)、ホ(東北)、カ(西)、ミ(東南)、ヱ(北)、ヒ(西南)、タ(東)、メ(西北)と配置しますが、ホツマツタヱ的には北と南は反転します。当時の地図は上下が逆なんです。

だからトが上ですね。

体質を表わしているかなはこちら。

め:Aタイプ ふめし 女性ホルモンが多く男性ホルモンが少ない女性  (ガレクチン・セレクチン・コレクチンが毒となる体質)
ひ:Bタイプ もひい 女性ホルモンが多く男性ホルモンが多い男性  (ガレクチン・セレクチン・コレクチン、生ものが毒となる体質)
み:Cタイプ すみへ 女性ホルモンが少なく男性ホルモンが多い男性  (アリシン、イソチオシアネート、豚肉、塩と油が毒となる体質)
ほ:Dタイプ あほを 女性ホルモンが少なく男性ホルモンが少ない女性  (アリシン、イソチオシアネート、肉のたんぱく質が毒になる体質)
う:Eタイプ あうわ ホルモンのバランスが取れた人 
ゑ:糖鎖の生成と代謝にねじれがあり特定の酵素の少ない人  (ガレクチンが毒になる体質)
か:糖鎖の生成と代謝にねじれがあり特定の酵素の少ない人  (?)
と:糖鎖の生成と代謝にねじれがあり特定の酵素の少ない人  (牛肉が毒になる体質)
た:糖鎖の生成と代謝にねじれがあり特定の酵素の少ない人  (?)

※ガレクチン:双子葉合弁花に含まれる毒
 セレクチン:動物の内臓や乳などに含まれる毒
 コレクチン:海洋生物のヌメヌメした部分に含まれる毒
 アリシン:単子葉植物の辛み成分
 イソチオシアネート:アブラナ科の植物の辛み成分

これらはそれぞれが中央部分の2のルートを示していて、「ふしもいすへたを」が1のルートと3のルートを示してます。

それを細分化して、どこの部位に症状が出やすいのかを表わしたのがこちら。

ふ:子宮
め:乳・前立腺
し:腎臓・膀胱
も:大腸・肛門
ひ:胃・十二指腸
い:口・食道
す:心臓
み:脳・膵臓
へ:肝臓・胆嚢
あ:肺
ほ:皮膚
を:甲状腺・胸腺・脾臓


そして人類には8の神様がいて、イザナミもイザナギも「た」の神様の子孫と書かれていますが、これは実際は「たの遺伝子」について語られているだけです。「た」は糖鎖の図式で言うと左側なのでまさしく肉の食えない菜食主義の人々ですよ。ホツマツタヱの中に「女性は男性よりももっと肉を食べてはならない」と記述があるのも納得です。実際に糖鎖のシーソーの左側の女性は肉のたんぱく質を多く食べることが出来ません。

「た」の男性がに糖鎖のゆがみが出た時は1つ右回りにすすんで「と」になり、「た」の女性が糖鎖のゆがみが出た時は1つ左回りに進んで「ゑ」になると。ということは、「か」の男性は糖鎖のねじれが生じた時は「ゑ」に、女性は「と」の部位で症状が出るということですよね。これは合ってますね。これも糖鎖の関係から考えると、間違ってないです。癌を発症した後の転移のルートを示しています。

その周りの2周は私のように立体で考えず、すべてを1枚の図で表すとこうなるのでしょうか。

「神様」という存在のことを一旦忘れないとヲシテ文字は読み解けません。
そして「子孫のための実用書」とするならそれはスピリチュアルな意味合いは全くないはずです。そう考えてこれを読むと、人類がまだ解明していないはずの糖鎖の理論が現れました。


そしておそらくこの図を眺めるのではなく、くるくる回して使うことで「手を押して治療をするための文字」が見えてくるのではないかと思います。

ホツマツタヱやハンドヨガについて検索しても瞑想とか超自然的な次元の話ばかりで具体性が全く無いサイトにたどり着くばっかりだし、「48 手の形」と検索するとエロい体位のサイトばかりで、48個の手で作る文字なんて見つかりませんでした。仏像を調べてみるといいかもしれないけれど仏像の手だってそんなに数が沢山あるとは思えません。どこかに手の形を描いた古文書みたいなのが残っていたらいいのだけど。ないですよね…。

