空っぽ人間、カッコつけやめる宣言

私すごい!「人」より出来る!


人と比べて優越感に浸る、人間としてやってはいけないことだろう。なんで人より上にいたいと思ってしまうのか。というより、居なければいけない気がするのだ。そういう醜い考えをしていることにも気づいているし、自分自身に嫌悪感を抱く日々である。

私だけだろうか?
ずっと昔からやめたいと思っていても、やめられない。本当にやめたいのだ。努力しているステキ友達に対して心からそれを祝ってあげたい。
それでもやめない(やめられない)理由は、

自分が空っぽな存在であることに
気づかれないようにしているのではないか

と最近気づいた。
今まで投稿はしていないが、noteにはたくさんの下書きがある。これもカッコつけだろう。

「書いてるけど、どうせ誰も読んでくれないし(イイねが来ないことが怖い)」


てな感じで。
その文章全てに目を通してみたが、まーーカッコつけ全開。
いやいや頭良いですよ?結構色々考えてますよ感満載のダサダサ文章だった。
かと言って、このnoteがうまい文章を書いているとは1ミリも思っていないが、いつもの文章より支離滅裂でしっかりと自分を出せている自覚はある。

「今日は○ちゃんとスタバの新作🙈うまま😋💓」
こんな文章は書けない。そもそもスタバに行かない。
現代のSNSにはとことん向いてない人間なのだ。
でも人とは繋がっていたいし、フォロワーは多いほうがいいし、何ならフォローよりフォロワーが多いほうがいいという傲慢さ。
どこぞの芸能人かと我ながら反吐が出る。


空っぽだから人より優秀でいないと。
空っぽなのがバレたら社会から欠落する。

私を客観的に見ると、こういったことを割と本気で考えている気がする。だって怖くないですか?空っぽですよ?生きてる価値、ないんですよ?そもそもなんで生きてるん、生きるって何なん????
すごいよなぁ皆、毎日生きていて。
多分その、生に執着することも自分に自信があることにも、そもそも疑念を抱かずに生きている人々に嫉妬している私がいる。

でも、カッコつけなくていいよって。
そんな私も自分なんやで。
自分以外に誰が向き合ってくれるんや、
面と向かってバッチバチに向き合ったれや。
文章上手くなくたって誰も見てくれんかったって自分がそれで満足するならいいやん。

っていう心意気をこれから育てていきたい
いや育てる。
四半世紀弱生きてやっとサヨナラできそうなカッコつけ人格。

ガンガン捨ててこ。

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