外側の2文字を加えた「ふぬく」「めぬう」などの3文字を利用した対照表みたいなのがあってもいいように思えます。

だってうちに伝わる占いでは3文字の数字を使って占っていたけど、あの本には数字が意味するものをそれぞれ書いてあったから。595が「勝利の数字、初めから勝ったも同然」というように。そしてその対照表に書かれている言葉こそが、手で押して治療する印の形。

体質から治療法を読み解くことも可能かもしれませんが、ハラが並んでいるのでこれをミまで回転させれば、その時の中央部分の状態が不老不死や病気を治す状態に当たるのかな?

2のルートの人(めひみほの人=A-2、B-2、C-2、D-2のタイプの人)はそれぞれ2つずつ治療法が存在し、1と3のルートの人(ふしめみすへあをの人=A-1、A-2、B-1、B-2、C-1、C-3、D-1、D-3)は1つずつあるようです。2個ずつある部分はどのように使い分けるのでしょうか。

一生かけてもわからないだろうなと思って来たことの半分くらいがフトマニ図で解決しました。

大湯環状列石の前の道路をそのまま北上すると十和田湖にたどり着きます。十和田湖は昔日本で一番大きな山でしたが噴火によってカルデラ湖になり小さくなりました。「とわだ」という漢字は十(統合する)+和(陰)+田(タの一族)とすることもできますし、「永久蛇」とするならタの一族以外の繁栄を願う名前となります。

富士山のことが記紀に描かれていないように、十和田のことはホツマツタヱにすら書かれていません。しかし秋田や青森には縄文の集落の遺跡が沢山残されており、現代の科学を凌駕する知識が埋もれている可能性があります。

古代のものが見つかれば何でも墓扱いされ、人物名はすべて神さまにされてしまい科学的な事柄はすべて無視されてしまいがちですが、住む場所を追われた縄文のアイヌの人たちがプロテオグリカンを用いた食事療法で歩みの遅い子供を治療した技術を伝えていたように、糖鎖科学はずっと前から人類に利用されていたのだから。


まず私がしなければならないことは、48文字とどの手の形が適合しているのかを見つけ出すことです。

そしてそれを和歌に置き換える。

ホツマツタヱにおいて「厄払い」の意味がある和歌は32文字。
これを少なくとも16個探す。

これらは「病気を治す和歌」のはずです。とりあえず古今和歌集などをチェックして「詠み人知らず」の和歌を探してみましょう。そして神楽の曲として残っているかもしれないから、能楽のなかでそういったものがないか探さないと。古武道なども調べてみてもいいかも。どこにそれが残っているのかわからないですからね。

今はもう頭がパンクしそうなので考えたくもないですが、そこから48個の組み合わせがでてきそうだし、運が悪ければ108個に膨れ上がるはず。

48と108の両方は、12で割り切れる数です。となるとこのフトマニ図の回転する場所はやっぱり間の2列。うちにあった木製のグルグルするやつも動いたのはその場所でした。



そしてホツマツタヱの中で最も重要だと何度も繰り返されていた言葉は「長生き」ですよ。カナサキ、ヒルコ、イブキドヌシはありえないほど長生きしています。きっと長生きのヲシテの指の形を知っていたんですよ。

特にイブキドヌシは父親がツクヨミですが母親はイザナギやイザナミとは違う血統です。タカノ尊という名をもらっていて高野山ゆかりの神様です。長生きの呪法の痕跡でも残っているのかしら。

ホツマツタヱから「千代見草を食べたから長生きをした」と何度もヒントを出されていました。私はそれでてっきり「そういう草を探せばいいのだろう」と思っていましたが、それはただの暗号だったのかも。

日本人の祖先が自分たちの子孫にだけ伝える暗号として残して残した和歌は何らかの形で今もずっと私たちの身近なところに存在しているはずです。

そして長生きの術こそが病気を治す術でもありました。

長生きを祈る32文字の和歌といえば、私は1つしか思い浮かびません。


きみがよは
ちよにやちよに
さざれいしの
いわおとなりて
こけのむすまで




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